ライターに「文章力」は必要なのか?
「ライター」というのは定義が難しい職業のひとつだと思う。
「文章を書く」という行為自体は、おそらく誰もが小学生のときに体験しているので、「何か書け」と言われたら何かしら書けると思う。
わたしは、ずっとライターになりたかった人間のひとりではあったけど、「ブロガー」で止まっていた。
そこを、新R25の面接のときに「ブログ」を、ポートフォリオにして最終的に「ライター」になった。
そんなことからもわかるように、ブロガーとライターは定義が曖昧だ。
「書く」という行為自体に何ら変わりはない。
でも、そこでライターに求められるのは、「媒体に合わせる力」と「ニーズに応える力」だ。
変な話、ブログは好きなことを書いていればいいと思う。あるいは、検索上位に上がりそうなキーワードを洗い出して、それに沿って書くとか。
いずれにせよ、自分のブログならば主導権は自分が握っているはずだ。
一方で、ライターは自分の文章をメディアに掲載させてもらう形となるので、主導権は自分にはない。
そして、ライターになりたい人が必ず通うのが「ライター講座」だが、わたしも何度か通ってみて、ここで学べるのは「文章の書き方」ではないな、と悟った。
文章に正解なんてないからだ。
なので、どちらかというと、「何を書くか」「どう取材するか」「どう切り貼りするか」みたいな話になってくる。
なんなら、最近ではもはや「セルフブランディング」に焦点を置いているライター講座すらある。
先日、フリーランスの王・株本祐己さんに取材をした。
そのとき、「どうしたら最強のライターになれますか?」と尋ねたら、「フォロワーを増やせ」と言われた。
えっ、ライティングスキル関係ないの⁉︎ と衝撃を受けた。
世の中のライターは、こんなにも自分の文章力向上のために勉強しているというのに。
でも話を聞いているうちに、確かにな、と納得してしまった。
ライターの仕事は、クライアントのニーズに応えること。
そして、クライアントのニーズは、より多くの人に届けることで、届く文章の書き方を模索するよりも、フォロワーが多いほうが圧倒的にリーチする。
現実的だけど、これが本質なのだ。
それとは別で、たとえば今書いているような日記やエッセイみたいな、バズらせる前提ではないコンテンツは情緒に訴えかけるものでも良いし、文章力が高いほうがより一層読まれるとは思う。
でも、バズらせるための文章というのは、教科書に書いてあるようなものではなくて、簡潔な導入文だったり、クロージングだったり、尖っていたり、どちらかというとマーケティング思考に寄っていくものなんだと思う。
これを、使い分けられたら最強だなと思った。
もちろん、良い文章は誰かに届く。いや、届くような世界であってほしい。
でも、もうちょっとだけ俯瞰してみて、自分の磨いているスキルが、どんな記事に当てはめられるのかを考えてみることも必要だなと思った。
磨くべきなのは、文章力なのか、それともフォロワーを増やす力なのか。
改めて、考えさせられたし、考えてほしいと思った。
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