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No.217 「小さい 白い にわとり」の思い出・ウクライナ民話だったんだ!著作権についても触れてみよう。

No.217 「小さい 白い にわとり」の思い出・ウクライナ民話だったんだ!著作権についても触れてみよう。

小さい 白い にわとり

1)小さい 白い にわとりは、みんなに むかって いいました。
「この むぎ、だれが まきますか。」
ぶたは、
「いやだ。」と 
いいました。ねこも、
「いやだ。」
と いいました。いぬも、
「いやだ。」
と いいました。
小さい 白い にわとりは、ひとりで、むぎを まきました。

2)小さい 白い にわとりは、みんなに むかって いいました。
「この むぎ、だれが かりますか。」
ぶたは、
「いやだ。」
と いいました。ねこも、
「いやだ。」
と いいました。いぬも、
「いやだ。」
と いいました。
小さい 白い にわとりは、ひとりで、むぎを かりました。

3)小さい 白い にわとりは、みんなに むかって いいました。
「だれが、こなに ひきますか。」
ぶたは、
「いやだ。」
と いいました。ねこも、
「いやだ。」
と いいました。いぬも、
「いやだ。」
と いいました。
小さい 白い にわとりは、ひとりで、こなを ひきました。

4)小さい 白い にわとりは、みんなに むかって いいました。
「だれが、ぱんに やきますか。」
ぶたは、
「いやだ。」
と いいました。ねこも、
「いやだ。」
と いいました。いぬも、
「いやだ。」
と いいました。
小さい 白い にわとりは、ひとりで、ぱんに やきました。

5)小さい 白い にわとりは、みんなに むかって いいました。
「だれが、ぱんを たべますか。」
ぶたは、
「たべる。」
と いいました。ねこも、
「たべる。」
と いいました。いぬも、
「たべる。」
と いいました。
小さい 白い にわとりは、みんなに なんと いったでしょう。

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相互フォロワーの「詩乃ジカン。」さんが、noteで昔話の朗読(「むかしむかし」シリーズ)を始められた。平日の7時にアップされるので、僕は朝のルーティーンをしながら朗読を楽しませていただいている。彼女(初め男性と思っていました。失礼!)のことは以前、こちらの記事 No.067 で登場していただいた。

「むかしむかし」の第4回目に、ちょっと狡猾なサルどんと真面目なガマどんを描いた「サルどん ガマどん もち ついて」が取り上げられていた。この話を聞き終えて、僕の記憶の倉庫の奥底に潜んでいた、そして僕という人間の形成に、深浅はともかくも、間違いなく関わった、7歳小学1年生の国語の教科書最後に掲載されていた「小さな白いニワトリ」が、その数枚の挿し絵の色彩と共に、鮮やかに蘇った。この二つのお話に、共通の何かを感じたのだ。無性に、小学1年生の時に触れた、今は手元には無い「小さな白いニワトリ」が掲載されていた教科書を見たくなった。

便利な時代だ。数日してネットで「小さな白いニワトリ」を検索して「光村図書」の教科書に掲載されていたこと、タイトルについて僕が少し記憶違いをしていたのが分かった。「小さな〜」ではなく「小さい 白い にわとり」であった。塾を経営している身としては、新学期となり何かと忙しい中だったが、光村図書さんのHPを訪れ「教科書クロニクル」の中に「小さい 白い にわとり」の紹介記事を見つけた。そして、今回初めて知ったことだが「小さい 白い にわとり」は、現在世界の目が注がれているウクライナの民話だったのも驚きだった。後述するが、幼い頃にうっすらと抱き氷のままに取り置かれた疑問が溶けて、ブルっと身体が震えた。

益々好奇心が湧き上がり、メールで光村図書さんに問い合わせたところ、翌日に知財管理課館山さん(仮名)より、丁寧な回答を得ることができた。

過去の教科書に掲載され高い評価をされた作品を収録した「光村ライブラリー」小学校編 第3巻の中に「小さい白い にわとり」が、収められていることを教えていただいた。https://www.mitsumura-tosho.co.jp/shohin/library/index.html

この本は現在も購入可能であり、すぐに注文した。ただ、こちらに収められている挿し絵は、僕が触れたものと違っていた。加えて最後の問いかけ「小さい 白い にわとりは、みんなに なんと いったでしょう。」が無いことには驚き、自分の記憶違いだろうかと不安になった。

確かめてみると「小さい 白い にわとり」は、光村図書国語に昭和33年版から16年もの長い間教科書に採用されていた。僕と同じように、小学校低学年の時の思い出の作品として覚えておられる方も少なくないだろう。

自分の年齢と、教科書が平均して三、四年に一度改訂されている事を考えると、僕が小学一年生の時の教科書は「昭和36年度版」であり、「光村ライブラリー」に掲載されている「小さい 白い にわとり」は「昭和34年度版」からの抜粋であった。

「小さい 白い にわとりは、みんなに なんと いったでしょう。」この最後の「問いかけ」が「あるバージョン」と「ないバージョン」があって、元となっているウクライナの民話だとどうなっているのだろう?今の所、調べがついていない。幼い僕には、いや今現在でも、この「問いかけ」は鮮烈で、小さい白いにわとりの答えが無い故に、この作品は心に張り付いた。

知財管理課館山さんのメールには、江東区にある教科書図書館で、過去の教科書の閲覧が可能であり「note記事」の中で「小さい 白い にわとり」を使用する場合は「教科書著作権協会」(教科書図書館と同じ建物内)へ申請する必要があることも記されていた。

さっそく教科書図書館と教科書著作権協会に電話を入れ、数時間後には「館内撮影禁止」の静かな建物の中、案内してもらった「光村図書・国語」の教科書の歴史が収まった書架の前に立ち、薄い本の背表紙を左から右へと目を走らせていた。

「あった!」やはり昭和36年度版が、僕の触れた教科書で、実に60年ぶりの再会であった。「小さい 白い にわとり」の本文、挿し絵共に記憶と殆ど違わず、また、この教科書の他の箇所のいくつか、「鯉のぼり」のイラストや「十ひきのぶた」の話など、いったい僕の身体の何処に納められていたものか「懐かしい」という言葉と一致した。

教科書一部についてはコピーもしくは撮影が可能だった。表紙・奥付けページ・「小さい 白い にわとり」全ページ・他に数ページをiphoneで撮影したあと「教科書著作権協会」に向かった。ここで、「note」記事で使用することなどを記載した。係員の海藤さん(仮名)から、協会か光村図書から連絡がある旨を告げられた。

「個人で、ここまでキチンと申請する者はいますか」と、いつもの僕の手法、サラッと立ち入った質問に、海藤さん苦笑して「はあ、いるにはいらっしゃいます」と、成程、ほんの僅かの人しかいないと解釈して間違いない答えが返ってきた。

軽い達成感のあった翌日に、光村図書知財管理課の館山さんからメールが入った。「小さい 白い にわとり」他の文章については、著作権が切れているため、自由に使えるとのことだった。また、教科書表紙については、作者を掌握しているので、著作権者に許諾処理をすれば使用可能とのことだった。

ただ「小さい 白い にわとり」を含む教材内挿し絵については、作者の特定困難・権利者不明につき「たいへん恐れ入りますが、もし可能でしたら、教材文に絞りお使いいただけますと幸いです(原文まま)」との、館山さんの苦慮が感じられる曖昧模糊な返答だった。僕のnote記事の中でも何度か触れているが(No.088 No.199 No.201)著作権の扱いは本当に難しい。

このような経緯で、今回の記事の初めに、僕が実際に触れた教科書「しょうがく しんこくご 一ねん 上」光村図書昭和36年版(昭和35年発行)のもので、段落の構成も含め、縦横の違いはあるが「小さい 白い にわとり」を出来るだけ忠実に再現してみた次第である。

脳科学者とかではないので、人はいくつの頃から価値観が形成されていくのかは預かり知らないが、振り返ってみると「小さい白いニワトリ」は、僕の幼少期に、人の行動規範とは何かを問いかけてきた話だった。

ぶたとねこといぬを友人と考え、小さい白いにわとりを自分自身に置き換えて、うんうん唸って「なんというか」考えた。そして自分なりの答えを出してみた。時が経ち、様々な経験を重ねていき、自分をぶたやねこやいぬに置き換えて、年上の誰かを小さい白いにわとりと考えると、別の答えが導かれ怖くなったこともあった。小さい白いにわとりが「何かを答えた」あとは、どうなるのだろう?話はどんどんと膨れ上がっていった。

この民話の発祥地ウクライナは「チェルノーゼム(黒い土)」と呼ばれる世界でも有数の肥沃な土壌を持ち「欧州のパンかご」とも称される穀倉地帯を持つ。豊かさ故に、ナチスに攻められたり、スターリンの政策に翻弄された歴史を待つ。

そうなのだ。ウクライナは豊かな「むぎ・麦」を産み出すのだ。「小さい 白い にわとり」を読んだ小学一年生の僕は「むぎ・麦」というものがある事を知り「いね・稲」に似ていると知った。その時、なぜいつも食べているコメ・米の原料の稲ではなく麦なのだろうと不思議に思った。

小さい白いにわとりが、「いね・稲」ではなく「むぎ・麦」を蒔いたのかの謎は、60年の時を経て氷解した。そして、豊かな土壌を持つ、今現在戦火の中にあるウクライナで生まれた民話だった「小さい 白い にわとり」は、新たな「問いかけ」をぶつけてきた。

「小さい 白い にわとり」は「ぶたやねこやいぬ」は、何者なのか?「小さい 白い にわとり」は、なんと言ったのか?その後、皆はどうしたのか?どうなったのか?これからどうなるのか?これからどうすれば良いのか?


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※令和4年4月22日(金)訂正及び追記。光村図書さんの手を煩わせてしまったが、昭和36年版の挿し絵の権利者さんの許可を得ることができました。写真2枚4ページを加え、全部で写真4枚教科書8ページ分の写真を掲載させていただきます。

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