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私はnoteを心の拠り所ではなく置き所にしている。

noteさん、10周年記念おめでとうございます。

これからも、「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」ためにnoteはあり続けます。

『インターネットでの発信にもっと安心を。』
note公式

誰もが創作を始めることのできる
場所を提供してくださり
続けられるようにするために
これからも努力し続けてくださると
宣誓のような締めの言葉でした。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。




書くことは向き合うこと


15年ほど前、私は別の場所で
ブログを書いていたことがあります。

それは雑記ブログで
お出かけ記事・子育て記事・日記のような記事を
書いていました。

当時は、ブログを書くために出かけたり
子どもを通して感じるものをアウトプットしたり
いろんな人と出会うことでの驚きなど
題材になりうる〝なにか〟の出来事があって
続けていたように思います。

出来事のすべてがブログネタでした(笑)

ただ...長男が不登校になった頃
心と体のバランスを保つのが難しくて
すべてを遮断したくなり
一旦、書くことをやめました。

書こうと思えば書けたと思いますが
心のもやが晴れない状態では
記事と向き合うことはできません。

無理をしてまで記事を公開することに
何の意味があるのだろうと
答えを見出すことができなかったのです。

今思うと
これは、自分が脱皮するために必要な別れで
私の場合
そういう書き方では続けられないと
思い知ることもできた一件です。

そうした道を歩いた私は
もう一度なにかを書くならば
ただの日記を書くのではなく
日常にある一節を
自分なりに丁寧に紐解いていきたいと思い
それを書く場所にnoteを選びました。

同時に、noteには
きちんと読んでくださる方がいるだろうと
思ったからです。


note


〝私ならどう書くか〟
〝私ならどう受けとるか〟

自分の記事を投稿するにも
どなたの記事を読むとしても
それらと向き合うことになります。

ハッキリ言ってnoteが無くても
生きることはできます。
(noteさん、すみません<(_ _)>☆)

noteが無いから
暮らしに困るというものではありません。
でも
自分の日常を豊かにする〝なにか〟の中に
noteはあるかもしれません。

そんなnoteという場所で
自分の内側を書き続けていると
それらはまるで自分の分身のようで
どこか愛おしいような気持ちさえ
芽生えてくるものです。

この時はこんなに悲しかったんだなとか
この時は笑顔に溢れていたなとか
記事を積み重ねる度に
「その時の自分」が積み重なっていくのです。

このnoteという世界でできることって
たくさんあるなぁとあらためて思います。

noterの数だけ
様々な目的があり
似ている発信でも層が違ったりします。

本音を書いている人がいる一方で
空想に徹底する人もいます。
ビジネス発信の人もいるし
創作物発表の場所にもなります。

現在、noter3年生の私。
私のnoteでの記事の主な題材は
外ではなく自分の内側。

大抵、文章の奥に
伝えたいことがあって書いています。

それに対して
「駄作だ」という人も
「素晴らしい」といってくれる人も
いるのでしょう。

色々と自分なりに
ここまで言葉と向き合ってきて
今の私は
「伝えたいことがあって書いているんだ」と
思うからこそ続けることができています。

私の『創作する』ということは
自分が書き続けられる自分のカタチを
探していくのみ、です。


おわりに


あなたはnoteで何を伝えたいですか。
何を読みたくて
何を知りたくて
誰と関わりたいのでしょうか。

所詮、人生は心一つの置きどころ。
人間の心で行う思い方、考え方が、人生の一切を良くもし、悪くもする、というのが人生支配の根本原則である。

思い方や考え方が積極的であれば、積極的なものが出来、消極的なら消極的なものが出来る。
何事においても、そのときの心の状態が、成功を生み、また失敗に追いやる。

『運命を拓く』中村天風

最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまたね。

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