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西洋と日本。文学批評の背景にあったもの。

今年の4月から、社会人学生になりました。
某文学部、三年次編入です。

仕事の合間を縫ってレポート作成のために学ぶ日々なのですが、
課題を学ぶ過程で、指定されたテーマの外に頭に浮かんだ疑問や仮説を処理する場が上手に見つけられなくて困っていました。
レポート課題は担当教授の用意したテーマに真正面から取り組むことが好成績を狙うには重要らしく、なかなかストレスが溜まります。

思いあまって、課題テーマにくっつけて担当教授に疑問をぶつける形でレポートを書いてしまったこともありました。結局熱量の差が字数に影響し中途半端なものを提出してしまった苦い経験です。(後で疑問は直接メールする様にアドバイスされました/オンライン受講メインでやってます)
しかし、頭に浮かんだすべてのことをいちいち教授に尋ねるのも気が引けますので(ウザイだけ)、このままではせっかく沸いた疑問もどこかにメモしたまま忘れていくんだろうなと思っていたところnoteの存在を思い出しました(うっかり)。

学びが足りなくて勘違いしていたり、そもそもずれた発想をしている事柄もあると思うのですが、せっかく「気になった&知りたい」という衝動があった存在たちなのでうっかり信用ならない私の脳に忘却させてしまうのも寂しいのです。
もし、もやもや解消のヒントになる文献などをご存知でしたらアドバイスいただけたら嬉しいです。

なぜ、日本には文学批評家で
超著名な人が居ない(生まれない)のか。

上記の疑問を投げかけていたのは、私ではなく経済学者の成田悠輔様(好き)です。下記の番組内で作家の羽田圭介さんに質問されていました。

成田さんは私なんぞより数百倍幅広く文学に触れていらっしゃる方なので、
自分なりの仮説をお持ちの上での質問なのだと思われますが、
確かに「学問」で文学批評を学ぶとなると歴史的にも、またそれを評価する「場」的にも(ノーベル文学賞とか)世界基準のレベルでは西洋の文学批評を学ぶことになってしまっているのが現状です。

私はメディアに出ている羽田さんも好きなのでこの座組みはお気に入り回です。
(上記のリンクは後編です)

成田さんの質問を聞きながら、「そりゃぁ、西洋全体で何らかのイデオロギー対決を繰り返してきたあっちの業界の派手さに比べたら、日本の文学批評は(派手さでは)弱いだろうなぁ」とぼんやり考えて拝見していました。根拠なく、です。


西洋の文学批評は「在り方」が日本(東洋)と違いすぎる


純粋に文学批評なるものが生まれた歴史を学ぶと、最初に形らしいものが組織だったのは19世紀イギリスの様です。産業革命下、資本主義的価値観に飲み込まれ、一方的に搾取され疲弊し退廃する労働者たちの「国民としての品位」を回復するために「神」の代わりとなって人々を教化するために使われたのが「文学」であり、その文学にどの「作品」を使用するべきかを判断するために使われたのが「学問としての文学批評」でした。(ざっくりです)

上記のために「シェイクスピア」や「ミルトン」やら近代(当時の)作家も含め著名作家の作品が推薦され教材として選ばれていました。ですが、いわゆる「ロマン派」「耽美派」的な作品は避けられた様です。
この辺で「高尚文学」として「批評家に認められた」作品という分断的なものが起きてしまいました。批評家が権力を持った始まりです。(作家にとったらたまったもんじゃありません。省かれた方にとっては営業妨害です)

18世紀頃から散文である「小説」の存在が大きくなってきて、それまで詩の研究が中心だった(シェイクスピアの戯曲も詩の技法で書かれています)文学批評の幅が一気に広がり出した時期につづいて起こった産業革命の流れが、それまで単純な表現手法や時代の潮流(流行)的な芸術運動の振り幅(記憶曖昧で書きますが、古典(神話)→ゴシック→ルネサンス→ロマン主義→自然主義→ポストロマン主義…的な振り幅)だったものから、「文学とは何か、どうあるべきか」という「ベキか」論が始まっていきます。

「神学」がもたらした功罪
「神からの脱却」を目指すための四苦八苦の歴史

まだ、このころの文学批評なら日本人である私たちも”誰かが”選んだ「推薦図書」なるものを与えられてきた歴史もありますので、理解できる展開ではあります。
 そして「文学を学問にするための権威づけ」を行うために生まれた文学批評が、「芸術」と「教材」との板挟みになり論争が繰り広げられていきます。

 その後の文学批評がやっかいになってくるのが「神」の代わりに昇格したい文学の存在から「いかにして文学から神を排除するか」が最大の懸案事項に移行していったことです。(これまたざっくりです)

文学を「価値的に利用する」のか、もしくは文学は「あくまでも自由な芸術である」のか。ということだけでしたら、学者たちで好きに議論すれば?と個人的には思うわけですが、歴史が進み産業革命の大きな発展はそのまま科学の存在力の偉大さを世界にもたらしたわけなので、ただでさえ力を失っていた「神学」がますます説得力を失っていくことになります。
合理主義が市民のレベルに浸透すると今まで「神と教会」が教えてきた道徳や美徳の感覚が国民から薄れていく(信頼を失う)という大問題が発生し、その代わりを担ったのが文学でした。

もう、この時点で一般的な日本人的感覚とはずれが起こっています。
国家を挙げて「神が創造主」という価値観は、西洋史を学んで想像はできても「それがその国の人々にどれほどの楔を落としていたか」となると事情を知らない私の様な人間にはなかなか理解し得ないものがありました。

西洋世界では、国家権力とキリスト教は長年強力なタッグを組んでいました。
18世紀にイギリスがまずフランス発祥の合理主義をうまく取り込んで「イギリス国教会」を作り出して変化を起こしましたが、国が教会権力を利用する構図は続いていました。何よりキリスト教発祥以来の「人間は生まれながらに罪がある」という原罪思想も潜在的に西洋の人々を苦しめてきた様です。文学批評の前段階では既に哲学の分野で「神からの脱却」論争が繰り広げられてきました。哲学がソクラテスの定義した「人間の幸福の追求」であるならば、そうした論争が起きることも自然の流れだと理解できます。が、イチ宗教のもたらしたものがこれほどまでに重たく
西洋社会にのしかかっていたことを私は知らず、「ゴシック建築かっちょえぃ」と
呑気に西洋文化&芸術にに憧れを抱いてきたのです。

一方、日本は古来からの「よろず神」が居ますし「仏教」も渡来し浸透していますので、もし科学の進歩によってそれらの力が弱まっていたならば、またそもそも宗教が国家存続に関わるほどの権力を握っている存在だったなら、西洋社会と同じ様に日本で生まれた「文学」もしくは他の芸術が人々の道徳や文化的素養を補う教材として「神の如く」重要視されていたかもしれません。そして西洋の様に、人々から「理不尽な神(仏)からの呪縛」を解き放とうと奔走してきた哲学者たちの熱い議論も起こり得たかもしれません。

でも、日本にはそれは起こりませんでした。
その大きな違いは、結局「神なるものの許容範囲の大きさの違い」だったのではないかと考えます。
出口 治明氏の「哲学と宗教全史」には、現在に在っては西洋哲学(主にキリスト教)と東洋哲学(主に仏教)の哲学の浅深の軍配は(学問として)既に決着はついている。西洋至上主義の時代はとっくに終わっているのだがなかなかそれを認められない権威ある学者も多いという趣旨の記述があります。

要するに、主張の小競り合いはあっても、大きなイデオロギー論争を起こす必要のない、おおよその主義主張を包括する寛容な思想文化が東洋には存在したため取り分け「文学批評家」には(西洋と比較して)仕事が少なかったとも言える、ということなのだと思います。


だからといって、
日本の文学批評レベルが低いわけではない


西洋至上主義な現状の世界の価値観の中では、カッコイイいめーじ(私主観)の西洋思想は派手で面白いですが、成田悠輔さんが投げかけた質問の答えとして戻ると、文学への絶対的な「権威づけ」が必要なかったから目立ってないだけで、「何らかのイデオロギー論争」がそんなに必要じゃなかったから良質な文学批評家は「作家」「作品」の後ろに品よく居られただけな気がしています。
決して、日本の文学批評の分析力が低いわけではないと感じていますし、いくつかの著名な近代文学作品を取り扱った研究本には素晴らしい着目点だなと思うものが多いです。
ただただそれは、芸術としての批評であって、その文学を「神」に祭り上げて世の中に大々的に宣伝するるつもりがないだけなのです。

西洋での、目に見えないものの存在も芸術に取り込み認めるロマン派と、神なる不確定なものを排除したリアリズムの自然主義派との対決は、神に悩まされてきた西洋の歴史を知った今となっては理解できますし、またサルトルやニーチェらの実存主義の心地よさも、構造主義のレヴィ=ストロースからすれば、うっかり「人を救えない神」まで受容してしまいかねない実存主義を攻撃せずにはいられなかったのも理解できます。「神学」の負の遺産を民衆の心の中から完璧に追い出すためには公の場で「徹底的に打ち負かす」のが重要だったんです。たぶん。

※とはいえ、私は宗教学者でもなんでもないので宗教としてキリスト教全般を否定するつもりはないのです(むしろ西洋文化かぶれ)。ただ西洋哲学と芸術家の思想の変遷を辿っているだけですのでその辺の語弊の存在はお許しください。

これら西洋の学者たちの悲壮感や焦燥感や使命感が、ちょっと私には理解するのに時間がかかりました。「文学批評」の歴史を学ぶだけではわからなくて、ベースになっている当時の哲学の変遷を学んだり神学の歴史を学んだりしてやっと冷静に「文学批評」の入り口に辿り着けたのかなという感じです。

実は、まだ文学批評関連の授業の単位は取れていません。レポートが書けるまでの理解が全然追いついていないのです(上記のようなことばっかり気になって考えていました)。
でもレポートに書く内容ではないけれど私には発見だったことが多々あったので、先にこちらでもやもや発散させていただきました。

本当は、西洋思想と東洋思想の違いがわかりやすいのが「自然」についての比較なんですが、それは機会があったらまた書きにきます。

おわり


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