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有楽町発、朝日新聞の発信地を訪ねる

朝日新聞の発信は有楽町から

 朝日新聞社が以前は有楽町にあったのをご存知だったでしょうか?先日、朝日新聞社が有楽町に本社屋があったことを記した記念碑を訪ねました。現地へは地下鉄で向かいました。有楽町とありますが、最寄り駅は銀座駅でC4出口すぐ(現在閉鎖中の為C5が最寄り)。訪ねたきっかけは、年末に書いた『新聞(紙)を読まない人が「新聞発祥の地」めぐりをしてみた』で新聞の史跡に興味を持ったからです。。。
調べてみると他にも多くの新聞史跡があると判明し、訪ねることに決めました。前回、記事にした『東京の中心部で見つけた!『新聞創刊の地』も併せてお読みください。

朝日新聞をざっくりと

朝日新聞の年間発行部数は、日本の総発行部数の約20%。273拠点の取材網を設ける全国紙の一つです。村山龍平氏が大坂で創業し、1888年 (明治21年)7月10日に「東京朝日新聞」を創刊、東京へ進出しました。当初は、銀座6丁目に社屋を構えていましたが、関東大震災後の1927年(昭和2年)3月に有楽町へ社屋を移転しました。

朝日新聞東京本社跡 記念碑

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上の画像:朝日新聞東京本社跡の記念碑

記念碑にはこのように記しています。

朝日新聞社は一八七九年(明治十二年)大坂で創業
九年後に東京に進出し、本拠を現在の銀座六丁目に置いた。
社勢の伸張に伴って、ここ有楽町に東京本社を移したのは、関東大震災の復興なお半ばの一九二七年(昭和二年)三月であった。
その建物は当時の最高傑作とうたわれ、外濠に影を落とした景観は東京の新名所となった。以来、半世紀の戦争と敗戦をふくむ波乱の時代を通じて朝日新聞の言論・報道活動の中心であり続けた。今日、世界有数の新聞になるに至った歴史は、この有楽町の地を抜きにしては語り得ない。
しかしながら、社業の発展とともに社屋の狭隘と不便さは限界に達し、一九八〇年(昭和五十五年)九月をもって築地に移転した。
創業者の村山龍平はじめ万余の社員・関係者の汗と感慨のにじむこの地に新時代を象徴する巨棟を建設したのを機に、一文を掲げて末永く記念するものである。
一九八四年十月 朝日新聞社

1980年に築地へ移転、新聞の印刷工場を併設した社屋から管轄エリアの東日本・全国へ情報を発信しています。

有楽町社屋の現在

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有楽町社屋に隣接する日本劇場とともに解体され、1984年(昭和59年)に有楽町西武(現・そごう西武)と有楽町阪急(現・阪急メンズ東京)が核テナントとして「有楽町マリオン」がオープン。2010年に有楽町西武に閉店後、ルミネが入居して現在に至ります。

アクセス

住所: 東京都千代田区有楽町2丁目-5-1
最寄り駅:*JR山手線 有楽町駅 中央口・銀座口徒歩3分
     *東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線 銀座駅 C4出口すぐ

参考資料

朝日新聞社 https://www.asahi.com/corporate/guide/outline/11208885 最終閲覧日 2021.5.22
朝日新聞東京本社 メディアビジネス局 『朝日新聞媒体資料 DATA FILE 2021』朝日新聞社
一般社団法人 日本新聞協会 『データブック 日本の新聞2021』

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