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【ショートショート】魔法のソファ

「ゴホッゴホッ」

 発熱こそないが、もう一週間近く咳が止まらない。そんなぼくを心配して声を掛けてきたのは、隣の席に座る翔太だった。

「拓也、咳止まらないね。大丈夫?」

 特別なことではない。ぼくは生まれつき体が弱く、季節の変わり目のたびに体調を崩す。大丈夫ではない、そう言ったところで、小学生の翔太にぼくの病気を治せるはずもない。だから、ただぼくは心配してくれたことに対して礼を述べることにした。

「大丈夫だよ。ありがとう」

「今日、学校終わったらうちに来ない?面白いモノがあるんだ」

 本当に心配しているのなら、病人のぼくを家に誘ったりはしないだろう。礼を述べたことを若干後悔しながら、ぼくはこう言った。

「今日は遠慮しておくよ。体調悪いし」

「だからおいでよ」

 体調が悪い時には友達の家に遊びに行くべきでない。「だから」の理由が分からなかったが、何か意味があるのだろう、と思った。理由を聞いてもどうせ教えてくれなさそうだったし、何よりも口を開けると咳が出るので、口数は最小限にとどめたかった。だから、ぼくは黙って翔太に従った。

「絶対に誰にも言っちゃいけないよ」

 家に着くと、翔太は早速話を切り出した。翔太の家に来るのは2回目だ。席が隣という理由で、一度消しゴムを借りたことがあるくらいで、特別仲が良いわけではない。それにしてもデカイ家だ。

「ぼくのお爺さんは3年前に死んじゃったけど、かなり有名なお医者さんだった」

 その話はぼくも聞いたことがある。たしか2年前、テレビ番組で特集が組まれていた。医者として60年近く、のべ10万もの人々の病気を治し続けたとか。なんせ90歳まで現役として活躍したというから、信じられない。

 翔太は続けた。

「ほとんど病院に泊まり込みで、家に帰ってくることは滅多になかったね。帰ってきたとしても、横になって布団で寝ることはなかったんだ」

「どうして布団で寝なかったの?」

「毎朝7時には病院にいないといけなかったから、寝坊ができなかったんだって」

 ぼくは絶対にお医者さんにはなりたくない、と思った。

「そしたらどこで寝てたの?」

「あそこにあるソファだよ。あれがお爺さんのベッド代わりだった」

 翔太が指を差した先には、お爺さんが座り過ぎたからなのか、お尻が禿げてお世辞にも綺麗とは言えない、年紀の入った茶色い皮張りの一人がけソファがあった。そういえばテレビで見た翔太のお爺さんも禿げていたな、と思いながらそのソファを見ると、不思議にもお爺さんが座っている感じがした。

「お爺さんが亡くなった後、あのソファをどうするか、家族で話し合ったんだ。お父さんとお母さんは、汚いから捨てようって言い張ったんだけど、お婆ちゃんだけは、あそこにはお爺さんが座っているから捨てないでおくれって。お婆ちゃんが言うんだから仕方ないよね。それでそのまま残しておいたんだ」

 ぼくは翔太がなぜそんな話をするか分からなかった。

「ふーん、そうなんだ。でも、それがどうしたというのさ?」

「1ヶ月ほど前だったかな、ぼく、インフルに罹ったんだよね。ほんとは病院に行かなきゃいけなかったんだけど、なぜかあのソファに座ったら治る気がして。犬は飼い主に似るとか言うじゃない?名医のお爺さんが座っていたソファだから、そこに座った人を癒すことができるんじゃないか、とふと思って」

 動物と家具では話が違うんじゃないか、と思いながらもぼくは続きが気になって聞いた。

「それで座ったの?」

「うん、座った。家に誰もいないことを確認してね。そしたら」

「そしたら?」

「一瞬で熱も咳もだるさも吹き飛んでしまったよ。あれは、どんな病気も治す魔法のソファなんだ」

 びっくりだ。そんなことがほんとにあるのか。もしほんとだとすると、これはすごい。そこで初めて翔太がぼくを家に呼んだ理由が分かった。

「座っていいの?」

「いいよ。そのために呼んだから」

 ぼくは恐る恐る立ち上がり、ソファに向かって歩いた。ソファは誰に座られるか選べない。臭いお尻も黙って受け止めないといけないし、太った人の重さにも耐えないといけない。そこに座る人は誰でも抱擁するように、お爺さんも全ての患者を抱擁してきたことが感じられた。お爺さんの偉大な生き方と目の前にあるソファが重なり、わずか数歩の距離が、千里の道にも感じられた。

「止まった、止まったよ!」

 ぼくはソファに座りながら叫んだ。

 翔太の言った通りだ。ソファに座った直後、喉の痒みは消え、咳が止まった。ぼくは翔太を不信したことを申し訳なく思った。

 お爺さんがここで寝ていた気持ちもよく分かる。そのソファは座るぼくの体に合わせて形状を変え、ぼくを一瞬にして夢の世界に誘った。

「拓也!起きて!寝ちゃだめだ!」

 翔太はぼくの体を必死に揺らして起こした。

「少しくらいだめかな?」

「絶対にだめだ。言い忘れていたけど、薬も飲み過ぎると逆効果でしょ?このソファも座り続けると…」

 翔太は視線を庭に移した。盛り上がった土に挿された札には「○月□日、ソファの上にてポチ永眠」との文字が書かれていた。

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