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今日は私が歌を好きになった記念日。

もしかしたら、歌が好きなのかもしれない…大好きなミュージカルを思いっきり歌ってみたい。3年前にミュージカルを観に行ってから、歌詞を見ないで歌えるくらいまで歌い込んでいた。「テレビの音が聞こえない」と怒られつつ、いつのまにか私の歌を聴いていたふたりの子どもたちが、ミュージカルナンバーを何曲も歌えるようになっていた。やっぱり私は歌が好きなのかもしれない…歌を習いに行ってみようと決めた。

私が習いに行くか考えていると話すと、子どもたちも歌を習いたいという。それなら親子で習いにいこうかと、子どもたちと習いに行くことになった。

上の子は、音を正確に出すのがとても難しい。成長するにつれて、少しは上手になってきたけれど、始まりの音を外すと、そのまま何を歌っているのか分からなくなってしまうこともあるほどだ。だけど私は心に決めていることがあった。

それは、子どもに「音痴」って言わないこと。

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小さな頃、私は家族から「みーこは歌が下手だから」「すごく音痴」「音痴のくせに歌わないで。うるさいから」とずっと言われ続けていた。だから、自分は音痴である、そして歌は上手な人が歌うものなのだと思っていた。歌は音楽の授業だけのものだった。中学校を卒業する頃、カラオケに誘われた。初めてのカラオケだった。母に相談して歌えそうな曲を決めて家でなんどもなんども練習して行った。だけど母が提案した曲はとても古くて「五番街のマリーへ」で誰も知らなかった。流行っている曲はほとんど分からなくて、話に入れずカラオケボックスのすみっこで小さくなってた。

高校も同じだった。カラオケに行く予定が分かれば、家で一曲だけ決めて練習しまくって、もし順番が来たら歌うだけだった。違うのは母には曲を相談しなかったことだ。相変わらずみんなの歌う曲は分からなくて一緒に口ずさめないし、みんなと行くカラオケは全然楽しくなかった。

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大学に入って一人暮らしが始まった。何もかも自由である。免許取得のお祝いに10万で買ってもらった軽自動車は、カセットテープで音楽が聴けた。産まれて初めて、歌うのが楽しいと思った。車の中でaikoやドリカムをガンガン流してガンガンひとりで歌った。アパートでもひとりでカセットテープを流して歌いまくった。ここには「音痴だね」っていう人はいない。自由に歌を歌えるってなんて楽しいんだろう。

カラオケでは好きな歌を自由に歌えると知ってから、カラオケが楽しくなった。ドライブにいつも付き合ってくれる友だちは、失恋カセットテープをつくっていて、その中の曲を歌いまくっていた。でも、つきあっていた彼とのカラオケは苦痛だった。だって彼は歌がすごくうまかったから。自分の番がくるのがすごく嫌で、歌いたくなかった。上手じゃないのに歌うなんて、彼にどう思われるのか不安で、また「音痴は歌ってはいけない」という気持ちになった。

実家に帰っているとき、いつものように歌を口ずさんでいたら、母から

「ずいぶん上手になったのね」

と褒められた。すごく嬉しかった。でも、なんで褒められるくらいに上手になったんだろう。思い当たるできごとは、ない。ただ、好きなときに自由に好きなだけ好きな曲を歌っていただけだ。

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子どもが産まれて、上の子は思った音をうまく出せないことに気づいた。遺伝してしまったと思った。

「我が子には自分が音痴と絶対に気づいてほしくない」

だって小さい頃の私はすごく傷ついたから。そんな思いを子どもにしてほしくない。だから、子どもが歌うときには常に良いところだけ探して伝えるようにした。

「リズムが良いね」
「この間歌ったときより、ずっと上手になってる」
「ここの音程がきれいに取れるようになったね」

上の子はジャイアンの歌を思いっきり大きな声で歌う。「ジャイアンって音痴だよね」って言いながら。Switchでカラオケアプリをダウンロードして、マイクを使って本当に楽しそうに歌っている。カラオケアプリには採点機能もついている。下の子が自分より高い点を取るようになっても、気にしないで自分の好きな曲を好きなように歌っている。

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はじめての歌レッスンでは、

「初心者です」
「音が取れるくらいです」
「でも毎日のように歌っています」
「でもミュージカルが大好きで、あんなふうに気持ちよく歌ってみたいんです」

と、自己紹介をした。先生は、

「すごくなめらかに歌えていて良かったですよ」
「高い音もでていて立派です」
「大きくてきれいな声で音程もしっかり取れていますね」

たくさんたくさんたくさん褒めてくれた。すごくすごくすごく嬉しかった。習いに行くって決めて良かったと思った。またすぐにでも歌が歌いたくなった。音痴の呪縛から解き放たれた気さえした。自分は自信を持って歌っても良いって。でもそれは歌が上手になったから歌っても良いということじゃない。直したいところはいっぱいあるし、先生が言うほど上手じゃないのも知っている。

そして上の子の番がきた。

「よく音を聞けているね」
「今のは大きな声で歌えて良かった」
「何度も聴いてきた曲だから、きれいに歌えるんだね」

先生は、やっぱり良いところを見つけてたくさんほめてくれた。

きっと上の子も、自分は音痴だってことに薄々気づいているだろう。だけど、全然気にしていない。レッスンから帰ってくると「明日からあの曲も歌ってみよう」ってすごく楽しそうに新しい曲に挑戦しようとしていたし、カラオケでは相変わらず採点モードで歌っている。できないところもあるけれど、それでも上手になりたいから歌う。楽しいから歌う。歌ってなんて自由なんだろう。私も自由で楽しんで良いんだ。子どもを見ていて、そんな風に心から思えた。心が軽くなって、小さい頃の私に大丈夫だよ、歌って楽しいんだよって伝えられた気がした。それはきっと誰かに認められたから。良いところを見つけて褒めてもらえたから。

音楽は、音を楽しむもので歌が上手な人だけのものじゃない。私はようやく心からそのことを理解できたように思う。カラオケでは、相変わらずはやりの曲は分からない。でも、大好きなミュージカルナンバーの「夢やぶれて」や「オンマイオウン」を堂々と歌うつもりだ。子どもたちに「お母さんの歌う歌は全部暗い」と言われながら。

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