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李家に生まれて #12

本格的な中国語学習が始まった。
19から台湾に行き、語学学習から始まり
あれよあれよと約7年ほど留学していた。
この期間中、「ことば」の学習はゴールの見えない道のようだった。
語学学習は知識だけではなく自分との向き合うポイントもくれた。
「未知の言語」ではなかったので、より自分と向き合うことになったのだ。

台湾での中国語学習は私が3歳くらいまで家で学習していた
「注音記号」という発音記号を使う。
小学校1年生の五十音のように、これを覚えないと先に進まない。
私はありがたいことに古い記憶もあり、脳も若かったので
吸収は早かった。
家で教わっていたよりも丁寧に、歯や舌の使い方を細かく知ることで、
聞くだけより詳細に発音の違いに気がつくことができた。
家で日本語以外の多言語が話されていた環境がここで功を奏したのかも
とうっすらと自分の家庭環境に感謝し始めた。
約7年の滞在で培われた私の中国語能力は
想定外のシチュエーションをもたらした。

私の発音の仕方は台湾の現地人からよく香港人に間違われるのだ。

例えばタクシーにて
「○○(行先)に行ってください」
「ん?あなた香港人?」
「いいえ~、私は日本人ですよ」
「それなら相当発音がうまいね!すごい!」
「いやあ~それほどでも~どうもどうも~」

というやりとりが行われるのが常である。
正直はじめは私はやはり発音でも「台湾人」にはなれないし、
でも血は日本人ではないし。。。所詮発音は華僑レベル・・・
などとうじうじと落ち込んだ。

あるとき
「日本人でありながらも中国語がうまい人」
というポジションはなんともおいしいのでは?
と思い至る。
承認欲求を満たし、台湾の人の「日本人」への温かいまなざしを感じられ、
いいことづくめだということに気がついたのだ。

あえて自分が何人だと固執する必要がない。
なぜなら多くの人たちにとって、私が何人であるかは重要ではないのだ。
私が勝手に一喜一憂しているだけで
むしろこの立場を使えば、ものすごく生きやすくなるのではないか?

そう気がついてから、揺れる自分を少しずつ楽しめるようになった。
一期一会の関係性であれば「日本人」
タイミングを見計らって「台湾人」のアイデンティティを出す。
特に「台湾語」という台湾の中での「閩南人」のアイデンティティが
日常会話でインストールされていたので
丁々発止のやり取りが可能になった。

自分の弱さと向き合う前に、だれからも愛されるための武器を手に入れた。

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