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英語だけで働く職場で、私は英語で考えているのだろうか?

はじめに

私はサラリーマンとして働いています。
よくあるふつうの会社です。ただ言語が日本語ではありません。
仕事をしている間はずっと英語を使っています。会話だけでなく、行き交うメールや書類もすべて英語です。朝のミーティングや社内会議も英語で行われます。10人いるチームに日本人は私しかいません。
仕事中なので頭を使います。同僚との会話とか、メール文とか、いろいろな書類を読んだり。会議にも出ます。
そんな中、ところで自分の頭は仕事中どんな言語を使っているのだろう?と考えてみました。

英語で過ごす、私の職場での一日

ムダ話、朝のミーティング

会話がある場面です。
即答力が要求されます。日本語でムダ話をするときと同じレベル同じスピードで英語を聞いて話しています。
英語で即答しているわけですから、見方によっては、もしかすると、英語で考えていると言えるのかもしれません。
でも、自分の感覚としては「とくに考えていない」です。思い浮かんだ感情なり意見なりをただ言葉に発しているだけです。その言葉が英語になった、という程度の認識です。

メールを書く

軽い内容の場合は、ざっと英語で書いておしまい、です。
重めのメールの場合、慎重にかかります。まず英語で書いて、翻訳ソフトで日本語に訳してみて、思った通りに書けているかをチェックします。
間違って伝わると後でとても困るような重要なメールの場合は、上で記したような作業を数往復やります。英語で書いて、翻訳して、また英語を微調整して、という感じです。
日本語に訳すのは、内容をよく確認するためです。日本語で考えています。

ちなみに、英文メールを書く場合、日本語で書いて英訳する、という方向で作業をすることは、私の場合、ほとんどありません。
メール文のお作法が違いすぎるからです。
私の感触ですが、日本語のメール文はお手紙の要領で書かなくてはならないのですが、英語のメール文は会話文に近いのです。なので、会話のような要領で、まずはさっと英語で書いてしまっています。

書類を読む

1-2分で読めるものは、そのまま英語で読みます。
自分がよく分かっている分野の場合も、そのまま英語で読んでおしまいです。
自分にとって難しい分野の文章は、まず日本語に翻訳して読んで内容を理解し、そのあとで英語で読んで自分の理解が正しいかを確認します。そのほうが速く確実だからです。
英語で読んでから日本語訳を読む、ではありません。

契約書とかマニュアルとか、読み間違うと痛い目に遭うような種類の書類があります。そういう書類は、ためらわず、まず日本語に翻訳して読みます。英語で読むのはそのあとです。そのほうが確実に理解できるからです。

仕事のことで誰かと話す

仕事の指示を出したり、仕事の相談をしたりする場面があります。会話なので瞬発力を要求されます。ムダ話と違うのは、思考が必要になることです。

このとき、ゆっくり考えながら話しています。
いろいろ考えつつ話すのですが、このとき、おそらく私は日本語で考えています。思いつく内容が日本語なのです。
話したいことについて、対応する英語がすぐに思い出せない場合も時々あります。しかし、話している場面では思い出すために沈黙したりできません。そのため、たとえば、こういう時に使うああいう物なんですけど、といった形にして、英語で話してみています。

会議、カンファレンス

内容の吸収と理解が最優先です。
頭をフル回転させています。重要なパートについては、一字一句聞き逃さないように耳を立てています。
途中で分からないことがあったら、とりあえずメモしておいて、その場では聞くことにとにかく集中しています。

この「聞いている」場面では、情報を吸収することに集中しています。
あとで思い出しやすいようにメモを取りますが、たいてい日本語の単語でメモしています。
自分の専門の場合は特にそうなのですが、英語で耳から入っているはずなのに、入った瞬間、日本語で頭に保存されているのです。そのため、聞いてすぐなのに、メモしようと思って紙に向かうと、ぱっと出てくる単語は日本語なのです。不思議です。
(どういう仕組みでそうなっているのか、とても知りたいです。)

会議では時々いきなり発言を求められたりします。
会話の時と同じで、即答力を要求されます。ただ、ムダ話の時と違い、何らかの内容を理解しておかなくてはなりません。
仕事の会話をする場面と同じで、ゆっくり考えながら話します。

私は英語で考えているのだろうか?

とくにじっくり考えなくてよい場面があります。会話が発生するような場面がそうです。
そういう場面で英語を使う場合、私はとくにじっくり何か考えているわけではありません。思ったことが英語で出てきます。
これは果たして、英語で考えている、と言えるのでしょうか。なにしろ、考えていないのです。

いっぽう、思考を要求される場面では、私は確実に日本語で考えています。
込み入った内容についてメモを取るとき、よく分からないマニュアルを読むとき、頼りになるのは日本語のほうです。

どうやら、私の頭は日本語で思考するように作られているようです。


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