#21 青春18きっぷ
霧雨の降る中、水が塚からのシャトルバスが目の前を通り過ぎてバス停で止まる。乗客はご婦人一人。登山者?と思ったが、バスから下りてきたご婦人は、長袖のシャツにズボン、スニーカー、ポシェットを肩にかけ、右手にビニール傘というラフな服装。鳥居奥の案内板をみて、フーンというような表情して、こちらに来た。「こんにちは。散策ですか?」と声をかける。「静岡に来て三日目だけど、一度も富士山を見ていないの。ここに来れば見えると思ったけれど、何も見えないわね」 ここで中畑さん、「富士山は女性です。素敵な女性には嫉妬するんです」 「まさか!」と言いながらまんざらでもなさそう。
「この鳥居から御殿場口登山道が始まります。歩いて15分ほどで大石茶屋という山小屋があります。そこまでプチ登山を体験しては如何でしょう?」と提案すると、
「それもいいわね。行ってみるわ」と妙に明るく答えて登って行った。ご婦人の姿が鳥居奥の森にきえた後、「なにか怪しい雰囲気だね?」というと、皆も同様に感じていたらしい。
登山者・下山者・観光客の相手をして気がつけば2時間が経っている。ご婦人はまだ帰ってこない。思いきって大石茶屋に電話してみた。服装の特徴などを伝え、「帰りが遅いので心配になって・・・」というと、「はいはい、いらっしゃいますよ。ゆっくりされてます。まあ、いろいろご事情があるのでしょう」との返事に、胸をなでおろす。? それから小一時間して、ご婦人は帰ってきた。開口一番「上は寒いわねえ。温かいお蕎麦が美味かったわ」と我々の心配など知る由もない。
「私はいま、旅をしているの。青春18きっぷっていうのご存じかしら。JR全線共通の普通列車自由席券で5回乗り放題。7月に買っていたんだけれど使用期限が9月10日までだから富士山を見に来たの」
「青春18きっぷですか」
「そうよ。静岡に三日間いたけど富士山が見えなかったから、いまから琵琶湖でも観に行くわ」
「琵琶湖ですか」
「そうよ、滋賀県」
なんと大胆・無計画。それが旅と旅行の違いなのか。と感心していると、御殿場駅行のバスが定刻通りやってきた。「それじゃあ、また青春18きっぷで来るわね、富士山を観に」と手を振りながらバスに乗り込んだ。バスが発車して森の陰に消えた時、萩原さんが「富士山が見える」と。振り返ると、朝から厚い雲のベールに隠れていた富士山が、うっすらとだが雄大な姿を現していた。
「富士山も最後の最後に別れを惜しんだのかなあ」「彼女、観えたかな?」「振り返っていれば見えているよね」 「どちらでも良いじゃない。また来るって言ってたから・・・青春18きっぷで」
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