見出し画像

No.185 よろしく!小野先生(9)初めての中学受験指導・その1

No.185 よろしく!小野先生(9)初めての中学受験指導・その1

No.183の続きです)

まずミドリお母さんの話をしっかり聞き、寄り添うのも大事だと思ったが、自分の持っている意見や見解も率直に言うのが自分らしいし、この時もそれを言わずに済むはずもなかった。

「お気持ちは分かりました。なんでも率直に言ってくださいね。こちらを辞めていただいても結構です。僕も塾を始めたばかりですし福島出身ですので、東京都内の中学受験に詳しくもありません。やはり不安ですか?」

「本人の甘える性格や、向き不向きを考えると公立中学校より私立の方が向いているのかなと考えちゃいます。リョウはこちらでの学習が楽しいって気に入ってます。でも中学受験となると・・・。どうでしょう、進学塾に通わせて、こちらでも補習とかで少し見てもらうのは・・・」

塾を始めて数ヶ月だったが、生徒が一人でも減るのが嫌だとかはまるで思わなかった。それよりも、リョウくんにとって何が良いのか考えることと、僕自分の考えを、目の前のミドリお母さんに伝えたかった。…今にして思うと、色々と理屈は付けられるのだが、実際はもっとずっと直感的、直情的に言葉を発していった。福島訛りの残る僕の話し方と、明るい性格の「迷えるミドリお母さん」を再現するとこんなふうだ。

「いや、塾の掛け持ちは、良くないな。先方さんでの教え方と、こちらでの教え方が違うと、一貫性がなくなり子どもは、リョウくんは、迷っちゃいますよ。それは避けた方がいいですし、僕もやりたくありません」

「じゃあ、こちらで国語を見ていただき、進学塾の方で他の科目、算数と理科社会を見ていただくのはどうですか?」

「それも中途半端だなあ。そうなったら先方さんも、やりづらいし感情的にも疑問符ですね。任せるなら、入った塾を信用して全部任せたほうがいいです。お母さんから、何か『焦り』を感じてきたなあ」話しているうちに、段々と熱い気持ちが湧いてきて「ズケズケ」と言い続けた。

「そうですか。焦っているのかなあ」

「中学受験で終わりではないでしょう。学歴を考えるなら『大学』まで考えて動かないと。僕自身は、若い頃に『大学受験』を失敗しました。まるで勉強もせずに福島県の公立の進学校に行ったものの、大学受験浪人生活を2年送って(No.060 No.061 No.075 No.093 No.094 No.095 No.096 他)どこにも行けませんでした。仕方なく家業の酒屋商売を継ぎました。甘ったれた生き方ですよ。そこから38歳で大学に行くことになりました。まあ、一般論で言えば、あまり真似はしない方がいいです」リョウくんの相談からズレて、自分の話をし始めてしまっている。まあ、いいか。

「リョウくんと接してきたのは数ヶ月ですが、偏見に満ちた僕の考えを言います。中学受験をするなら、四科目受験、算国理社はやめて、二科目受験、算国に絞った方がうまくいく可能性が高いと思います。リョウくん、理科とか社会とか好きじゃないし。と言うか、社会嫌いだし」益々元気に好き勝手な言い草だ。

今現在、偏差値50を超える中学受験は四科目受験が当たり前だが、1998年この当時は四科目受験の他に、二科目で受験できる中学校も多かった。男子校では高輪中学校、獨協中学校、芝浦工業中学校などがそうだった。後に、これらの中学校も帰国子女枠などを除き、四科目受験に移行していく。

「こちらをやめて進学塾に行くのがいいかなあ。なんとも言えません。もし、こちらに残るなら全部任せてください。中学受験は素人ですが、うん、何かやってみたくなってきました。今の僕にできることは、一生懸命にやっていくことだけですね」

ミドリお母さん、こんな乱暴な教師に大事なひとり息子の将来を委ねる気になったものだ。かくして「小野先生の中学受験」が始まった。

ジュンク堂書店池袋の棚に並ぶ全ての中学受験の参考書・問題集に目を通し、四谷大塚を始めとする受験塾の教材を研究し、授業で教える問題は全て自分で解いて、最良の教え方を模索した。沢山の「手作りの教材」も鬼のように作った。記事No.132で触れた他にも「国語読解・想像と創造を駆使して展開を考えるプリント」は自画自賛している教材だ。

限りなくプライベートに近い、リョウくんとの「二人三脚」、いやミドリお母さんも含めた「三人四脚」の中学受験対策を進めていった。何となく知ってはいても詳しくは知らなかった「特殊算」の数々、和差算、消去算、分配算、ニュートン算・・・解いていて楽しかった。

「割合と比」「平面・立体図形」問題の中には、生徒に考えさせる良問も多く唸ってしまった。中学受験の算数が決して「ひねたパズル」のようなものだけではなく、中学や高校の数学に通じるところが大きくあることを実感して、自分で確かめもしない根拠のない「懐疑心」を持っていたことを恥じた。

リョウくんの中学受験対策を始めて三ヶ月、ジメリとした東京の暑さも過ぎた九月の爽やかな昼下がり、一台の自転車が塾の前に止まり、スラリとした女性が降りた。女性はポケットからハンカチを出し、二度三度軽く額にあてた。女性が目をあげ、塾の机の前に座る僕と目があった。ダイキくんのお母さんミチヨさんとの出会いだった。

・・・続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?