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これでいいのだ。
私が子どもの頃に見た「天才バカボン」は
単なるギャグアニメでした。
大人になった今の私に見える「天才バカボン」は
名言の数々が転がる
哲学アニメだったのです。
詩人谷川俊太郎先生とのコラボ
自分トフタリッキリデ暮ラスノダ
自分ノパンツハ自分デ洗ウノダ
自分ハ自分ヲ尊敬シテイルカラ
ソレクライナンデモナイノダ
自分ガニコニコスレバ
自分モ嬉シクナッテニコニコスルノダ
自分ガ怒ルト自分ハコワクナルノデ
スグニ自分ト仲直リスルノダ
自分ハトッテモ傷ツキヤスイカラ
自分ハ自分ニ優シクスルノダ
自分ノ言ウコトサエキイテイレバ
自分ハ自分ヲ失ウコトハナイ
自分ハ自分ガ好キデ好キデタマラナイ
自分ノタメナラ生命モ惜シクナイ
ソレホド自分ハスバラシイノダ
きっと子どもの頃には
理解できなかった言葉たち。
当時は「〜なのだ」に引っ張られて
意味を見出せていなかったなと思います(笑)
この詩は、シンプルにいえば
自分を大切にして正直で在るってことですよね。
でも
それが簡単なようで難しいことがあるってことを
大人になると痛感する時があります。
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『自分の目に映る自分と、どう向き合うのか』
そんなことを「天才バカボン」の作中で
問いかけてくれていたとは知りませんでした。
「これでいいのだ」
この名言は
作品を知らない方も耳にしたことがあるという
言葉ですよね。
これでいい、とはなんぞや。
やはり、子どもの耳には
「ま、いっか」に似たような感覚で
どこか楽観的に聞こえてしまい
言葉の奥にある真意のようなものは
届かない気がします。
赤塚不二夫先生の葬儀の際に
タモリさんが述べた弔辞の一部を載せます。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。
生きている間に
私は心の底から「これでいい」と思えるだろうか。
きっと、今は
その前段階を歩いている気がします。
〝あるがままに前向きに肯定し、受け入れる〟
これは、かなり自分と向き合うことです。
〝前向きに〟がポイントですね。
そうやって向き合ってみて
「本当にこれでいいのか」と思うかもしれません。
だけど、そんな風に思うことすら
「これでいいのだ」なんですよね。
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おわりに
あの時見えていたもの
あの時は見えなかったもの
今見ることができるもの
今失ったと感じるもの
天才バカボンを思い出しながら
自分の内面の成長などを感じました。
もちろん、歳を重ねることで
失ったものや衰えゆくものもあります。
そうやって
生きているということ自体を楽しんで
その先にある最期の時に
「これでいいのだ」と思えますようにと
願うばかりです。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまたね。
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