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No.178 旅はトラブル / オランダ・アムステルダム&イングランド・コッツウォルズ訪問ひとり旅2012(12)楽しきかな、触れ合いとそぞろ歩き

No.178 旅はトラブル / オランダ・アムステルダム&イングランド・コッツウォルズ訪問ひとり旅2012(12)楽しきかな、触れ合いとそぞろ歩き

No.174No.175 の続きです)

オランダの首都アムステルダム滞在5日目「ホテルオークラ」での宿泊も今晩が最後だ。次の訪問地は僕にとって初めてのイギリス、翌日のお昼過ぎの飛行便、アムステルダム・スキポール空港からロンドン・ヒースロー空港までのチケットは出発前に購入していた。

ヒースロー空港内でレンタカーを借り、ロンドン観光はせず直ぐにコッツウオルズ地方の村の一つ、Tetburyテッドベリーに向かう。雑誌「フィガロ」に掲載されていた築300年の三つ星ホテル「The Close」に何となく惹かれ、携帯電話から二泊予約していた。

今回も前年のイタリアへの旅と同じく気楽なひとり旅、残る予約は「The Close」宿泊と帰りの飛行便だけで、翌日のレンタカーの予約もなく、その後の宿泊先も決めていなかった。しかも、パソコンもスマホもなくガラケーのみである。流石に、翌日のレンタカーの一台は抑えなければいけないなと思い至った。

こんな時こそ高級ホテル滞在のメリットを生かそうと、朝食前にフロントに寄った。一昨晩の「夜中の散歩」の顛末を知る奥田さんと目が合うと、いつもの優しい笑顔が返ってきた。朝の挨拶の後に続いた僕の言葉「奥田さん、明日ロンドンに発つのですが、ヒースロー空港でレンタカーを借りたいんです。ネットでのレンタカー予約に慣れていないので、お手伝いをお願いできませんか?」にも動揺せずに「わたしも慣れておりませんし、日本人のスタッフよりも現地採用のスタッフの『・・・』の方がお役に立てると思います。10時過ぎに出勤ですので、お待ちいただけますか?」スタッフの名前『・・・』が、聞き取れなかったが、まあ良しとした。

奥田さんの満点の接客であるが、内心では「オノさん、面倒な人だわ〜」と思ったか。いやここは「困った(いろんな意味で)お客さん」をヘルプすることに生き甲斐を感じる「コンシェルジュ」の誇りを信じよう、と身勝手な解釈をして「カメリア」のブレックファーストに向かった。

すっかり顔馴染みになったJudyが「Mr.Ono オムレツですか?」と聞いてきてくれた(No.174)。この日はお客さんも多くなかったので、Judyと少し話ができた。翌日にイギリスに向かうことや、美術館の話をすると、アムステルダム中央駅の近く、この年2012年4月に新しい施設ができたことを教えてくれた。Judyが書いてくれたメモには「EYE Film Institute」と書かれていた。EYE、目?変わった名前だな。Filmフィルム?映画のことかな?

ブレックファーストの後、街歩きの前にフロントに立ち寄ると、現地採用の『・・・』くん(すみません、長い名前で覚えられなかった)が待っていてくれた。レンタカー会社のHPでのネット予約を初めから終わりまでしてもらえて感謝感激である。宿泊施設で旅の印象は大きく変わる。アムステルダムでの滞在に「Hotel Okura ホテルオークラ」を選んだのは、この後に分かるJudyのアドバイスも含め、大正解だった。

この日は、混雑のために入場を躊躇ったり、ミッフィーミュージアム(No.175)との相性から避けた「ゴッホ美術館」を訪れることと、オランダと言えば風車「キューケンホフ公園」に行こうと思っていた。時間もたっぷりあったので、ゆっくりと徒歩でアムステルダム中央駅に向かった。東京駅がその外観を真似たというアムステルダム中央駅の周辺はまだ歩いていなかったので、そぞろ歩きを楽しんでいると、運河があった。運河に沿って結構な数の団体観光客と思しき人が歩いていた。何か有名な建築物でもあるのかな?

運河沿いに家が並び、ほとんどの家のガラス張りの扉に真っ赤なカーテンが引かれ中は見えない。まだ、開店していないのだろうか、一見何の店だか分からなかった。数人で歩いている観光客の英語から「風車とチューリップの国オランダ」がもう一つの有名な裏の顔「麻薬と売春が合法化されている国」を持っていることが思い出された。ここが「飾り窓地区」と分かったが、まさか駅から徒歩数分の距離にあるなどとは思いもよらず驚かされた。

好奇心にかられ歩いていると、この地区が完全に観光地化されているのが感じられる。団体観光客の中には女性も多く、笑い声が頻繁に聞こえてくる。倫理の平衡感覚がぐらつかされる。家々のいくつかは太陽光の中に不釣り合いの白熱灯を灯し、時間の感覚が奪われる。

ここは、夜に来る必要があるなと判断して、再び健全な駅前へと出ると、アムステルダムの街並みは陽光を浴びて輝いている。ヨーロッパの街の中でも、アムステルダムが一段と大人の匂いを放ってきたように感じたのは、数分前に見たこの街独自の風景と無関係なわけが無かった。

Judyに教えられたように、駅の裏手に来ると「EYE Film Institute」方面行きの船乗り場がある。運河というか湾というか向こう岸を見ると、横に広がる変わった形の大きな白い建造物が否応なく目に飛び込んできた。おそらくあれが「EYE Film Institute」なのだろう。日本語に訳すとどうなるのかな?東洋人らしき人は全くなく、数十人が幅の広い船の甲板に乗り込む。自転車を携えた若者の姿もチラホラと目に付く。

ゆらりと船が揺れ岸を離れて数分、奇妙な形の建物が立つ岸に着いた。全員が船から降りて、ほとんどの人が大きな白い建物に向かうようだった。僕も人の流れに乗って、おそらくは「EYE Film Institute」と判断した建物の方を見ると、縦に十数メートルはあると思われる巨大な掲示板があり、一人の若者の顔が描かれている。「EYE Film Institute」が「アイ映画研究所」と訳されうることを確信した。

若者は、黒いハットに白いシャツ、右目下にアイシャドウ、両目をギラリと輝かせ、暴力的な不敵な笑みを、こちらにそして世界中に向けている。そう、映画ファンにはお馴染みの、物議も醸した傑作映画の主人公のあの顔を見て、思わず「ええ〜、本当かよ!」と叫んでいた。

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