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「泳ぐのに安全でも適切でもありません」

海には、青のグラデーションが波打っていた。
白い砂浜は悠々と長く伸び、人影もまばらだ。
遠くの波打ち際で、ジュニアスクールの子ども達がはしゃいでいるが、その歓声は波と風の音にかきまわされて、夢の中の音のようにくぐもっている。

わたしたちの目の前には、白く簡素な札が立ちはだかり、
青い風景を四角く切り取っていた。
【WARNING】という大文字の下に、細長い紐のような生き物の絵。
そして、Portuguese man-of-warという綴り。
マン、オブ、ウォー。
たどたどしく読みあげると、傍らで夫が言った。
「クラゲだ」

強風のせいか波も高く荒い。
だが、そのことにヒトコトも触れていない。
クラゲがいます。ただそれだけだ。
夫が、どうする? と目で問いかける。

ボディボードとランチボックス、ドリンクを車に積みこみ、
太陽に炙られるまえのワイキキを抜け出して、ここまで来たのだ。
この島で、こんなに人が少なくて、これほど美しいビーチは珍しい。
水を見たら飛び込まずにはいられないわたしが、躊躇するはずもない。

夫は、仕方がないな、という笑みを浮かべて、
抱えていたビーチチェアを白砂に降ろした。


「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」
絵國香織の短編集のタイトルである。
著者が実際にアメリカを旅していたときに見た立て札の言葉だという。
「警告」ではあっても「禁止」ではない。
そこが、アメリカらしいともいえる。
日本では、日常(公式発言においては、もっと)曖昧な表現を好むくせに、
海水浴場には「遊泳禁止」の立て札が立つ。
「禁止」したのだから、ここで溺れたとしても、
「わたし達に責任はありません」
そう言い逃れができるように。

It's not safe or suitable for swim.
安全でも適切でもありません。
それでも泳ぎたいのなら止めません。
あとはあなた自身の問題です。
この立て札には、そんな続きがあるような気がする。

本の帯には、こう書かれている。
「いろんな生活、いろんな人生、いろんな人々。
 とりどりで、不可解で。」

確かに、この短編集に出てくる人たちは、皆、どこか変わっている。
死に瀕した「ばばちゃん」を見舞ったあとで、揃ってサングラスをかけ、ワインを啜り、5分に一度は笑い声をたてる母と、ふたりの娘。
兄の元妻に自分の夫が惹かれている(しかも彼は犬小屋で寝ている!)のを知りながら、ふたりを責めることもなく、「みんな変だわ」と怒りを含まない声で呟く女。
「私の好きな男が妻と別れないのは、そこに帰るのが彼の習慣だからだろう」人にはみんな習慣があるのだからと、全てを受け入れる帽子のデザイナー。

彼女たちは、誰もが、自分の人生を、
ちょっと退いた目でみつめている。
なんらかの渦中にあるというのに、
感情を煮えたぎらせたり、迸らせたりはしない。
はじめての恋を失った少女だけは、さすがに泣き通すが、
それでも食事だけはしっかりと採る。

人生という川は、誰にとっても、
「泳ぐのに安全でも適切でも」ない。
だが、どんな川であろうと、飛び込んだのは自分だ。
人に責任を押しつけることはできない。
すべては、自分自身の問題。
この短編集に出てくる女たちは、皆、そのことを知っている。
静かに悩みながら、密やかに泣きながらも、
自分の手足で泳いでいく女たちは、
切なく、哀しく、凛々しく、愛おしい。


南国の海で、結局、わたしはクラゲに刺されなかった。
刺されたのは、泳ぐことに渋々と同意した夫のほうだった。
可哀相に。
東から西まで果てしなくのびる白砂のビーチを見渡すと、
子ども達の歓声の向こうに、ライフガードの赤い旗がたなびいている。
足を引きずって歩く夫の腕を取りながら、熱い砂を踏んで歩く。

ライフガードの十字がペイントされたごつい4WDには、人影がない。
見ると、すぐそばの木陰に置いたビーチチェアで
褐色の肌の大男が眠っている。
わたしたちが近づくと、その気配だけで薄く目をあける。
夫が、自分の臑を指さして、彼に話しかける。
その傷は、赤く長く、まるで刀傷のようだ。
ライフガードは驚きもせずに肯いて、車の横に引っかけてあった透明のスポレーボトルを取り上げ、その傷めがけ、盛大に噴射する。

ん? 夫がわたしの顔を見て首をかしげる。
なに? どうしたの? 沁みるの? 痛いの?
さすがに責任の一端を感じているわたしは、気が気ではない。
いや、この匂い。
匂い? そういえば……。
夫が、ライフガードに、それは何? と聞く。
厚い唇をにっと歪めてから、彼は言った。
「ビネガー」

毒を中和して溶かすのだという。
これが、イチバン、と自信たっぷりに言う。
大男を見上げながら、Thank youという単語を、思い切りばらまいて、
ビーチについた自分たちの足跡を崩しながら、戻っていく。
振り向くと、男は何事もなかったように、ビーチチェアで目を閉じていた。
遙か遠く置き去りにしてきたチェアに戻ったとき、
腫れは魔法のようにひいていた。


溺れそうになりながらも、溺れずに泳いでいく女たち。
その静かな物語は、しんしんと切なかった。
だが、読み終えたとき、わたしは、なぜか微笑んでいた。
しばらくすると、幸福な気持ちにさえなった。
きっと。
物語のなかに潜んでいた筆者の“人生への愛情”が、
それぞれの痛みや哀しみを、
優しく溶かしてくれたからにちがいない。
魔法のように。

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