見出し画像

性の多様性について思うこと①

こんばんは。みきたにし☆です。

「性の多様性」が叫ばれている昨今です。その理解を深めるために「LGBTQ」という言葉が存在しているのだと思います。

今日は、性別について、自分が思うことを書いてみたいと考えています。性別の話は複雑で多岐にわたるので、数回に分けて書いていきたいです。

言葉選びには注意を払うつもりですが、もしかしたら、不快に感じさせてしまう表現が含まれるかもしれません。

そもそも、性別とは?

「性別」の意味合いには二種類あると感じます。

「男性・女性」ということではありません。

「生物学的な意味での性別」と「社会的な意味での性別」です。

1、生物学的な意味での性別

これは、単に体の構造が「男性」か「女性」か、ということだと考えます。ここでは「心の性別」については、触れません。あくまで体の構造の話だけです。

「生物学的な意味での性別」は、生まれたときに与えられた性別であり、自分で選んだものではありません。

人間も「哺乳類」であり、「哺乳類が子孫を残すため」には「男女」が必要であり、私たちは生まれるときに、そのどちらかを割り振られるという、根本的であり原始的でシンプルな話です。

2、社会的な意味での性別

「大河ドラマ」などの時代劇を見ていると、しばしば描かれているのが「内助の功」です。例えば「麒麟がくる」では、川口春奈さんが演じている「帰蝶」が、その例に挙げられると思います。

男性は前線で戦い、女性は家を守る。

今となっては「古い!」と声高に叫ばれそうな状況ですが、これも「社会的な意味での性別」のひとつの例だと思います。


最近でも、いまだに「男性はこうあるべし」「女性はこうあるべし」という思い込みや偏見が、広く存在しています。

たしかに、「男性は男らしく」「女性は女性らしい」社会というのは、構造的にはとてもシンプルで、分かりやすく、扱いやすいようにも見えます。

でも、それが良いことか?といわれたら、疑問を感じずにいられません

現に、「男らしく・女らしく生きよ」という考え方が、わたしたちを縛り、悩ませている問題の原因のひとつにもなっています。

わたしと性別

わたしも、子供の頃は「女の子なんだから」と母親に言われるたびに、「好きで女に生まれたわけじゃない!こんなふうに言われるなら、男に生まれたかった!」と言い返したものです。

子供の頃は、おもに母親から言われましたが、十代の頃は、友達から「女の子はこうするべき」と、言われることが多かったです。

私は今、女性であることに対する違和感はゼロではないにしても、性転換をしなくてはいられないほど辛くはありませんし、男性と結婚しています。

女性とお付き合いしたことはありませんが、「絶対にムリでしょう?」と問われたら、「そんなにムリなこと……かしら?」と疑問が残ります。

まとめ

そもそも、わたしたちは「自らの意思で、男性・女性に生まれたわけではない」のです。

遺伝子がXXだったか、XYだったか、この二択によって、性別を割り振られたに過ぎません。

それなのに、「男なんだから男らしくしろ」「女は女らしくあるべきだ」と押し付けられたら……。

ますます、自分の性別に悩んだり、自分の性別を好きだと思えなくなったりしませんか?

子供の頃の、私が、それでした。


だから、「あなたはあなたよ。無理をして、男らしく/女らしくする必要ない」と言われたなら、「わたしは、今の自分の性別のままで大丈夫かも」と思える人も、いるかもしれないと思うのです。

これは、性転換を否定する意味ではありません。

「自分の性に対する悩みから、精神的に解放される人がいるかもしれない」という意味です。


少なくとも、わたしは「女の子なんだから、こうしなさい」と言われなければ、あんなに強く「好きで女に生まれたんじゃない!」なんて言うことはなかったと思います。


みなさんは、どう思われますか?


次回は「心の性別」について、疑問に思うことを書いてみたいと思います。



この記事が参加している募集

そのサポートが励みになります!これからも頑張りますので、よろしくお願いします!