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【近況報告】5年ぶりのがっつりな展覧会のために、しみじみ淡々と準備していることなど。

皆さん大変ご無沙汰です。ふと思い立って、2年前に書いた「卒論」と「残り時間」についての投稿を久々に読み返したついでに、2年分の振り返りと近況メモを。長文noteは4ヶ月ぶりです。冬眠明け記念です。

美術館で学芸員として雇用され、展覧会を企画・担当する部署にいると、何年かに1回は「卒論」を書くことになります。主担当の展覧会のカタログに20,000字レベルの論考を寄稿する、というパターンが多いですが、上の記事で話題にした「卒論」は学芸員としてはかなり変わった類いの、パフォーマンス事業のプロジェクト報告。掲載媒体は美術館の紀要。それを書き終えてしみじみしながら、「卒論」ってあと何本書けるのかな、と雇われ人としての自分の残り時間のことを考え始めていたのでした。

そこからちょうど2年経って、今。

思いがけず広報統括という新しい業務を背負って右往左往しながらなんとかハンドリングするうち、昨秋は右腕として自分を支えてくれた部下のZさんの転職を全力で後押しすることになり。

で、後任の人をただ待つのではなく、自分でも探すことにした途端、この国の「失われた20年」で進んだ非正規雇用の激増や賃金格差拡大、そしてコロナを追い風に確実に広がった働き方の多様化などの風景が眼前になまなましく現れ、自分自身の雇われ方・働き方も否応なく振り返るうちに↓。

いよいよポストコロナ期=展覧会の通常運転再開となり、今年から、久々に主担当の展覧会が押し寄せてくる、という状況です。展覧会の主担当、実に5年ぶり。

…が、よく考えたらコロナ禍真っ只中の4年前にも、自分の展覧会はつくってました。noteでもそのプロセスを連載してた。面白いことたくさんありました。

ただ、これはカタログを作らないコレクション展だったこともあり、自分の中では、カタログありの企画展とは別枠扱いになっています(カタログ作り=本作りはそれくらい大変で、あっという間にブラック労働の淵に沈みがちでもある。でも一時的なイベントとしての展覧会の閉幕後に物理的に残るものはカタログしかないので、大きな葛藤を抱えつつ、やはり心血を注ぐことになります)。

さて。

5年ぶりの、しっかりしたカタログ制作込みの主担当展でフィーチャーするのは、北川民次(きたがわ・たみじ、1894-1989)という人です。タイトルは「北川民次展ーメキシコから日本へ」。

北川民次の人生前半。1910年代に米国に渡り、ニューヨークで劇場の書割制作をしながら絵を学び、革命後の熱気あふれる1920〜30年代はメキシコに暮らし、画家として、また先住民の青少年を集めた「野外美術学校」の教員として活躍。

人生後半の舞台は日本。戦後、ごく短期間ながら名古屋の動物園で夏休みに「児童美術学校」を開き、芸術家と社会をつなぐ「壁画」の可能性を探りつつ、反骨のアーティストとして生き続けた。そんな異色の人物の回顧展です。

人生後半の北川の拠点は愛知県の瀬戸でしたが、1936年にメキシコから帰国して7年ほどは、東京・池袋のアトリエ村(「池袋モンパルナス」)にも住んでいました。
より詳しくはWikiで。ものすごく親切に紹介しています↓


今回の展覧会は、他館が幹事館=主役となる巡回展です。かつ渋めです。が、作家の生誕130年の節目をめがけて、幹事館の学芸員を助けつつ自分にもできる調査を進め、準備してきたもの。日本の美術館ではスペイン語文化圏、とりわけ中南米関連の展覧会をやれる機会は非常に少ないので、その意味でも重要なのです↓。

ところで、どこの美術館も世代交代が進んでいます。今回の幹事館の学芸員も新世代。去年は自分が勤める美術館で後輩の企画展を、特にカタログ作りという面で、副担当としてがっちりサポートしました。今年の展覧会の場合は、自館では主担当を務めつつ、他館の若手をサポートする役割も大きい、という具合。

この役回り、実は個人的にとても楽しんでいます。今までのように「私の歌を聴いてくれ!!!」という暑苦しいエゴ丸出しではなく、よそ様の若手であれ、その人がその人自身の「歌」を見つけられるよう手伝うのが楽しい。そもそも教育学がベースにある自分としては、他の学芸員よりも多少そういう仕事が得意なのかもしれない。というか明らかに得意ですね。

「歌」を見つけるお手伝い、ということの一例についてはこんな記事を書き、多くの方に読んでいただけました↓。

「歌」を見つけて歌えるよう手伝う=人材育成。

世代交代のためにはものすごく重要なのですが、自分の職場もさることながら、あちこちの美術館の状況を見聞して感じるのは、この「育成」がどこもなかなか難しそうだということ。

特に、似たような世代が固まって採用されてそのままみんな歳をとって同時に退職、後続はいきなり親子ほど年の差のある若手、のような構造的な歪みがあるとなおさらです。

一般企業だと、こうした問題は以前からクローズアップされてきたのでは。美術館ではどうでしょう。中身としては普通のサラリーマン組織に過ぎず、個々の雇われ人=学芸員の能力や創造性とは別に、組織としての問題は同じように存在します。でも、一匹狼的な佇まいで働く人も割と多いゆえ、組織として課題があっても見えにくかったのかも。そのぶん厄介ともいえる。

美術館が人材育成のスタッフやコーディネーターを外部に業務委託するような時代が来るなら、喜んで起業するのにと思ったりしますが、まあ早くて100年後だな。来世か(笑)。それはさておき。

北川民次については、実は大むかし、20代前半の頃に取り組んだ修士論文で、教育者としての側面に絞って書いたことがあります。そういう個人的な経緯もあり、今回の回顧展に関われることが心底嬉しい。

仕事の「卒論」、という話題に引きつけていうならば、今回の展覧会やカタログづくりは、サポーターという立場の自分にとっては「卒論」にはなりません。でも若手支援の楽しみとともに、もうひとつ別のワクワクもあります。それは。

雇われ人としての自分なりの残り時間(だいたい見えている)とは別次元で、一個人として、もう一度、この北川民次という人間と、彼が生きた時代と、米国・メキシコ・日本という場所について考えを巡らせて、数年かけてまとまったものを書けたら。

というようなことをぼんやり考え始めているからなのですね。その場合、展覧会づくりもカタログづくりも、新しい何かの始まり。プロローグ。妄想。

・・・いや、ここ数ヶ月は広報の仕事に首まで埋もれつつ、こまぎれ時間を使いながらカタログ巻末の「文献リスト」作成に必死で(地味ですが重要アイテム)、それが済んだらやっとコラムや作品解説やなんかを書き始める、という現実を生きております。「数年かけてまとまったものを」なんて余裕こいて妄想している場合では全く全くない(笑)。

でもともかく、まずは5年ぶりの楽しいお仕事を、こまぎれ時間であってもじっくり味わいながら、進めています。嬉しい美味しい嬉しい。

そうそう、北川民次には『絵を描く子供たちーメキシコの思い出』(初版1952年)という名著があり、岩波新書のロングセラーでした。しばらく絶版でしたが、昨年復刻! 

ぜひこの機会に、多くの方に読んでほしい。フリーダ・カーロやらディエゴ・リベラやらもチラチラ登場する、メキシコでの熱き日々の描写の鮮やかさ。そして帰国して改めて日本社会に身を置き、目に見える貧困や暴力はあれど生きていく喜びのあるメキシコとは違って、人々の心に巣食う不可視の「恐怖と猜疑の国」を見いだす北川の眼差しが、本当に鋭いのです。

最後に、広報のことを。
おかげさまで、この1月から新しい部下を迎えることができています。働くってなんだろうと自分でたくさん考えて、悩んで、動いて、その末に新しいメンバーを迎えるっていいものです。広報の仕事でも、新しいその人が歌う「歌」がどんな姿をしているのか、チームで少しずつ一緒に発見していくのが楽しみです。

久々の長文、お読みいただきありがとうございました。


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