がんばらなかった理由と、その代償

ずっと、「こわい」と思っていたことがあった。

「こうはなりたくない」、そう思っていたことがある。


それは、

母のようになることだ。


母は、いつも多忙で、

ストレスを抱えていて、

疲れていて、

仕事から帰った日は、機嫌が悪かった。

参観日、運動会、卒業式、

海外に発つ日だって、

空港にさえ来られなかった。


わかっている、母が悪いわけじゃない。

だけど、わたしにとってそんな母の姿は、

いつしか「自分は、こうはなりたくない」

という反面教師になってしまっていた。


「家族より仕事を優先しなければいけない状態になってしまうこと」
「仕事の疲れやストレスが家族に影響を与えてしまうこと」

そうなってしまうことが、こわかった。


特に結婚してから、

いや、結婚をする前、いまの旦那と同棲をする前ぐらいから、

ずっとこのことが頭の中にあって、

「仕事よりも家族を優先できる仕事環境で働くこと」
「仕事で一切のストレスを生まない好きな仕事をし続けること」


わたしにとって、このふたつが、何より大切だったし、

この軸に沿って、判断をしてきた。

この軸に沿って、生きてきた。


気を抜いてしまうと、母のようになってしまいそうだからだ。

母とわたしは、

ストレスのため方と、人へのあたり方が似ている。


いや、似ている、というよりは、

「同じ種類だな」と感じるのだ。


だからこそ、こわかった。


−−−


旦那と同棲し、結婚をした。

いつのまにか、挑戦することも、がんばることも、

やめていた。


旦那のせいではない。

わたしがそうすることを、望んでいたからだ。


仕事は楽しい。ストレスは一切ない。

やりがいもある。

家族との時間を最大限に優先できる。

わたしも、いつもご機嫌だった。

「楽しくてやりたい仕事を、そこそこのパワーでこなしている。
 仕事に100%の比重をかけてない。
 だから、わたしはいま、いつもご機嫌で家族を大切にできているのだ」

そう思っていた。


思っていた、でも。


でも、

なぜか、もやもやしている。

なぜか、満足していない。

仕事も楽しい、家族も優先できている。

なのに、なぜか、

快適じゃない。

自分の人生は、もっとよくなれるはずだ。

がんばれるはずだ。


−−−

よくわからないもやもやの正体は、

「がんばらない自分」にあった。


いつのまにか、ぬるま湯に浸かっていた。

いつのまにか、仕事を”こなしていた”。

いつのまにか、自信も、成長も、信頼も得られない仕事をしていた。


「それでいい。」そう思っていたのだ。

仕事をがんばってしまうと、

余裕がなくなって、家族にやつあたりしてしまうかもしれない。

仕事をがんばってしまうと、

「子どもがほしい」と思えなくなってしまうかもしれない。


だから、「それでいい。」と思っていたのだ。


だけど、そうじゃなかった。

心はもうずっと前から、

「がんばりたい」と叫んでいた。

もう一度、わくわくしたい。

もう一度、挑戦がしたい。

もう一度、全力で挑んで、落ち込んだち、喜んだり、

そういうことがしたい。


いま保っているバランスを失ってしまうのは、こわい。

だけど、このままずっと、

もやもやを抱えていくのはイヤだ。


「もう一度、ちゃんとがんばってみよう」

そう思った。


−−−


自分の心に背くことには、代償が伴う。


好きなものを、ちゃんと好きと言えないと、

どんどん自分が好きなものが分からなくなったり、

ストレスを抱えているのに、気づかないふりをし続けると、

どうすれば自分が幸せだと感じるのかが分からなくなる。


がんばることを放棄し続けることも、また同じだ。


がんばることを諦めてしまうと、

自分に自信が持てなくなる。

周りからの評価を信じられなくなる。

自分の目標は何で、何をがんばりたいのかがわからなくなる。


「がんばりたい」と一歩を踏み出すときに障壁となったのは、

わたしがこの2年間、がんばってこなかった代償だった。


「これからはやりたいことに挑戦していこう!」と思うのに、

自分は何をがんばりたかったのか、

思い出せなくなってしまう。

「自分はこの挑戦に挑めるのか」を判断したいのに、

がんばらないで過ごしてきた過去は、あまりに空っぽで、

自分の能力がわからなくなる。

「得意なことを活かしていきたい」と思うのに、

がんばらない自分を評価されてきたせいで、

周りの評価を信じられなくなる。


これは全部、

1年前、「がんばろう」と腰を持ち上げようとした自分が受けた、

「がんばらなかった」代償だ。


「そうか、がんばらなかったツケって、あるんだな。」

そう思った。

がんばらずに、楽に過ごしてきた先に、

こんな代償があったなんて、

想像していなかったのだ。


−−−

この事実にちゃんと気づけて、

本当によかった。


「自分のやりたいことを、見失ってしまうのはイヤだ。」

「振り返ったとき、空っぽの日々を送るのはイヤだ。」

「築いてきたものの先に、自信も、信頼も生まれていない未来はイヤだ。」

「もう一度、ちゃんと舵を切れるようになろう」

そう思った。


それからは、

もう一度、自分の心に素直になった。

直感のままに、動いた。

それから、コーチングセッション、メンタリングセッションを受けられたことも、

わたしにとってはとても大きかった。

時間はかかったけど、

そんなことをしながら、

ひとつひとつ、自分を取り戻して、

いまはまた、

いろいろなことに挑戦することができているよ…!


前よりもっと、わくわくしていて、

前よりもっと、エネルギーがみなぎっている。

「自分は、まだ、ちゃんとがんばれる。」

そのことがわかって、本当に、本当に、うれしい!


いまは、

「自分ならできる」と信じている。


仕事も全力で、向き合う。

わくわくすることに挑戦する。

そして、家族も、大事にする。

がんばることで、もっと、自分をご機嫌にする。


その自信と、自分への信頼がある。


絶対に、そうしていくよ!


−−−

追記:

自分のもやもやに気づいて、

「このもやもやはどこから来ているんだろう…」

と考えながら書いていたのがこの記事です。

あれから約8ヶ月、

わたしはちゃんと、答えを見つけて、

抜け出せた。

「無限ぬるま湯」を、終わらせた。


勇気を出してくれてありがとう。


2022年も、いい1年になるはずだから、

点と点がつながっていくはずだから、

自分を信じて、がんばっていけますように!



















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