見出し画像

自分を自分らしく受け止めていく

どのようにしたら、自分の姿を自分らしく受け止めていくことができるのだろうか。イエスの母、マリアの姿からみていきたい。

ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

ルカ1:26-27

ナザレという町は、注目されることのない場所であった。何の変哲もない場所。そこで育ったマリアに、神は目を留められた。

御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

ルカ1:28-29

ひどくとまどったマリア。そして恐れた。

神はあなたともにいる、という言葉を聞いたとしても、人はとまどい、恐れることがある。

神はあなたに祝福を与えたい。しかし、それがパッと入ってくるわけではない。
どこにでもいるような町で育ち、結婚する予定であった。

しかし御使いは、神から特別に恵みを受ける、と言った。

ると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」

ルカ1:30-33

神がダビデに約束した言葉とおなじ言葉。1000年前の約束を覚えている、それが今あなたを通して実現しようとしている。救い主があなたから生まれるのだ。

特別な言葉だ、と思い驚いたはずである。

そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。 神にとって不可能なことは一つもありません。」

ルカ1:34-37

マリアの親戚の話。とても身近なことであった。

神ははるか昔の約束の話もするし、身近である親類の話もする。

マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

ルカ1:34-38

神の言葉が私に実現するように、とマリアは言った。

ナザレという聖書の地名が出てくるまでは、誰も言い残すことのなかった場所。そこに御使いが訪問して、恵みを受けることを伝えた。

大事な存在である、と神から言われてもピンとこないこともあるはずである。
マリアは疑問を投げかけ、御使いの答えに耳を傾けた。

そして神の約束を信じ、受け入れた。

マリアは特別だったのだろうか。
彼女は普通の人であった。無名で貧しい生活をしている人。

私達も、普通の人であるかもしれない。
しかし神は、あなたは尊い存在である神の恵みを受けるのに値する存在である、と語る。

神と話し続ける中で、神の見方がわかってきた。
自分の力だけで自分を受け止めるというのは、中々出来ることではない。

神の目で自分を受け止めることがとても大事である。
自分の評価ではなく、神がどう評価しているかに目を向けたい。

それがこの礼拝の大事な時間。
神が私を見てくれる、そして受け止めてくれる。

それを私達は、思い起こしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?