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"Tomorrow Never Comes" 最後だと分かっていたなら。

今日が最後かのように。


ありきたりかもしれませんが、「今日が最後」と思うようにしています。

大切にしたい人たちとの関わりにおいては、本当に毎日意識しています。


夫には「行ってらっしゃい」と「行ってきます」を欠かさないのですが、


「これが、最後なら……」と仮定して


余裕がなくても、目を見て。
可能なら、手を握って、抱きしめて。



大袈裟ではなく、本当にそう思いながら見送り、別れます。


だからこそ、「おかえりなさい」「ただいま」と言えるときは、ほっとします。


また顔を見れたこと、また言葉を交わせたことが、とても嬉しく感じます。


後悔したくないんです。

「今」しかないのだもの。

「今」が本番なのだもの。


可能なら、1秒でも多く、味わい、感じ、愛おしむ時間を増やしたい。

幸せな時間を、深く、長くしたい。



そんな生き方をして、生きていきたいし、死んでいきたいと思っています。


先月急逝した義母が育てた小菊たち


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Tomorrow Never Comes


オンラインプログラム『チーム数秘ラボ』では、チームごとにやり取りをしてもらっています。

そこでわたしは、チーム活動を突然休止させたり、「明日からチームを超えたペアにシャッフルします」と発表したりするんです。


いろんなことを共有してきた、大切な仲間たちとの唐突な別れ。

明日伝えようと思っていたことが、急に伝えられなくなる状況。


参加者からすると、「ええー!いきなりだなぁ……」と感じられるかもしれません(ごめんね笑)。

でもそれも、主催者であるわたしの「今日が最後かのように」という姿勢が反映されています。


当たり前にやり取りしていた人が、自分が、唐突に消えてしまう。

LINEで投げかけた言葉に、永遠に返信が来ない日が、返信できなくなる日が、来る。


この意図を言葉にしてメンバーに伝えようと思っていた当日に、あるメンバーから「つい数分前に、父が亡くなっていることが分かった」と連絡がありました。


様々事情があって20年以上会っていなかったけれど、今までを取り戻すように交流できたらと、行政を通して連絡を取ろうと動いている、その矢先の訃報だったそうです。


そのメンバーが言いました。

「今日が最後かもしれない」というのは、本当にそうだと。

そして、それを忘れないで生きたいし、それを忘れないで生きてもらいたい、と。



彼の言葉は、ラボの一人ひとりが「他者とどんな姿勢で向き合うのか」を今まで以上に考え、探り、実践していくためのギフトのようでした。



「今日が最後かのように」といえばこの詩(ラボの方でもメンバーの一人がみんなにシェアしてくれました)、という詩をシェアしておきますね。

知っている人も多いと思いますが、10歳で息子を亡くしたというアメリカの詩人、ノーマ・コーネット・マレックによる詩です。


最後だとわかっていたなら


あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい……「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

Norma Cornett Marek's "Tomorrow Never Comes"


Photo by Frank Mckenna on Unsplash


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このわたしで生きられるのが
最後だと分かっていたなら



今日が最後だと分かっていたなら、人との出会いも、世界の見え方も、そして、自分自身との関係も変わっていく気がします。



自分という存在の五感を通して、世界を見れるのは、音を聴けるのは、香りを嗅げるのは、味わえるのは、世界に触れられるのは、今日で最後かもしれない。


この「わたし」として感情を感じることも、ものを考えることも、どれだけ望んでも叫んでも、不可能になる日が来る。


そう想像してみたとき、同時に浮かび上がってくる、かけがえのないわたしという存在。


いつか引き剥がされてしまうことが決まっているからこそ、この世界を体験させてくれる「わたし」、一緒に体験してくれている「わたし」の温もりに、心身が満開にほころぶ。


互いに寄り添い、世界を一緒に感受する、ひととき、ひととき。


唯一無二の、その感性。


わたし自身との、最後の出会い……。


そう捉えてみるとき、どんな気持ちや感覚になるでしょうか。


数秘についてではないですが、自分として生きていくうえで、とっても大切な前提のお話だと思っています。


どなたか必要な方に届きますように。



日本も本格的に冬がやってきます。

みなさん、温かくして過ごしてくださいね♡


Photo by Roy Javier on Unsplash


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