"Tomorrow Never Comes" 最後だと分かっていたなら。
今日が最後かのように。
ありきたりかもしれませんが、「今日が最後」と思うようにしています。
大切にしたい人たちとの関わりにおいては、本当に毎日意識しています。
夫には「行ってらっしゃい」と「行ってきます」を欠かさないのですが、
「これが、最後なら……」と仮定して
余裕がなくても、目を見て。
可能なら、手を握って、抱きしめて。
大袈裟ではなく、本当にそう思いながら見送り、別れます。
だからこそ、「おかえりなさい」「ただいま」と言えるときは、ほっとします。
また顔を見れたこと、また言葉を交わせたことが、とても嬉しく感じます。
後悔したくないんです。
「今」しかないのだもの。
「今」が本番なのだもの。
可能なら、1秒でも多く、味わい、感じ、愛おしむ時間を増やしたい。
幸せな時間を、深く、長くしたい。
そんな生き方をして、生きていきたいし、死んでいきたいと思っています。
・ ・ ・
Tomorrow Never Comes
オンラインプログラム『チーム数秘ラボ』では、チームごとにやり取りをしてもらっています。
そこでわたしは、チーム活動を突然休止させたり、「明日からチームを超えたペアにシャッフルします」と発表したりするんです。
いろんなことを共有してきた、大切な仲間たちとの唐突な別れ。
明日伝えようと思っていたことが、急に伝えられなくなる状況。
参加者からすると、「ええー!いきなりだなぁ……」と感じられるかもしれません(ごめんね笑)。
でもそれも、主催者であるわたしの「今日が最後かのように」という姿勢が反映されています。
当たり前にやり取りしていた人が、自分が、唐突に消えてしまう。
LINEで投げかけた言葉に、永遠に返信が来ない日が、返信できなくなる日が、来る。
この意図を言葉にしてメンバーに伝えようと思っていた当日に、あるメンバーから「つい数分前に、父が亡くなっていることが分かった」と連絡がありました。
様々事情があって20年以上会っていなかったけれど、今までを取り戻すように交流できたらと、行政を通して連絡を取ろうと動いている、その矢先の訃報だったそうです。
そのメンバーが言いました。
「今日が最後かもしれない」というのは、本当にそうだと。
そして、それを忘れないで生きたいし、それを忘れないで生きてもらいたい、と。
彼の言葉は、ラボの一人ひとりが「他者とどんな姿勢で向き合うのか」を今まで以上に考え、探り、実践していくためのギフトのようでした。
「今日が最後かのように」といえばこの詩(ラボの方でもメンバーの一人がみんなにシェアしてくれました)、という詩をシェアしておきますね。
知っている人も多いと思いますが、10歳で息子を亡くしたというアメリカの詩人、ノーマ・コーネット・マレックによる詩です。
・ ・ ・
このわたしで生きられるのが
最後だと分かっていたなら
今日が最後だと分かっていたなら、人との出会いも、世界の見え方も、そして、自分自身との関係も変わっていく気がします。
自分という存在の五感を通して、世界を見れるのは、音を聴けるのは、香りを嗅げるのは、味わえるのは、世界に触れられるのは、今日で最後かもしれない。
この「わたし」として感情を感じることも、ものを考えることも、どれだけ望んでも叫んでも、不可能になる日が来る。
そう想像してみたとき、同時に浮かび上がってくる、かけがえのないわたしという存在。
いつか引き剥がされてしまうことが決まっているからこそ、この世界を体験させてくれる「わたし」、一緒に体験してくれている「わたし」の温もりに、心身が満開にほころぶ。
互いに寄り添い、世界を一緒に感受する、ひととき、ひととき。
唯一無二の、その感性。
わたし自身との、最後の出会い……。
そう捉えてみるとき、どんな気持ちや感覚になるでしょうか。
数秘についてではないですが、自分として生きていくうえで、とっても大切な前提のお話だと思っています。
どなたか必要な方に届きますように。
日本も本格的に冬がやってきます。
みなさん、温かくして過ごしてくださいね♡
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