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塵の街

 降りしきる塵を保護色として身に纏うイーブス。カラスほどの大きさをした灰色の鳥類は、塵で視界が遮られることの無いように頭部が庇のように出っ張っている。
 細かく地面を蹴ることで空を舞うが、それを飛行と呼ぶには少々物足りない。その飛距離は一蹴りでおよそ十メートル。
 そんなイーブスの群れを一斉に舞わせたのは、東地区の地区長であるドゥアンの大声だった。

「な、何をする!」
 トロスらが住む西地区とは丘を挟んで反対側の東地区。そこの地区長ドゥアンを囲むのは、同じく東地区に住む若者たち。
 中央の丘からほど近い人気のない森で、ドゥアンは先ほど皆に配り終えたばかりの、槍や斧を突きつけられていた。
 ドゥアンの問いに答えるように、木にもたれかかっていたリーダー格の女が一歩前に歩み出る。
 女の名はノイ・フック。正体がわからないように揃いの布で顔を覆った彼女らは、西地区に拠点を構える盗賊。男だらけの盗賊団において、ノイはそこの頭領だった。
「ここに連れてくる途中も言ったでしょ? 今回の戦争で勝ったら、その報酬を私たちにくれない?」
 刃物を突き付けていることを除けばまるで相談事。それほどまでにノイの声は穏やかだった。
「女? 女がなぜここに」
「そんなこと今はどうでもいいでしょ?」
 ノイの言葉に周りの男らもそうだそうだと囃し立てる。今にも襲い掛かってきそうな雰囲気の彼らに、ドゥアンは自分の身が危険に晒されていることを改めて感じた。
「……それはできない。第一、勝てる保証も無いのに」
 ドゥアンの発言に斧を突きつけている子男が笑った。
「勝てるさ。相手は普段武器なんてまず使うことがねえ。普段からこれで生活している俺たちにとっちゃ、赤子の手を捻るようもんさ」
「なに?」
「喋り過ぎよ」
 ノイが小男のわき腹を蹴る。その拍子に小男の握っていた斧が宙を舞うと、それを自らの手に収めた。
「地区長は報酬の額も桁違いなんでしょ? 悪いことは言わないから協力してよ。でないと、私たちがあんたの首を獲ることになるよ」
「な、お前らまさか……」
 ドゥアンの表情が一気に強張る。東地区では、戦いの最中、安全な場所にいたはずの地区長の命が獲られることが、ここ数年続いていた。
「察しがいいじゃないか。そう、私たちさ」
 街で行われる戦争は、地区長の命をもってでしか決着が着かなかった。それゆえ、戦いは数週間続くこともある。そして毎年どちらかの地区長は必ず命を落とす。
 空白となった地区長の席は、街に住むものの立候補制で決められる。地区長となった者やその家族には、不自由ない暮らしが保障され、その暮らしを求めて名乗りを上げる者もいた。
「だが、我ら東地区が負ければ報酬を得ることが出来ない。自ら負けることになんの意味が?」
 ドゥアンを取り囲む男らの下品な笑い声が響く。彼らの気持ちを代弁して、小男が雄弁に語った。
「知らねえのか? お前ら地区長が年に一度武器を受け取る小屋。そこに地区長の首を持っていけば、相応の報酬が貰えるんだよ」
「なんだと? それは本当か」
 地区長であるドゥアンですら知らない事実が、身なりの汚い小男から語られる。さらに言葉を続けた。
「ああ本当さ。いいじゃねえか、どうせお前は直に四十年を迎えるんだろ?」
「ブリンゴ、お前はもう喋るな」
 ノイがブリンゴと呼ばれた小男の言葉を遮る。
 ブリンゴは彼の本名では無かった。ノイが率いる盗賊団において、本名を名乗るのはノイのみ。残りの者は本名を捨てたか、捨て子だったため本名がわからないかのどちらかである。
「こいつの言った通りだ。首を持っていくことに何の意味があるかは知らない。でも、あんたにとっては大きな意味があるだろう?」
 顔を覆う布の間から覗くノイの眼は、あくまで穏やかだった。ドゥアンに刃を突きつけることに、大した意味も無いとでも言うように。
「どうする? 私らはどっちでもいいんだ。今決めな」
 突きつけた斧を更にドゥアンに近づける。その切っ先はドゥアンの鼻先を掠めていた。
「わかった。約束しよう、勝利した際に貰える報酬は、すべてお前たちに渡す」
「いいだろう」
 ノイは斧を地面に降ろした。周りにも同じように指示を出す。
「いいかい、欲に目が眩むんじゃないよ」
 念を押すようにドゥアンに語り掛けるノイ。それはまるで願いのようでもあった。
「これまでにもいたなあ。戦いが始まるや否や、部下に俺たちを始末させようとした奴」
「ああ。自分で殺しに来た奴もいたっけか」
「先に約束を破ったのはそっちなのに、最後は命乞いなんかしやがる」
 ブリンゴを皮切りに、盗賊たちは口々に声をあげる。
「やめろ」
 ざわめきはノイの声でピタリと止む。言えば黙るものの、その効果はもって五分。思わずため息をついたノイの気苦労が垣間見える。
「あんたは利口であっておくれよ」
 最後にそう告げると、ノイは背中を見せてその場を離れた。その後ろには、言葉を発さないようにと、口元を手で押さえた盗賊団が続く。
「負けられない。例えわずかな時間だとしても、もう一度家族に会いたい」
 固く拳を握りしめたドゥアンは、ノイ達に少し遅れて広場へと戻る。広場では、西地区よりも幾ばくか少ない数の人々が、今か今かと号令を待っていた。
 ドゥアンが姿を現したことにより、人々の熱気は最高潮に達した。天高く拳を突き上げたドゥアンが号令をかける。
「行くぞ! 丘を目指せ!」
 地を踏みしめる音が街中に響き渡り、降り積もった塵がまき散らされる。降り続ける塵も相まって、街は東も西も分け隔てなく最悪の視界となっていた。

 トロスを含む西地区の者が、中央の丘に辿り着いたのに遅れること五分。ドゥアン率いる東地区の面々は、着くなり怒涛の攻めを見せた。
 その推進力を担うのはノイたちの盗賊団。陣形もなければ戦略すらないこの戦いにおいて、複数人で連携をとる彼女らの存在は驚異的であった。
「行け! 一気に押し切るぞ!」
 ノイの代わりに叫ぶブリンゴの声が、塵で視界の悪い戦場に響く。開戦時こそ数で劣っていた東地区だったが、今やその数は互角がそれ以上。
「凄いな彼ら、いや彼女らは。勝てる、勝てるぞ!」
 東地区陣営の最奥にて戦況を見つめるドゥアンは、勝利をほとんど確信していた。前線で斧を振るうノイですら、戦況の傾きに気持ちが緩んでいたかもしれない。
 そんな二人の最大の誤算は、息子への土産話をとこれまでになく発奮する西地区の英雄、トロス・ビーグの存在だった。

「トロス! おいトロス! ちょっと待てよ」
 不格好ながらも必死にトロスを追走するパーシルの声に、トロスは速度を緩める。振り返った彼の視界に入ったのは、息を切らしたパーシルと、トロス自身が打倒してきた数多くの横たわる住民だった。彼らの呻き声がパーシルの声に重なる。
「どうしたパーシル、お前凄い汗だぞ」
 トロスに話しかけられたパーシルは、息が整えるのを諦める。
「お前、張り切りすぎだぞ。後ろを見ろ。俺以外、ほとんど誰もついてきちゃいねえ」
 パーシルの言う通り、彼を除いた西地区の人々は、トロスの猛進についてきていなかった。
「大丈夫さ、今日は調子がいいんだ。このままドゥアンの首を獲るよ」
 東地区の地区長ドゥアンは、トロスやパーシルにとっては顔なじみ。普段は両地区の交流も盛んで、トロスはドゥアンと酒を酌み交わしたこともある。
 二人飛び出した彼らを、いつの間にか東地区の住人が囲んでいた。
「どうするよ」
「突き進む」
 トロスは人影の分厚い箇所を目掛け、再び走り始めた。その背中をパーシルが見送る。
「俺は疲れた。ここでのらりくらりやっとくよ」
 パーシルはその言葉通り、攻めては引き、引いては攻め。自らが怪我をしないことを最優先に戦場をゆらゆらと漂っていた。
 彼は結局、戦いが終わるまで一つの傷を負うことも無く、生き延びることとなる。
 戦いを終わらせたのはトロス。右手に斧を握り、左手には槍を持つ彼は、暴れタカダガのように戦場を突き進み、単身、ドゥアンの元に辿り着いていた。

「トロス、君と会うのは久しぶりだね。パーシルは元気かい?」
 ドゥアンを守るための部下たちは、既にトロスによって皆倒れている。
「ドゥアン……」
 槍を手放したトロスは、両手で斧を振りかぶる。じわじわと間合いを詰めると、躊躇うことなく一気に振り下ろした。
「やめろ!」
 東地区の者らがドゥアンを守ろうと駆けつける、しかし僅かに間に合わなかった。
 斧がドゥアンの体を横切る。生命の輝きを失った彼の肉体は、静かに音を立てて崩れ去った。
 ドゥアンの血で真っ赤に染まった塵が宙を舞い、漂った末に、行き場を求めてドゥアンの体を覆った。
「よし。レガ、お父さんはやったぞ」
 ドゥアンの亡骸に歩み寄るトロス。敗北を喫した東地区の面々は、様々な思いでそれを眺めていた。
 戦争が終わり、今年も生き延びたことに安堵している者。トロスの活躍に惚れ惚れとし、その雄々しい姿を目に焼き付けんとしている者。中には、次は自分が地区長にと決意を固める者もいた。
「勝利の証として、ドゥアンの体を貰っていくぞ」
 動くことの無いドゥアンの肩に手を置き、周りにそう声をかける。彼を止める者はいなかった。既に丘を降りている者すらいる。
皆がトロスに道を空ける中、彼の前に立ちふさがる一団があった。
「待ちな」
 ドゥアンが討たれたことを知り最前線から戻ってきたノイ。その脇を固めるようにブリンゴらもついてきている。トロスは空いている手で咄嗟に斧を構えた。
「誰だ。もう戦いは終わったぞ」
「その男をよこせ! 俺らが首を貰うんだ」
 ブリンゴが指さすのは、トロスが引きずっているドゥアンの体。トロスの通った後には真っ赤な道ができている。
「今年も西地区の勝利、それを認めないと言うのではないな。真ん中にいるお前は何者だ」
 斧でノイを指す。ノイは黙って顔を覆う布をほどいた。
「お頭!」
「黙ってな」
 ほどいた布が地面に落ちる。中から現れた女に、辺りにいた者すべてが目を奪われる。それほどまでにノイは美しかった。
「……女?」
 金色に茶が混じったような色をした髪。後ろ姿では女性だとわからないほどに、その髪は短かった。
「私はノイ、そこの男に必ず勝つと約束した。せめて亡骸は家族に元に届けてやりたい」
 まっすぐにトロスの眼を見つめるノイ。トロスもまたノイを見つめ返す。周囲にいた者までもが一斉に言葉を失くし、遠くで羽ばたくイーブスの鳴き声が聞こえるのみだった。
 構えた斧を手放したトロスは、両の腕で包み込むように亡き友の体を抱いた。
「ドゥアン、気の良いやつだった」
 そのまま前に歩み出る。ノイは部下の一人に受け取るように指示を出した。
「受け取ってくれ」
 トロスよりも体の大きい男が、ドゥアンの亡骸を丁寧に受け取る。その様子を見ていた人々は歓声をあげ、戦争の終わりとトロスの名を盛大に叫んだ。
「任された。ロルト、戻っておいで」
 ロルトと呼ばれた大男がゆっくりとノイの元に戻る。ブリンゴが彼に近づいたかと思うと、素早く顔を覆う布をほどき、ドゥアンの顔に被せてやった。
「ブリンゴ!」
「ひい! すみませんお頭、また勝手な真似を……」
 どこから蹴りが飛んでくるものかと、体の小さいブリンゴがさらに縮こまる。覆面をとった彼の素顔には大きな火傷の傷があった。
 咄嗟に縮こまったブリンゴだったが、ノイの蹴りが飛んでくることは無かった。
「戦争は終わりだ、帰るよ!」
 歓声があちこちで上がる中にも拘らず、ノイの声は高らかに響いた。森の方へ消えて行こうとする彼女らに、トロスは心より言葉を届ける。
「よろしく頼む!」
 ノイの姿を隠すように歩いていく一団。大小ばらつきのある男らに囲まれながら、細く白い腕が天を衝く。その背中を、トロスは様々な思いで見送った。

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