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微笑みの巾着

カーン、カーン、カーン
「集まれーい! 訪ね人だ! 皆、集まれーい!」
 来訪者を知らせる鐘の音が、集落中に鳴り響く。その甲高い音を耳にした者たちは、皆一様に警戒心を高めた。
 数十もの足音が向かった先は、集落の素朴さにそぐわないほどの重厚な門扉。鐘をこれでもかと鳴かしている見張り台の男は、額から汗を流しながら足元に集まる人々を眺めていた。
「ふう、こんなもんか」
 見張り台から見渡せるのは、ヤマの麓に住む者たちの集落。いつもと変わらず粉塵を噴き上げるヤマが、常に彼らを見下ろしている。
「アレイ、そろそろお前も降りて来いよ!」
「ああ、すぐに行く」
 アレイは鐘の音が響いているのを背中に感じながら、軽快な様子で梯子を降りていく。
 集まる群衆に紛れるように遠くから歩いてくる人影を視界に捉える。そこにいたのは見たこともない動物に跨った者らと、彼らが取り囲む良く見知った少女の姿。
「あれはガデアだよな?」
「周りの奴らは誰だ? 共に出ていったメルもいない」
 周囲から漏れてくる呟きを耳にするのとほとんど同時、アレイは人込みに紛れた体を飛び出させていた。
「ガデア!」
 筋肉に送り込んだ酸素が、アレイの体を懸命に補佐する。門から数百メートルも続く下り坂を、ぐんぐんと加速していくアレイからは、警戒心や敵対心が形となって表れているようだった。

「ねえガデア。もの凄いのが走って来てるけど、あの男は誰?」
 ガデアの脇を固めるように歩くノイは、彼女の肩に触れながらそっと尋ねた。
 同時に、前を歩くエルネスに跨ったピーシャル、フィデルに跨って後ろを歩くレガ、ガデアの右側を歩くブリンゴに対し、歩調を緩めるように伝える。
「彼は、アレイ。私の兄のような存在です」
「そう。なら彼に伝えて、私たちが何なのかって」
 そう言いながら皆に立ち止まるよう指示を出す。レガをはじめとした三人は、無言のまま指示に従った。
「ええ、きちんと伝えるわ。ここまで連れてきてくれてありがとう」
 ノイ達は完全にその場に停止し、ガデアだけが勢いよく走ってくるアレイに向かって足を動かす。小さな背中に不釣り合いな荷物が、彼女に揺られていた。
「ガデア。あなた、本当はいくつ?」
 ノイが進みゆくガデアの背中に声をかけたのは、坂を上る彼女と、自らの視線が一直線に結ばれたところ。振り返ったガデアは、その背丈に似合わぬほどの凛とした顔つきを崩さぬまま答えた。
「また後で教えるわ。その時はどうか驚いてね」
 それだけを言うと、勢いを緩めず走ってくるアレイに向かって歩みを進めた。アレイはもうすぐそこまで迫っていて、ガデアに手が届く距離まで近づくと、彼女を自らの胸に抱き寄せた。
「ガデア、無事だったか」
 先ほどまでの剣幕を感じさせないほど慈愛に満ちた抱擁。坂を駆け下りてきたときの素早さからは想像し難いほどに屈強なアレイの体が、ガデアの体を覆いつくす。
「ええ無事よ。無事、運んで来たわ」
「そうか、それは良かった」
 ガデアの返答は、アレイが意図していたものとは異なっていたようだったが、それでも、アレイにとって満足のいく答えのようだった。
「ところでアレイ、話があるの」
 小さな両手でアレイの顔を挟んだガデアは、彼の顔をぐいと下に向け、視線を自らへと引っ張った。
「あいつらのことか?」
 アレイとガデアの視線が交わったのも束の間。睨むような目つきでノイ達を見たアレイに対し、なだめるようにガデアが声をかける。
「待って彼女たちは敵じゃ無いわ。むしろ……」  
 坂の中腹で話すガデアとアレイを眺めるノイ。そんなノイに対し、無言の圧力が三人分のしかかっていた。その気配に気づき振り返ったノイが、三人の様子に思わず声に出して笑う。
「なんて顔してるんだい。もう口を開いてもいいさ」
 ノイの言葉にいち早く声を上げたのはピーシャルだった。ブリンゴもそのあとに続く。
「ノイさん! 急に喋るななんてよしてくれよ! ガデアとのお別れの挨拶が!」
「そうだぜお頭。それに、ガデアに入れてもらうように頼まなくて良かったんですかい? もしこのまま追い出されたらまた野宿に……」
 これぞガヤガヤといった様子の二人を、レガが宥めて口を塞ぐ。気にかける様子もないノイは、極めて冷めた口調で言い放った。
「話してもいいと言った途端にやかましいね。大丈夫、きっと中に案内される」
 その口ぶりはどこか確信めいていた。ノイがこんな素振りな時、そのほとんどは物事が好転することを知っているはずのレガも、今ばかりは不安を胸に募らせる。
「ノイさん。なぜ俺たちに話すなって言ったの? リュックの中身を見たことを知られないため?」
 声の届かないところで何やら話しているガデアとアレイを、視界に捉えながらレガが問う。その更に向こうで遠巻きに自分たちを値踏みする人々の訝しげな様子には、嫌悪感よりもむしろ同調すらしているようだった。
「まあ、それも一つだね」
「そうだ! あの荷物だよ! あれは絶対……」
 話に割り込んできたブリンゴは最後まで言葉を続けることが敵わず、ノイの平手が鳴らした甲高い音がその後を引き継ぐ。常人であれば一瞬何が起こったのかわからないほどの瞬間的な痛みに対して、ブリンゴは即座に反応し、小さな声で「痛え」と呟いた。

「へえ、ガデアはヤマの麓に住んでるのか! そりゃいいや!」
 オノノキの群れから逃げおおせた一行は、再びヤマへ向かって歩を進めていた。黒の毛並みに砂ぼこりを纏ったエルネスに跨るのはブリンゴとガデア。
 振り向くことのない背中に対して懸命に話しかけるピーシャルを不憫に思ったのか、はじめは口を開くことのなかったガデアも、次第に自らのことを話すようになっていた。助けることができず、恐らくオノノキにその生を失った体を弄ばれているであろう男性については、ガデアが悲しんでいなかったので、皆、特に触れることは無かった。
「ええそうよ」
 ガデアは元々口数が少ないわけでは無いらしい。言葉を続ける。
「まさかあなた達もヤマへ向かっているなんて、本当に奇遇だわ。何しに行くの?」
「何しにって……」
 ガデアが放った質問により浮き彫りになったのは、ピーシャルが自分でも何のためにヤマへ行くのか理解していない事実。そしてそれはブリンゴも、そしてレガも同じだった。
 3人の視線が集まることを見越したノイが、それよりも先に口を開く。
「あそこには知り合いがいてね。ちょっと挨拶みたいなものさ」
 嘘はついていないものの、話すべきすべては胸の内。ノイの話し方はそんな様子で、今は話すべきでは無いと言っているようでもあった。
 その気配を敏感に感じ取ったレガが、話のベクトルを他方へずらす。素性がはっきりとしないガデアへの、掬い取るような探求も兼ねて。
「ガデア。良かったらその荷物持とうか? 重たいでしょ」
 レガが指差すのは、ガデアが背負う巾着型のリュック。自らの命が危険にさらされても直、手放さなかったそれは、ガデアの価値観を暴き出す絶好の材料でもあった。
「俺が持ってやるよ。ほら、渡してみな」
 レガの思惑を知ってか知らずか、ピーシャルの合いの手が空気のリズムを作り出す。エルネスの隣にフィデルを横づけしながら、差し出された腕に瞬間皆の視線が集まった。
 人の行動というものは、基本的に流れで決まる。その場の流れに行動を支配され、時として自分でも思いもよらなかった行動を、ともすれば、頭では反対のことを考えていたとしても、ついとってしまうことがある。
 それは何ら不思議なことではない。一度生まれた流れに逆らおうとするとき、そこには信念、矜持といった類の、強力な思いが必要なのだ。
 ガデアの思いの根はどこにあるのか。探るように彼女を見つめるレガの視線が、にわかに鋭くなる。
 ほどなくして、リュックの収まるところは、ガデアの華奢な背中から、ピーシャルの骨ばった背中へと移った。
 その受け渡しに執着は微塵も感じられず、むしろガデアは、あるべきところに返しただけだと言わんばかりに、清々しい顔つきをしていた。
「なんだこれ、重てえ。よくこんなの背負って歩けてたな」
 急に体の軽くなったエルネスが、それを不思議に思いながら蹄を軽快に遊ばせる。フィデルはというと、怪訝そうな顔をして振り返りレガを見やる。レガが労うようにその毛並みを撫でてやると、引き受けたとばかりに一度クオンと鳴き、顔を戻した。
「人でも入ってんのか?」
 何気ないブリンゴの一言が宙を舞い、誰にも捉えられることなく霧散するかに見えたその時。
「入ってるよ」
 澄んだ声で言い放ったガデアが微笑んだ。

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