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No.067 詩乃がする、詩の朗読、詩乃ジカン・noteでの出会い

No.067 詩乃がする、詩の朗読、詩乃ジカン・noteでの出会い

初めて「詩」に触れたのはいつのことだったのだろうか?小学校低学年、国語の時間に、先生が短い言葉をゆっくりと読んでくれ、何かちょっと不思議な感覚が残った。そんな記憶が、心の深い所に残っている。あれがきっと初めて触れた「詩」だったと思う。

中学教科書に載っていた中原中也の「海にいるのは あれは人魚ではないのです…」の詩に触れた時の感想は「あっ、いいな。ちょっとカッコいいな」だった。文庫本で「中原中也詩集」を買ったが、最後まで読まなかった、読めなかった。イメージの羅列が、当時の僕の肌に合わなかったのだ。

高校の時だったか、「秋の日の ヴィオリンの ため息の ひたぶるに 身にしみてうら悲し…」今でも諳(そら)んじることができる、堀口大學訳ポール・ヴェルレーヌの言葉のリズムには酔わされた。図書館でヴェルレーヌの詩集を借りたが、こちらも最後まで読めなかった。詩集以外、文学いわゆる散文のものは大概最後まで読む、読める。何故だろう?答えは出せなかった。

長く親しんでいる「詩」は、ボブ・ディランの「歌詞」だ。英語と照らし合わせて、日本語の訳「詩」を夢中になって読んでいる。ディラン若かりし頃の社会に抗(あらが)える「詩」も、こぼれ落ちそうになりながらも何とかリズムに乗っている抽象的な「詩」も大好きだ。だが、ディランの言葉は、どこまでも「歌詞」であり、僕の中では「詩」ではなかった。

「詩」は僕の生活の中に、縁遠いものだった。

noteに記事を書き始めてから、ひと月は経っていた。一個の「スキ」がけっこう前に書いた記事「No.10 ミラノ霧の風景・須賀敦子」に付いた。「詩乃ジカン」さんと言う方が付けたものだった。ページに入ってみると、一日に一個、詩をお読みになり、声での投稿記事となっていた。へえ〜、こんなこともできるんだ。その中に「須賀敦子詩集」からの詩があった。

大学時代お世話になった須賀敦子先生が、詩集をお出しになっていたのは、初めて知った。僕にとって、須賀先生は、小説・エッセイをお書きになる散文の方だった。聞いてみると、何か気持ちが温かくなった。

それ以来、朝の時間のどこかで、詩乃ジカンさんの投稿した「詩」を聴くようになっていた。1分から2分の、優しいお声で読まれる言葉の贈り物。そこからの風景を自分なりに捉えてみる。時には潮風を受けている自分。夜の街を歩いている自分。にっこり微笑んでしまう。いつでも気持ちが温かくなる。24時間のうちの、ちょっとの「詩乃ジカン」。

何か分かったような気もしてきた、今まで詩集が読めなかった理由(わけ)が。「詩」は優しくも力強いのではないか。詩を味わうには、耳を傾けないといけないのかも。だから、ゆっくり読まれるのかも。そう言えば「歌詞」も、普通に話す速さに比べれば、ずっとゆっくりだ。「詩」が次々と続く「詩集」、その強さには散文を読む速さで向かってはいけなかったのだ。

こんな理屈を捏(こ)ねるのは「詩」に対して野暮かな。

「詩」は僕の生活の中に、近しいものになった。
ほっこりする1分が、一日を豊かにする。

ありがとうございます。詩乃ジカンさん!
「声の贈り物」待ってます!


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