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海外に住むけどインターを選ばなかった理由 -子供を観察することの大切さ-

来年度、娘が小学校に進学する。

我が家は3月にベトナムへ渡航予定。現地で4月から通う学校は日本人学校を選択した。

この話をすると「せっかく海外に行くのにインターには行かないの?」と質問されることがよくある。

実際、前赴任地のアメリカでは、現地の子供たちが通う終日、英語で保育するプリスクールを選んでいた。

なのになぜ今回は日本人学校を選択したのか。この選択にはアメリカでの経験から得た気づきが影響している。

娘の性格

娘は小さい頃からとても社交性が高く、誰とでもすぐに仲良くなる。歯医者さんの待合室で勝手にお友達を作ってくるなんて日常茶飯事。公園では保育園児から小学校のお姉さんたちまで気づいたら一緒に遊んでいる。

そんな彼女に夫が名付けたキャッチコピーは「コミュ力お化け」。でもお化けといっても優しいお化け。

相手の様子や雰囲気を察しながら、ちょうど良いタイミングで話を広げる。決して無理はしないけど、輪から外れた子には声をかける。

対してルールを守らない子には厳しい。自分の正義を押し付ける。たいがいそういう子には飄々とかわされて悔し泣きしている。その正義感が時に自分や周りを苦しめることを彼女はあと数年で自然と学んでいくだろう。

私と違って失敗を引きずらず「まあいっか!」と楽天的で、「なんでもやってみたい!」という前向きさも持ち合わせている。そしてとてもよく笑う。

明るくて優しくて責任感のある子だなと感じる。

さて、こんな子が母語ではない教室に入ったらどうなったか。

アメリカでの気づき

アメリカ滞在時、彼女は年少の年齢。英語は全くの未経験だった。

それでも現地の幼稚園に転入させたのは、バイリンガルに育ってくれれば子供の可能性を広げられる願ってもないオプションだし、せっかくアメリカに住んでいるのだから、という理由だ。彼女の持ち前の社交性と前向きな姿勢に賭けたのだ。

娘は登園を嫌がることもなく、初日から聞き取れる単語、周りの様子を必死に捉えながら、身振り手振りでコミュニケーションを取っていた。

親である私も必死で英会話を学んでは実践し、同じクラスのママと交流。放課後のプレイデートや行事に参加した。

親子ともどもよく頑張ったと思う。娘にも私にも実際多くの英語を話すお友達ができた。

娘が掴み取った英語力は素晴らしいものだった。英語でのやりとりは完璧とはいえないレベルでも発音やリスニングは抜群に伸びたのだ。

何より肌の色や国籍が違う人間がこの世には実在して、同じように考えて生きている。そう身をもって学べたことが彼女の何よりの財産だと思う。

でも一つだけ気になっていたところがある。

コミュニケーション力や前向きさといった彼女の良さが半減どころか、ほぼ見られなくなっていた。

喋る時は大きな声か小さな声の両極端。表情のバリエーションも割と乏しい。自己主張はせずその場の雰囲気に合わせて行動してしまう。たとえば公共のルールに反することでも友達がやっていたらやってしまう。稀に言葉で伝わらない時は手が出てしまう。

あれ?性格変わったのかな?と思うほど。

でも家に帰ってから、日本語で暮らす彼女の姿は昔と変わらず、優しくて責任感があり、よく笑う子供だった。

自分の気持ちを、自分の思うように伝えることができない。自分らしさが消失してしまう。幼い子にとって言葉が通じないってこういうことか。衝撃だった。

もしアメリカ滞在や英語圏の滞在が5年続くなら、それでも英語を最優先させて、彼女の良い面も悪い面も英語を通して発散させることができるほどに親子で頑張ったと思う。

しかし我が家は転勤族だ。これからも2,3年スパンで日本と英語圏を含まない海外を行ったり来たりの日々が続く。

それならまずは日本語、母語で彼女の精神的な成長を待とう。彼女らしさの基盤が確固たるものになったらまた英語をいっしょに頑張れば良い。そう私は考えることにした。

ちなみに彼女の名誉のために付け加えると、簡単な英語でも共有する時間が長くなったお友達には彼女らしさをオープンにできていた。だからこそ気の合うお友達も増えたし、今でも交流は続いている。

英語を身に着ける目的

日本に帰国してからは娘の変化をさらに観察したくて、日本の幼稚園に選んだ。予想通り、彼女らしさはすぐに戻ってきた。

一方で英語教育のフォローは習い事として週2回の英会話レッスンを選択した。

英会話レッスンの目標は、英語を嫌いにならないこと、好きで楽しく続けること。

英会話を大人になって学ぶ身としては「まずは英語を好きでいて、親しみを持つこと」がなによりの優先事項だと感じている。私は学生時代、英語自体をどうしても好きになれなかった。そもそも英語で話したいと思える相手もいないから、好きになるきっかけもなかった。

好きでもない勉強が伸びるわけもない。

さらに渡米して痛感したのは、英語を話せる自分の姿を想像でも良いから具体的にイメージできるようになることが重要だということ。

人間は認識できないものは獲得できない。英語を話す自分を具体的に想像して、自発的にそうしたいと願わないと話せないのだ。(熱く語っているが私も日常英会話程度しか話せないし、まだまだ勉強中の身だ)

彼女にこの想いが届いているかはわからない。でも最近、学校を選ぶ際に「日本人小学校とインター小学校、どっちに通いたい?」と彼女に聞いてみると嬉しい答えが帰ってきた。

「日本人小学校!日本語でいろんなことを勉強したい。でも世界中の人に話しかけたいから英語は勉強しときたい。英語も勉強できる?」

彼女らしさを英語を使って表現しようとしている。親としてこんなに嬉しいことはない。そして幸い、海外の日本人小学校は国内の小学校より英語のカリキュラムが充実しているところが多い。

「もちろん、できるよ!お母さんも一緒に勉強したいな」と返事をすると娘は「いいよーしょうがないな〜」と笑っていた。

彼女らしさ、私らしさが世界中どこにいても発揮できるよう、二人で楽しく英会話の勉強を続けていきたい。


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