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主(ぬし)は今、なにを思う。

それは、とある公園の木。

枝分かれている場所が低〜いの🌳💕

堂々とした佇まいで
子ども達を、そこに訪れる者達を
見守っている。

15年前のそのぬし
たくさんの子ども達に囲まれていた。

なのに、今は誰も寄りつかない。
それは何故か?

ある日、看板が立てられたからだ。
『この木に登るべからず』と。

それまでの主は
毎日子ども達が順番待ちする程の人気者で
近所の子ども達が
木登りデビューするのは、この主である
といっても過言ではない程だった。

そんな看板を立てられて以降は
木登りしたい子達が
まるで悪いことをするかのように
人の目を盗んで主に登る。

大人達にとって
看板を立てる大切な意味があるというのは
重々承知だったが…
〝いつも登っていた主に登るのは悪いこと〟
ルール変更された子ども達を
不憫に思ったのも、事実だ。

看板が立てられたのは10年ほど前。
今となっては
この主に登ろうと思う者は
1人もいないように見える。

それどころか
主を見て立ちどまる人すらいない。

15年前は、あんなにも子ども達から人気者で
来る者を拒まずに受け入れていた主。

今はなにを思うのか。

〝来る者拒まず去るもの追わず〟
ということか。

久々に主を見た私は、少し哀愁を感じた。



子どもが公園に遊びに行くのは小学生くらいまで
ですよね。

我が子達が小学校高学年くらいの頃
看板が立ちました。

この主に
「木を登る」ということを教わった我が子達は
しばらくの間、たまにですが
人の目を盗んで主に登っていたようです。

この件を通して、なんだか…
主には木登り以外にも教わった気がします。

今現在、看板はありません。

いつから看板が無いのかは分かりません。
ただ、この主に登ろうなんて思う子達が
今はいない
という事実だけハッキリしています。

広場では『球技禁止』と書かれ
花壇には『触らないで』と書かれ
なんとも息ぐるしい社会だなぁ…などと思う反面
何故書かれているのかは想像できてしまう。

ゴールが無い、そして
とりとめのない話になってしまいましたが
久しぶりに公園の主を見て
書かずにはいられませんでした。

読んだ方に、何かが伝わればいいな。

あなたの心の散歩に寄り添えたかしら🕊𓈒 𓂂𓏸

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまたね。


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2022年3月にスタートしたお試しマガジンです。 かろやかに生きるって何だろう…と、きっと思われるでしょう。 かくいう私も試行錯誤しなが…

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