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No.180 Re-Posting No.052「旅」について思うこと・その1

No.180 Re-Posting No.052「旅」について思うこと・その1

No.052 の再掲載ですが、かなりの部分を書き直しています)

「旅」特に海外への「旅」について思うことを書き連ねてみる。自分の経験を通しての「旅」に限ってのことで、主にヨーロッパの国々の話が中心となる。これまでにnoteの中に書いた「プラハへの道」「由理くんよ!これがパリの灯だ」「イタリア再訪ひとり旅2010」のシリーズと、現在書き綴っている「オランダ・アムステルダム&イングランド・コッツウォルズ訪問ひとり旅」などで旅の様子を触れてきた。

若い時の「旅」と違い、一人旅でもホテルやレストランは贅沢する。その方がずっと落ち着けるようになっている。年齢を重ねたという事か。ヒッチハイクやバックパックで動いてゆく方から、それは不便さや苦しさを本質的に包含する「旅」ではなく、楽しみを求める快適な「旅行」ではないですか、と言われそうな気もする。

それでも「旅行」ではない、「旅」の一文字に孤独の香りや憧憬の路を感じ、旅の前の過度の情報収集や用意周到な準備は避けるのが「旅」に対する礼節であろうと、勝手な言い草をしている。

以前から、人が沢山訪れるいわゆる観光地・名所旧跡には、魅力を感じないことが多い、と言うより人が多すぎると落ち着けない。沢山の人が集っている中で見ても、巨大な滝は巨大な滝である。確かに凄い。周りの歓声の中、「何百人何千人の人と一緒に見る滝って、一人当たりにするとこれくらいか?」巨大な滝の前で、右手の親指と人差し指で滝を切り取ってみる。

かたや、主要道路とも思えない狭い道にレンタカーを止めて、たまたま水の音が聞こえ、そちらに向かうと、こんな所にと思う滝があったことは、何度も経験した。一人きりで、水の音楽と風の挨拶を受ける贅沢と、偶然の出会いに嬉しくなる。ここにはオレ一人と、両の手を思いきり広げてみる。

こんなふうに書いていると、さぞや自然が好きと誤解を受けそうだ。友人の自然児、木村くんにこんな話をしたら、一笑に付せられるのは目に見えている。「オノちゃんの言う一人きりの滝は両手で余っちゃうだろう。だから山に登るんだ。目の前に広がる景色は、両手広げたって全然足りないぞ」

木村くんの言うこと(実際言ったわけではありません。例えです)は一つの真実なのは間違いない。ただ、山の頂上に登るのは、誰でもできることではない。自分の「旅」特に海外への「旅」は、山の頂上独り占めに近づくことを模索してきた。特に意識してきたわけではないが、風光明媚な景色に対しても、歴史的建造物に溢れる街並みにも、できる限り独り占めを試みてきた。

ここから書き連ねていくことは、ヨーロッパを初めて訪れる方への「旅」する時のヒントにして欲しい気持ちもある。ビッシリと予定が組まれている団体ツアーに参加する場合は、実行が難しい箇所もあるとは思うが。

お城など名所旧跡を始め美術館など、観光客が多く訪れる所へは閉館1時間前を中心に訪れる。開館の時は意外に混み合うことが多い。団体ツアーは移動時間の都合だろうか、閉館時は避けるようである。時間指定のない街中などの遺跡などは、早朝あるいは夜遅くに訪れる。できれば両方の時間帯に行くこともよく勧めている。

具体例を挙げてみよう。イタリア・ローマの有名観光地「トレビの泉」を早朝6時に訪れてみると、ほとんど人は見当たらない。泉の中の彫刻群と対峙すると、今にも僕一人に話しかけて来るような存在感に圧倒される。一方、観光客であふれる日中に訪れると、あの生命感溢れていた彫刻たちが、何やら人の多さにうんざりしている様にさえ見えてしまう。深夜12時過ぎは流石に人はそこまで多くはなく、ライトアップされた彫刻たちは、夜に元気になるイタリア人の血を引いているのか、元気を取り戻しているように感じた。

ヨーロッパの街、村でもそうであるが、夜の散歩は大好きである。もちろん、完璧な安全はないので、慎重にはして欲しい。パスポート、クレジットカード、バッグなどは持たず、最低限のお金だけをポケットに入れて、大通りを歩けば危険な目に遭うことは稀である。僕は今までのところ危ない目にあったことはない。それどころか、プラハで道に迷い、尋ねようと近くの人に近づいたら逃げられた事もある。こちらが危ない人と思われたのだろう。

地方都市などでは、女性が夜一人で歩いている姿もたびたび見ている。僕はカメラ(ヨーロッパの街の夜の雰囲気は大好きなので)を持って夜中の1時くらいまで歩くことも多い。昼間の散歩途中だが、日本語以外で道を尋ねられた事が三度ほどある。地元に住む駐在員とでも判断されたのかもしれない。

予算もあるだろうが、一泊か二泊だけでもちょっと贅沢なホテルに泊まるのもお勧めする。4つ星か3つ星、2つ星でも充分だと思う。個人的な目安は、部屋数100室以下が好みである。語学ができる人であれば、プチホテルもいいと思う。50室ぐらいだと、朝食のビュッフェスタイルで色々な料理が楽しめる。小さいホテルの朝食は、宿泊客それぞれに提供される事も多い。

旅の間、一回はちょっと背伸びをして美味しい食事をする。値段や気軽さの点ではランチが無難だが、ブレックファーストを宿泊先以外のホテルで利用することは「裏技」かもしれない。大きめのホテルであれば、宿泊客以外でも利用可能の場合も多い。パリの「プラザホテル」で頂いたブレックファーストは素晴らしく、忘れられない。

個人的にはヨーロッパの墓地を訪れるのが好きだ。美しく静かなベンチに腰をおろし、風の音を楽しんでいると、ゆっくりと自分の日常生活を振り返るいいきっかけにもなる。歴史的建造物を見て回るのも良いが、墓石に掘られた文字などに目をこらすと、そこに眠る無名の方々や残された人の思いも垣間見ることができる。

レンタカーでイングランドの田舎の道を走っていると、小さな墓地があったのでたち寄ってみた。歩いていると「6歳の・・・ここに眠る」との文字が刻まれた墓石があった。幼い子を亡くした親の思いはどんなだったのか。さらに墓石をぼんやりと見ていくと「1914」の数字の多いことに気づいた。第一次世界大戦の年である。今は平穏に想えるこの小さな村も、戦争の大きな犠牲になったのかと昔日の重さを感じる。

オーストリアの首都ウィーンに5日いて、シェーンブルン宮殿は訪れず、中央墓地へは足を運んだ。墓地の入り口で買ったひと束のお花を、ベートーヴェン、モーツァルト、ヨハン・シュトラウス、いずれにあげようか迷い、ここはウィーン、ヨハン・シュトラウスに捧げた。パリ・モンパルナスの墓地では、哲学者サルトルとボーヴォワールが一緒に眠っていた(No.127)。薔薇が一輪だけ供えられていて「カッコいいな」と俗なことを思ってしまった。

「旅」にはたった一つしかない。自分自身の中へ行くこと。
   ライナー・マリア・リルケ


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