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2023年、どんな一年だった?≪友達、恋愛、仕事のこと≫

noteで初、今年を振り返ってみようと思います。
わりと、大きな出来事がいくつも起こった年でありました。

友達編

今年、長年付き合ってきた友達と、縁を切った。

私は大学生の頃ファーストフード店でバイトをしていて、その時に仲良くなって11年間会っていた友達がいた。その子は外見が魅力的で、話すと言葉のセンスや話の面白さがあったり、なんだか「女性特有の面倒くささ」があまりなくサッパリとしていて、それなのに繊細なところやかなり思慮深い面もあり、話がとても合うというか、「話していてとても楽しい」相手という代表的な存在だった。
その子と出会って、「ご飯を食べながらお話をする」っていうことの楽しさを、初めて知った。それまでは他の友達や家族とは「食事をしながら楽しく話をする」という時間の楽しさをそこまで感じたことはなかった。
また、美容にも結構関心がある子なので、そういった話ができる友達だったことも「女子力への良い刺激」になったりして、良かった。
私は文章を書くのが好きだが、彼女に出会ってわりと早い段階で、”同じ匂い"を感じたので、「良かったら文通しない??」と提案したら、OKをもらえて文通していたが、やはり文章力を感じたし、自分が手紙を書ける楽しみを与えてもらって、良きご縁をもらえたな〜とずっと思っていた。伝えてもいた。

そんな友達だったが、今年の7月、約1年半ぶりに久々に会ってコメダ珈琲でお茶をしていて、それが最後の会う日となった。話していて、詳細は伏せるがあることで口喧嘩になり、「どうする?今日はもう帰る?それかまだ話す?また別の日に会ったほうが良さそう。」とその子が言って、その日は帰ることになった。その子は「今日はありがとう」と最後に言ったが、私はとても「ありがとう」などと言える気持ちではなく、「あぁ、これがもしかしたらもう最後になるのかもなぁ。。」と感じながら、「うん、ありがとう。」と台本のように返し、すぐに車でそのお店をあとにした。

その子とは前にも一度、縁が切れそうになったことがある。私の不満が爆発し、それに対抗してその子も言い返してLINEで激しい口論となった。結局会って話すことになり、会って話すと落ち着いて話せて、その時は関係が回復して元に戻った。
しかし今回のは、「そもそもこの子私のこと友達と思ってるのかな?」という疑念や、言葉の強さ、理解できない価値観が、私の中でとても大きく、「あぁ、これはもうダメだな」と思うしかなかった。「友達でいたくない」という気持ちが強かったから縁を切るに至った、というより「これは、もうもともとこういう相性なのは根本的に変えることができないから、ここまでの関係だったのだな … 」と感じたからである。
彼女とは、一才歳が違うので初めの頃は互いに敬語で話していて、それがなんだかしっくり来ていた。仲良くなって数年してから「敬語じゃなくタメ語で話しませんか?」と私(年上)が言って、彼女(バイトでは先輩)がOKしてからタメ語で話すようになったが、考えてみれば「敬語のまま」の関係のほうが良かったのかもしれない。なんだか、距離感がおかしくなったような、以前よりも「お互いに尊重し合って付き合う」という丁度良い距離感が、そのせいで少しバランスを崩したのかもしれないと薄々感じていた。
仲良くなったからタメ語で話す、そしたらもっと仲良くなれる、というケースだけではないのだなと今となっては思う。あまり無いケースかもしれないが、気をつけていきたい。

今回の喧嘩で、はじめて「人と縁を切る」「人生のキャスティングから人を外す」という選択をしたが、衝撃的であった一方で、「こうならざるを得ない関係」だと思ったので、「仕方ない」と思うしかないし(私が彼女に引いたから。)何だか受け入れられる展開ではある。
しかし、寂しさや喪失感は、今でもとても大きい。「また戻りたい」という気持ちとは違うが。
私は、こんな大きなことがあるなんて何か意味があるのか?と長らく思索にふける中で、ある人から言われた、

「自分と同じレベルの人が自分の周りには集まるようにできてるよ。
だから、付き合う人間を変えていったら自分も変わるし、
友達も変わっていったほうが、良いよ。」

という言葉が、妙にグサッと良い意味で刺さった。

そうか、同じレベルだったのか。と。
彼女について怒りが我慢ならない点や、こうして欲しいと思う点などがあったが、私もそれと同じようなレベルだったんだ、と。
友達との別れはもちろん悲しいものだが、お互いの人生を生きる中で考えや価値観がアップデートされたら「合わなくなる」ことってあるんだ、だからそれは必ずしも悪いことじゃないんだと思った。
今回の喧嘩で、彼女だけが悪くて私が悪くないとは思ってないし、彼女の言い分も分かる。私にも反省点が生まれた。この「反省点」が生まれたことが、次のこれからの人間関係に活かせるだろうし、人には優しくしようと本当に思った。自分がキツイ言葉を言われて、すごく傷ついたから。こういうことを言ってしまうと、人を傷つけ、その言葉は自分に巡り巡って返ってくるものだと思うから、人を傷つけないように生きていきたい。

まさかこんなことが起こるなんて、思ってもいなかったから、本当に衝撃である。けっこう傷がエグい。でも、「友達は変わっていくものだよ」と考える人もいると思うと、「世の中沢山ひとがいるんだから確かにそれは一理あるかも。」と、今まで狭い自分の友好関係にだけ拘っていたことに気付いたような、もっと他の人との関係も生み出したいような気持ちになった。あの出来事があってから数ヶ月経ってもまだこうやって思い出して色々と考えたりするくらいには一人の人と深く長く関わるタイプの私ではあるが、人生とは「出会いと別れ」があるなぁーと強く感じた出来事であった。

恋愛編

これまた大きな出来事だったが、今年の6月、彼氏と別れた。
その思いの丈を書いたらめちゃくちゃボリューミーな量になってびっくりした。

あまり理解されにくい心理かもしれないが、私達はいま、友達として仲良くしている。これは彼と私の相性?価値観だからできるのだろうと思う。
別れたのは6月で、かなり精神的にきたが、まさかの7月に先述した友人との出来事もあって、(それぞれ全く違うことが理由だが。)こんなに人との「関係性を見直す」フェーズとかある?って動揺した。
こんなこと初めて。
しかし、残るものは残り、別つものは別れるに至った。関係性が長いものが去り、新しい関係性のものはまだ残った。不思議である。

そんな大きな人間関係のエピソードがあった今年だったが、
他にももう少し。

暮らし編

3年半、暮らしていた賃貸から5月に引っ越した。
の記事は、「引っ越す前に、ここで初めての一人暮らしをしてみた経験を、残しておこう。」と思って引っ越す直前ぐらいに書いたnoteである。

読み返すと、この頃の生活や気持ちが思い出されるので書いておいて良かった。📝

暮らし編②

そういえば、私は12月にスマホを失くしてしまった。
朝の通勤の電車の中で、いつ失くなったのか分からないが、降りた後にすぐ気が付いた。それから約3日間、スマホは見つからず、今までにない「スマホなし生活」だったが、過ごしてみて、意外といける・・・!なんだか、軽くなったような感じすらする。と思っていた。スマホが失くなった今、あのスマホに入っていた写真や動画などの思い出はとても残念で、別のところにも保存しておけば良かった…!と一番に悔やんだが、スマホに入っていたアプリを全て思い出せるだろうか?あと大事な人の消えてはならない連絡先はいくつ思い浮かぶだろうか?とふいに考えてみると、「そんなに思い出せない。または、無くなってもそこまで困らない」ものが多かったことに気がついた。ということは持っていても持っていなくても良いものが多かったんだなと気付いた。
もしもスマホが戻ってきたら、大事なデータなどは別保管もし、「あっても無くても良いようなもの」=「使わないもの」は手放したいという新鮮な気持ちになった。
SNSのフォローしているものも、日頃見ていないけどフォローしたままになっているものは整理しよう、と。何となく情報に流されているのがすごく多かったということに、失くしてみて初めて気づいた。めちゃくちゃ良かった。SNSを見なくても困ることはないし、それより自分のやりたいことをする時間を確保できるほうが私の性格上合っていることは充分分かっているが、それが付き合い方が難しい「SNS」である。💭

今回のことで結局「スマホよりガラケーのほうが情報量が少なくて良いんじゃないか?」と考えたほどだった。またこの件については考えが降ってきたら書くことがあるかもしれない。
結局3日目の夜に、学生さんが”座席のスキマに挟まっていたのを見つけた”とのことで交番に届け出があり、スマホは手元に戻ってきた。
ホッとした(主に思い出のデータが戻ってきたことに。)が、「失くしてみる」という経験も、自分の大事なものが浮き彫りになるので、すごく良かった。やはりデジタルはデジタルで、大事なのは「リアルの世界」だよなぁと、スマホに関わらない生活をする中で、妙に人間らしい感覚を味わった。
すごく大切なことである。

仕事編

そして最後に仕事編。
今年4月に、ある会社から声をかけて頂き、前の職場から比較的スムーズな形で転職をすることができた。(前の職場では試用期間で不採用とされ、衝撃的だったが、元のグループ会社は同じで職場も同じ事務所の中だが会社名が違う会社の方から「こっちで働いてみませんか?」と声を掛けていただけた。)
そっちの方が働きやすいし、一度辞めたあとに声をかけてもらえるなんてそんなことあるのか?!とビックリしたが、有り難いことだ。
「捨てる神あれば拾う神あり」ってこういうことかぁ。。。と本当にびっくり。
そうして働く中で数ヶ月経つと自分の中で湧き出るものがあったりして、noteに書き綴った

今の職場にはとても恩恵を頂いているし、ご縁を感じているが、今後の生き方を変えるために、来年は「行動」と「時間の確保」を意識していく。

〜あとがき〜
今年は長かったような、短かったような、出来事はいろいろとあったけれど「自分としての変化」は大きかったのか…と考えると多分そうでもなく、
でも平和に暮らせたことに感謝して、来年は「思い出」を今年より多く作る年にしたいと思う。
私の宝物は、小学校の頃からずっとそうだが、「思い出」だと思っている。
「良い思い出」を沢山作れる一年になりますように . . .✨

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