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飽和を終えた。季節が変わった。東京に帰る覚悟がついた

オーストリア、ウィーン、2024年。3月31日。日曜日。19時34分。
部屋で何年かぶりにCharaを聴いて涙が出た。
何年か前の春に聞いた歌だ。確か高校生。

春はたまに鋭く胸に刺さる痛みに苛まれる
寒かったり暖かくなったり。もて遊ばれているような季節。
YUKIの坂道のメロディを聴くと、当時観ていたアニメと共に、その自分の気持ちもぶわっと蘇る。
心地よさがくる時もある。感情の波で抑えきれず涙が溢れてくる時もある。
曲と時間が持つもので、開いてみないとわからないものだ。

ワインを飲みながら、有線でヘッドフォンをつけて、文章を書くのもいいものだ。これはいい趣味になるかもしれない。
良い音楽、その時に合った心の音楽が見つからない時もある。
今日は見つかって良かった。

ウィーンに来てから、まあ、1ヶ月に1回は体調を崩してはいるけれど、
東京にいる頃も体調はいいわけではなかった。
どこか失望と共に生きていて、限界の時は河川敷を歩いた。
夏に一緒に花火をした子に、ここは河川敷とは言えないのでは?と言われた、そのくらいこじんまりとした河川敷。私は好きだ。

昨日まで、口の中の痛み(激痛)で丸1週間ダウンしていた。
今日もまだ少しだけ完治していないから、家を出なかった。

3月が今日で終わりだった。
知らなかった。
31日。日曜日。まあ、年度の最終として、デトックスとして
涙もたくさんしたし、自分に対して、ウィーンの世間に対して、怒ったし、
それを経て、穏やかに昔のあわい気分を思い出し感傷に浸りながら今の時間をすごせて良かった。明日はどうやら4月1日らしい。

昨日の自分にその言葉をかけれるかまだわからないけど、
時期的に良かったんだと思う。春が来たんだ。
冬から春へ移行する最後の試練だったんだ。

ああ、実家の近くの河川敷に行きたい。
中学か高校か、弟も母も履いている私の体育着の短ズボンのジャージをはいて、ビーサンをつっかけて、いつかの体育祭のでかい半袖を着て、鼻のパッドが片方取れている、くたびれたメガネをかけて、適当に髪を結んで、
適当に。適当に。ケータイとイヤホンを持って。河川敷を歩きたい。
期待の入り混じる、ぬるい、春の陽気を感じたい。
鬱な気分の時に行く川だった。早くどこかに行きたかった。いつも。
いつもその川を見て、どこか遠くへ行きたかった。
私は今、ウィーンで、陽の落ちた藍色の空を団地の合間から、窓に映る少しの自分の部屋と共に、マグカップでワインを飲み。どこかに行きたくてしょうがなかった、あの河川敷のことを考えている。

昨日よりも深く呼吸ができる。良かった。


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