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渾身のプロテスト映画 大島渚監督『戦場のメリークリスマス』

「デヴィッド・ボウイの美しさ」「坂本龍一、ビートたけし、内田裕也など、当時役者でなかったキャストによる新たな魅力」としての映画レビューが多く見られる。そういった映画の要素は手段に過ぎない。この映画の目的たるメッセージは、4Kデジタルリマスター版のポスターにあるように「戦争の闇」である。兵士にもたらされる傷は戦闘によるものだけではなく、かつそれは日本人によってもたらされたものだった。

「戦闘シーンのない」がキャッチフレーズのこの映画は、しかし、最初から最後まで、目を覆いたくなるような体罰・拷問・暴力の場面で紡がれることになる。病人の捕虜すら、「タンカを使うな!歩け!」と怒鳴られているのである。日本で見ていて、「戦時中なのだから仕方ない」と思う向きもおられるかもしれないが、この映画でははっきり否、と言っている。捕虜の取りまとめ役であるヒックスリー(ジャック・トンプソン)は、「ジュネーヴ協定に違反しているからできない」と拒否しているのだ。私はこの協定の存在と内容を、この映画で初めて知ったが、たとえ戦争捕虜であっても、最低限の待遇は保障すべきである、という趣旨で作られたルールであることがわかる。ある日、日本兵が、捕らわれたジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)を連れに来たとき、セリアズは彼らの前で、顔を洗い、ひげをそって、身なりを整える「しぐさ」をする。日本兵はポカンと見ているが、「捕虜にも人間らしい生活をする権利がある」ということを、言葉を使わずに伝えるシーンなのだろう。

また、この映画で日本人と、外国人捕虜たち(主にイギリス含むヨーロッパ人)の信仰・宗教は、重要な核となる。捕虜として捉えられることを「恥」とする思想は、クリスチャンであるローレンス(トム・コンティ)によって否定される。恥ではない、運が悪かっただけだ、と。それに対してハラ軍曹(ビートたけし)は、「俺はいつでも命を捨てる覚悟で戦ってきたんだ」と言うも、ローレンスはこう答える。「でも、あなたはまだ、死んでないじゃないですか」…。自分は死ぬ覚悟をする、という思想は、他の誰かを死なせる大義名分になりうる。「美学の裏にある、他の存在への残酷さ」を端的に指摘した、見事なセリフだと思う。

クリスマスの日、ハラ軍曹はしこたま酒に酔い、ローレンスとセリアズを釈放するも、ケタケタ笑いながら「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」と彼らに言う。それを見て、セリアズの言ったセリフ(字幕)は「狂ってる」だった。クリスチャンにとって最も大事な日であるクリスマスに、酔っ払ってバカにしたような「メリークリスマス」。つまりこの映画のタイトルは、戦地への捕虜に対する残酷な仕打ち、またとんでもない侮辱を表したものと考えている。

日本軍の行いは、誇張されたものだったろうか?私は観ながら、入国管理局で非人道的な扱いを受け、苦しみ抜いて亡くなっていかれたという、カメルーン人男性やスリランカ人女性のウィシュマさんを想像せずにはいられなかった。未だに国連から扱いの指摘を受けても改善されていない状況である。戦時中の方がマシだったとはとても考えられない。

一方、日本人ばかりの非道さが描かれるわけではない。捕虜となったセリアズにも暗い過去があった。子供の頃、村の仲間にリンチを受けた彼を、大人を呼んで助けてくれた心優しい弟。そんな弟が学校に入学した頃、歓迎会と称して大勢から寄ってたかっての辱めを受けた弟を、セリアズは見殺しにした。弟の美しいボーイソプラノは、それ以降聞かれることはなかった。

それにしても、ヨノイ大尉を演じた坂本龍一である。天才的な音楽家にして、あの社会運動に積極的に参加し発信し(私は坂本の言動全てに与するわけではないけれど)、弱者に寄り添おうとしてきた、あの坂本龍一である。捕虜という以上に相手が男性である故の恋心をひた隠し、血も涙もないヨノイ大尉を、どのような心中で演じておられたかと思うと万感迫る気持ちである。それだけに、公式サイトでの坂本美雨氏のコメントには心底失望した。あのように残酷で屈辱的な死に方をしたセリアズの姿のどこに、「歌で救われた」と感じたのか。また、公式サイトの説明では、ヨノイ大尉がセリアズに「次第に惹かれていく」とあるが、ヨノイ大尉がセリアズに一目惚れしていることは明白だった。セリアズが初めて顔を出した直後のヨノイ大尉の虚な瞳、罪状を読み上げる声がだんだんぼんやりして、耳に入っていないことを表す演出、傷を受けた背中を見て生唾を飲む様子、また他の兵士同士、「なぜセリアズを助けたのかわからない」というセリフ。決して「次第に」惹かれたわけではないことは、あらゆる表現で伝えられたと思うのだ。そしてその恋心を押さえつけひた隠しに隠さなければいけなかったということも、ひとつの悲劇ではなかったか。

配給会社による説明や翻訳が的確でないこと、映画を扱った情報誌や記事でも、説明が的を射ていないと感じることはときどきある。映画を理解するーーー少なくとも、自分の頭で考えるーーーためには、これらに囚われすぎないことも必要だ。映画というメディアで闘ってきた大島監督のメッセージについて、私個人は以上のように受け止めた次第である。

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