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紙に手描き、が好き。展覧会の平面図も手描き。

輪郭だけの白い展示室図面に、まず仮設壁だけを描き込む。そのあと、その白い紙をじっと見る。もゃ、と目の奥で何かが動くまで。

現場をうろつくのも好きだ(そうしないとまるで進まない)。目の奥のもゃ、は頭の奥から出てくるというより、実際に展示室をうろうろした自分のからだの奥からたちのぼる。うろうろは2、3週間ほど続ける。作品ではなく虚空を凝視している変人状態。そしてどこかのタイミングで、まる一日かけて図面をにらむ。具体的なあれこれを一気に描き込んでいく。


「器と絵筆」という年明けの企画展について、そろそろ施工業者さんに下見積もりをお願いする時期だ。


今日はそんなわけで「にらむ日」にしたのだが、すでに先週末の時点で、むりやりざっくりこんな感じ、な図面はでっちあげてあった。早めにエライ人たちに打診するためである。いつもの企画展だと、その手のでっちあげは簡単にはしない。自分のなかの大事なものが壊れたらイヤだなとか思うから、かたちにするのも慎重だ。

が、今回は成り行きからの担当だし、諸先輩方のご意見を最後の最後まで拝聴し続けること必定、というパターンのコレクション活用系企画展ゆえ、いつものような「大事なもの」が、こっち側にない。かといって、やる気がしない、というのとも違う。すがすがしい他人事感なのである。私のものじゃない。でも大切にかたちをつけさせていただきます。いや、そもそもあらゆる企画は「私のもの」じゃないはずだが、その話はまたこんど。

そんなわけで、何を出品するかは淡々と決めていける。なので、今回の展覧会づくりのプロセスの前半、目に見えやすい部分は気楽だ。問題は後半、現場でつくりながらでしかわからない空間の立ち上がりかた、である。(図面だけでじゅうぶんわかる&満足できる人のことは、ここでは除外している。)

現場であれこれ、いろんなセンスの茶々が入ると、やりにくい。主担当がいちど判断に迷い始めると、センスの善し悪しとは別に判断が強く速い、別の人間の意見が優先されてしまう(こともある)。ぶっちゃけ乱暴な現場(になることもある)。鍛えられることこのうえない。キュレーション道場?

というわけで、今回妄想している小さなチャレンジ。
展示作業の現場で仮にどんなにでたらめなセンスの茶々が方々から入っても(いや入らないかもしれないが)、「はあなるほどですね~」と、すべて本気でありがたく頂戴し味わいごっくんと飲み下す。吐かない、騒がない、戦わない。が、最後の最後で数センチ~マックス数十センチの調整をこっそり入れて、あっ!とびっくりないい線に持っていく。にはどうしたらいいか。

姑息?自己主張がなさすぎ?いやいや、ぬぼーっと野太いクリエイティビティがほしいだけなんです。

これまでの経験からすると、からだが固まったら負け、なんだろうと思われる。息を詰めてしまったら流れが止まる。吸って吐いて吸って吐いて、茶々が入ろうが何しようが、その場をうろうろし続けられるかどうか。な気がする。

今朝の空気はなんだか輝いていた。砧公園の桜の大木、はっぱが色づき始めている。

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