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No.083 熊本の怪人にして友人 / 坂本さん・その2

No.083 熊本の怪人にして友人 / 坂本さん・その2

僕の大切な同世代の友人「熊本の怪人」こと坂本さんとの出会いは、25歳の時であった。かれこれ40年にわたる付き合いとなる。今回の記事を書くにあたって、坂本さんと電話で長く話した。細かいところで自分が知らない話もあったが、坂本さんの勉学への触れ合いの話のほとんどは、僕の記憶の中にあった。

坂本さんとの交友関係を振り返り思った。僕とは嗜好の方向はかなり違う。今でも坂本さんが興味のある分野に入っていこうとは思わない。同じように、坂本さんは僕の好きな世界に深く足を踏み入れないだろう。

だが一方で、強制されて、坂本さんの好きな世界に放り込まれたら面白がる僕がいる。「源氏物語」は読んでいったら魅了されるだろう。もし、坂本さんが、僕の興味ある世界に入ったらどうだろう。案外、いくつか「マジック」を覚え、不器用にも楽しく演じる姿も想像するに易い。

少なくとも僕は、会って話す時の、坂本さんの朴訥とした口調からの近況報告に、柔らかく刺激されてきた。「そう取り組んできたか、そちらから考えたか」。視座の違いが刺激的だった。

25歳、朝日カルチャーセンター初級英会話で出会う。授業のあとで、他の同級生を交え何度かお茶を飲んだだけの関係だった。自己紹介で、僕は酒屋商売を営んでいることを伝え、坂本さんは小学校の警備員をしていると言った。警官に近い制服を着た警備員を連想した。

27歳のときに偶然再会(その1参照)坂本さんが慶應大学の通信講座を受講していたことを知る。そんな勉強の方法があるのだ。知らなかった。坂本さんが言うには、高校卒業後に入学した大学に失望して退学、講座受講者の5%弱しか卒業に至らない慶應大学の通信講座を続けるために、警備員をしているとの事だった。制服もなく普段着で夜勤、警官似のイメージが間違っていた。その後、坂本さんは、通信としてはかなりの短期、6年で慶應大学通信講座を卒業する。坂本さん32歳のときだった。

再会のときに、お互いの刺激に始めた英語学習の電話でのやり取りの話は「No.037 英語・挫折の歴史・その6・坂本さん」で既に触れた。坂本さんのお勧めの「必ずものになる英文法」で学習を続けた。この本は、僕の英語学習の歩みの中で、大きく英語のレベルアップに繋がった。僕は、英会話の学習から、徐々に英語の本質に触れる学習に移行していく。英語に関する本の乱読の時代だ。

坂本さんは、英語と他の言語を対比して進めることを考える。また、英語の元となったラテン語やギリシャ語の学習も必要だし、深い理解に繋がると確信する。フランス語・ロシア語・イタリア語・ドイツ語・スペイン語・中国語・ギリシャ語・ラテン語・チベット語までも大学の講座で学習する。チベット語の学習では、資料の少なさに閉口したそうだ。「怪人」の片鱗が見えはじめた。

西洋社会を理解するためには、聖書の理解は欠かせない。坂本さんは、新約聖書の講読会を主宰する。英語原文の聖書と日本語版の聖書を比較しながら読み進む方法を採用する。

日本にも世界に誇る古典文学作品群があり、英訳もされている。聖書講読会で採用した、英日対比講読に手応えを感じていた。それが坂本さんのライフワークとなっていく。初めに選んだのが紫式部「源氏物語」である。「源氏物語」の原文と、エドワード・サイデンステッカーの英訳を対比して読み解く講座を、板橋区文化会館で隔週開催の活動を開始する。坂本さんオリジナルの教材、講座のプリント作りに励む。坂本さん35歳、この頃に警備員の仕事から離れ、区政の別の課に移る。

日本語と英語では、敬語が全く違う。日本語の尊敬語、謙譲語、丁寧語を、英語ではどう表現するか。英語ではそこを婉曲的に、間接的に、条件法で、仮定法で表していく。宮廷小説らしくするために、フランス語由来の言葉を敢えて使ったり、文語的な言葉を使う。どこの辞書にも出てこないnunciaryなどの語もある。坂本さんは、気張らずに、淡々と己の道を進む。

僕は38歳で上智大学比較文化学部に入学する。慶應大学の通信講座も考えた時期があることを白状する。42歳で卒業した後、酒屋商売から学習塾経営へと転身する。市販の教材に飽き足らず、オリジナルの教材作りに夢中になる。心の片隅に「源氏物語」講読会の資料を、苦心しながら作る坂本さんの姿が刻まれていたような気がする。今現在も多くの独自教材で授業を進めている僕の姿は、どこか坂本さんに重なるのであろうか。

僕の大学卒業と時を同じくして、坂本さん42歳、図書館勤務が始まる。坂本さんの「源氏物語」の講読会はまだまだ続く。学業を掘り下げる作業は延々と続く。「源氏物語」の読了までに、開始からなんと、19年の歳月を数えたのだ。その後「枕草子」「方丈記」を経て「徒然草」の講読会途中で、両親の介護もあり熊本に帰郷する。

この6月から、ストアカのオンライン講座で「奥の細道」を原文と英語対訳で開始予定だそうだ。坂本さんの集大成の一つになるであろう。興味を持たれた方は検索をお勧めする。坂本さんのお顔も合わせて見ることができる。

「熊本の怪人」坂本さんの足跡を、僕の歩みに絡めて振り返ってみた。
こうして坂本さんの学業の歩みを見ると、世間に惑わされる事なく、自分のペースで進んできたものの独特の「凄さ」を感じる。

坂本さんが熊本に帰郷する少し前のことである。こちらの学習塾の入り口に「外出します。午後2時には戻ります」のプレートをドアに掛け、出かけた。用件を済ませ戻ってくると、プレートに下手くそな字で書かれたメモ用紙が貼られていた。

「2時まで安心コソ泥より」

笑った。こんなことをする輩(やから)は、坂本さん以外に考えられない。

その夜、坂本さんに電話した。
「坂本さん、いやあ、今日コソ泥に入られましてね」
「ええ!本当ですか!それは大変でしたね」
「たちの悪い奴はいるもんですね」
「いやまあ、小野さん。勉強になったでしょう」

友人としては、そこそこ偉い人に持ち上げて終わらせるより、坂本さんのユーモア溢れる部分に触れて筆を置きたい。

そうそう、まだ筆は置けない。かな〜り年下のキリエさんを娶(めと)り坂本さんは60歳過ぎで長男を得た。これが一番の「怪人」ぶりか。まだまだ筆は置けそうにないなあ。

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