教師を目指す理由②#忘れられない先生(2)元証券マンの公民科教師
こんにちは。30代3児ママで公立中高教員内定者のMikiです。
自己紹介はこちらからご覧ください。
前回は、私が悪い意味で忘れられない中学の担任の先生について書きました。
今回は、私が「社会人経験を持つ英語教師」という目標を持つきっかけとなった、高校の恩師について書いていきたいと思います。
進学校で叩きつけられた現実
前回の記事で書いた通り、私の出身校は県内一の進学校でした。
授業の進度は異様に早く、ついて来られない生徒は置き去りにするような授業が大半でした。
服装や授業態度は中学の時から改善していたものの、やはり進学校の壁は厚く、私はみるみる学年の順位で言えば下から数えた方が早いような落ちこぼれになってしまいました。
苦手な数学の授業では、眠気を堪えきれずに、自分が当てられる時以外はほとんど寝ていたような気がします。
好きな英語科でさえ、楽しかった中学校とはうって変わって、ひたすら和訳を繰り返したり、難解な文法説明に終始する授業にうんざりしていました。
「あなたのような不真面目な生徒がいく学校ではありません」
中学の元担任に言われたその言葉が悔しくて、必死で勉強して入った高校なのに、結局その通りになっている。
先生の言う通り、私はやっぱり「不真面目」だから、真面目な子がいくような学校には向いていなかったんだな。
そう思って過ごしていた一方で、唯一心の底から「面白い!!」と思えたのが、公民科の授業でした。
元証券マンの公民科の先生
高校の公民科を担当していただいたA先生は、私が小学校〜高校まで出会った教師の中で唯一、教師になる前に別の職業に就かれていた先生でした。
民間企業出身の先生が未だに学校現場では希少であり、転職が普及していなかった20年以上前の当時はより少なかったことを考えると、一度でも担当してもらえたこと自体がラッキーであるように思います。
令和2年度に公立学校教員として新規採用された候補者のうち、3割程度が新規学卒者、6割程度が教職経験者(常勤、非常勤講師等を含む)であるのに対し、民間企業等経験者は全校種に渡ってわずか5%程度である。
出典:文部科学省(2021)令和2年度公立学校教員採用選考試験の実施状況(第1~9表)
元大手証券会社にて証券マンとして東京でバリバリ働いていたものの、ご家族の事情で地元の県にUターンして高校教師となったA先生。
A先生は、元証券マンとしての知識や経験をふんだんに盛り込んだ授業をしてくださいました。
公民の授業で株取引?!
A先生の授業の中で強烈に覚えているのが、毎回の授業の冒頭5分程度で行っていた「株取引シミュレーション」です。
政治経済の授業の際、A先生はその日の日経新聞の株価の面を印刷して配って下さいました。
・各生徒は、学期の最初に一定額で株を買い、毎授業で株価の上下を把握します。
・持ち株は自分の好きなタイミングで運用し、ノートに実績を記しておきます。
・学期の最後には、クラス内で運用額の収支を競い合います。
・株価が大きく動いた時には、その背景を時事問題などを検討しながら推測します。
学期の後半になればなるほど、ゲームは盛り上がりました。
株価ゲームをすることで、テレビで流れているニュースや経済のことに自然と関心が向くようになったことを覚えています。
もちろん、新聞の株価の面をみた時にも、瞬時に動きを把握することができるようにもなりました。
こうして当時を思い出しながら書いていても、20年前とは思えないほど面白い授業実践ですよね。
令和の今同じ実践をしても、まさに「主体的・対話的で深い学び」に繋がる、価値のある取り組みだと思います。
「転職して教師になること」の意味
A先生は授業中に雑談することが多く、先生が就職活動をどうしていたか、何故新卒で証券会社を選んだのか、何故教師に転職することになったのかをよく語ってくださいました。
そこまで細かく覚えていませんし、先生の個人情報なのでここでは詳細は省きますが、両親が公務員だった私にとっては、とにかく全ての話が斬新でした。
「就職活動」って何?!初めて聞いたけど。。。
数ある会社の中から志望絞って内定もらうって、めっちゃ大変そう。
サラリーマンって言っても色々なんだなぁ。
転職って意外と普通なのかも?
教師でアルバイトをされた方は多いと思いますが、就職活動までされた方は少ないのではないかと思います。
高校生として、目の前の大学受験のことしか目に入らなくなっていた私は、A先生が大学のその先の世界を見せてくれたことによって、開眼させられた想いでした。
転職して教師になったことがA先生を差別化し、他の教師と全く違う魅力を持つに至らせている。
授業でも常に生徒の目線に立ち、何かと生活の身近なものに結びつけて話をしてくれるA先生は、「学校と実社会を結ぶ橋渡し」的な存在であると感じました。
教師が「教師」以外の背景を持つことで、こんなにも教師としての魅力が増すのか!
じゃあ、私の好きな英語科であれば、世界を股にかけるような仕事をして、その後で英語の先生になったら、めちゃくちゃかっこよくない?!
A先生の魅力に取り憑かれた私は、上記のような短絡的思考の下で、高校2年生の時に「社会人経験を持つ英語教師」を目指すことになりました。
大学受験の際も、「教育学部に行ったら【普通の】英語の先生になっちゃう!英語で仕事できるような学部じゃないと」という生意気な考えの下で、英語系の学部への進学を選びました。
今の私は、世界を股にかけて仕事をしてきたかと言われれば、人によって捉え方は異なるかもしれませんが、キャリアを通して英語を使った仕事をしてきました。
(英語を使ったキャリアを持つ人が英語教師に少ないことは、今思えば日本社会の構造的に当たり前だとは思いますが、この話は後述します。。)
そして今、社会人経験を持つということが、教師を目指す私にとって本当に貴重な経験だったことを多くの人に知ってほしい。
「教師の多様性」の重要性を証明したい。
こうした想いで、noteを書いています。
注:
私は、いわゆるストレート教員を批判することを目的とはしておりません。
教師を画一的な「あるべき論」から解放し、様々な経験を積み、自らの専門性を高める機会をより充実させることが必要であると考えております。
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