ライブに身につけて行ったものですら宝物になる感じ
旦那が急に亡くなったり、引越しを7回も経験している事から、【いつでも引っ越せるように物を少なくする】のを心がけているが、先日片付け作業をしていて思った事がある。
娘に自分の持ち物を「要る物」と「要らない物」に分けてねと伝えると、「これは○○君にもらったものだからとっておく」とか(それはいいとして)「これは転校して初めて話しかけてもらって嬉しかった時に持っていたハンカチだから」とか「この服は初めてライブに行った時に持って行ったものだから」とか言って、結局ほとんどが同じ場所に戻る事になる。必要だと思うものだから残すのは当然だから別に文句はないんだけど。
その物を手元に残す理由って、結局【物語】なんだね!!と気づいた。
何だかんだ言っている私も、「要る物」と「要らない物」に分けた時に「要る物」の中に入っているのは、娘とほとんど同じ理由で。ライブTシャツも服もグッズもカバンも、【ライブに行けて、グッズを買いに並んで、美味しいごはんを食べる事が出来たとか、暑かったとか寒かったとか、曲の途中であんな事件があって笑ったなぁとかの物語】があるから要る物なのだ。
もし、突然今記憶喪失になってしまったとして、目の前にツアーTシャツが1枚置いてあったとしても、多分「要らない物」に入れてしまうんじゃないだろうか。ただのTシャツが1枚そこにあるだけだ。
サインが置いてあったとする。それは記憶喪失の人にとっては、ただの紙があるだけと思うかもしれない。
自分には、忘れたくないような楽しい記憶、嬉しい記憶があって良かった。
忘れてしまいたい悲しくて辛い記憶ばかりだったなら、家の中に本当に本当に何も残らないだろう。
その「要る物」がいつか「要らない物」の方へ移動する日がきても、楽しかった記憶、嬉しかった思い出が無かったわけじゃなくて、確かに存在したのだから。
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