見出し画像

自傷行為、自責の念に溺れる

リストカット。
薬物乱用。
オーバードーズ。
摂食障害。
形は違えど、すべて自傷行為である。

上の単語を聞いた時、あなたはどう思うか。
「気持ち悪い」と思うか。
それとも「安心する」と思うか。
私はどちらとも言えない。
自ら選択肢を与えておいて
果たしてそれはどうなのかという話であるが。

リストカットは「生きるため」なのか

時たま、ふと検索エンジンで「リストカット」と
検索することがある。

そうすると、大方1番上に
「1人で抱え込まないで」
とSOSダイアルが出てきて、
その下にも同じような見出しで同じような内容の
公的機関のサイトが続いている。
そしてそれと同じくらい多く、
「リストカットは生きるためのもの」
と語っているサイトが多く見られる。

正直私はこの言葉に納得がいかない。
本当は今すぐにでも死にたい。
だけど勇気がない。
こんな自分の卑屈さが
気持ち悪くなり、
いらだち、憂鬱になる。

昼間あった出来事でいちいち落ち込む。
いちいち反省し、また憂鬱になる。
毎日死にたくなる。
でもやっぱり勇気がないから、
少しでも自殺に近づくためにカッターを取る。

私にとって、自傷行為は
「生きるため」ではない。
「死に近づくため」にするものである。
はっきり言うと、私にとっての自殺行為である。

辛い記憶の上書きをしていた

本当に辛い時、私はいつも同じような夢を見る。
内容は、「これまであったトラウマ、不満や憤りをすべて肯定してもらう」こと。
その内容は、相手が誰にしろ変わらなかった。

これは一体どういうことなんだと思っていた。
何故こんな夢を見るんだ、と。

ある時、ふと手にした心理学の本に
このように書いてあった。

「カウンセリングで無理にトラウマの記憶を思い出させようとすると、存在しない記憶が産まれることがある」
「強いストレスを感じると、その記憶が抜け落ちることがある」

この二文を読んだ時、
私は何となく「同じようなことかもしれないな」と思った。
あくまでも仮説であるが、
私は、自らの辛かった記憶を上書きするために、自分の体験したことすべてを肯定される夢(=存在しない記憶)を繰り返し見たのではないか。

それはきっと、
自分の知人の中で 、
自分のすべてを肯定してくれる人がいないことの暗示であったと思う。

自己正当化、理解者、自責

心配されたい。
甘やかされたい。

特に子供の頃の環境が悪かったなどというわけではないけれども、
こういうことを考えてしまう。
どうしてこんなことも出来ないのか。
過去のトラウマに囚われたままで
自分は何も出来ない。

勉強だって人よりやっているはずなのに。
成績はいつまでも上がらない。
なにかする度にいちいち陰口を叩かれた記憶が、
なんとかして出した言葉を無視された記憶が、
大人から人格さえ否定された記憶が、
いつまでも脳裏にへばりついて、

勇気を出せないでいる。

リストカットの話なんてしたら嫌われるだろう。理解者がいないのだと思う。
あぁ、いつ連絡しても会えるような、
本名さえ分からないような謎の良き理解者がいれば良かったのに。

そんな人がいれば、とっくにこんな場所から逃げ出せただろうに。

つくづく自分の不運を恨む。

理解者うんぬんの前に、
学生生活で友人と遊んだことは
いまだ2回しかない。
そもそも、中高一貫であるために、
住まいの位置の関係で遊びづらいのであろうと
自分を正当化しようとしたけれども、
クラス、また廊下を歩いていると
1日1回は「今日カラオケ行こうよ」という会話が聞こえてくる。
自分は惨めである。
カラオケなんて友人と行ったことがない。
当たり前の青春すら過ごせていないのに。
当たり前の日々も送れていないのに。
周りが輝いて見える。

「いやいや、自分は何も出来ないから」
と言っている人でも、
実は歌が上手いとか、
小説書いてますとか、
絵が上手いですとか、
何かしら特技がある
のに。
自分は何もない。
空っぽで。
いつまでも。
全く、どうしようかねぇ。

幸せは贅沢なものなのかも

こんなに最悪な人生であるが、逆に
「幸せを人一倍贅沢に感じられる」時がある。

私には持病があり、総合病院にかかっている。
総合病院の人々は皆優しい。
だから病院の日は、とても楽しみである。

まず病院に着いたら採血へ。
出す腕だけは間違えないように。
キズが見えたら大変だから。

病院は大きいから、
採血もちゃんと生理検査室というところで
ブースに別れて採ってもらう。
窓口みたいな。伝わりづらいねぇ。
毎回誰に採血してもらうかはランダム。
だが、私はそこで何故か毎回同じ人に当たる。

非常に優しい人。
本当に、同じ空間にいられるだけで
幸せになれる。ハッピー。
服をかわいいと言ってくれた時は
すごく嬉しかった。
3日くらい忘れなかった。

そして診察。
主治医が何を言っても褒めてくれる。
嬉しい。
え!そんなことしたの!すごいね!
すごい!!!!!!!


褒めすぎだろレベル。
自己肯定感がとっても上がる。
(翌日になれば下がるけれども……)

私は病院ひとつでイキイキできる。
我ながらいいんじゃないかと思う。
こんなふうに思えるなら。
辛い思いの代わりに、幸せを贅沢に感じられる。
それは良かったと思う。
でも、もっと言えばずっと幸せでいたい。
よろしく、神様。


リストカット。
薬物乱用。
オーバードーズ。
摂食障害。
形は違えど、すべて自傷行為である。

上の単語を聞いた時、あなたはどう思うか。
「気持ち悪い」と思うか。
それとも「安心する」と思うか。
私はやっぱりどちらとも言えない。
当事者になる前から。
なったあとも。

それはきっと、
自傷行為を心の拠り所にしてはいけないという
自分の中での自制心
からであろう。

自傷行為を心の拠り所にしたら、
きっとエスカレートしてしまうから。
そして、自分の命を失いかねないから。

これから夏になるけれど、
腕は出せないから今年は長袖生活だろう。

全く大変だ。ぶっ倒れちゃうよ。
でも私は、こんな経験でも
今後の糧になると思っているし、
そう信じている。

「お前が死にたい今日は、
誰かが死ぬほど生きたかった明日だ」
なんちゅー言葉が響かないひねくれた私から。
自分を傷つけないでほしい。
せめてあなたにだけは、生きていてほしいなと。

もしあなたが
自分のことを無価値だと思っていても。

価値がなくても生きてていいんでっせ。
知ってた?

辛いことがあれば、
ペッパーランチを貪るのが吉。

美味しいからね。
マックでもいいよ。
程よく生きましょ。

それでは、さようなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?