孔雀のスケッチブック

Die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug. 目に映った風景を模写するように。 HP→https://imnkujaku.com/

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    Sepiafarbe

    世界は突如として色を失った。 海底に潜り、殻の中から泡の言葉を紡ぎ出していれば、この嵐は過ぎ去るかもしれない。 しかし私は想像する。 アレントをしてその陳腐さで愕然とさせた一人の小人を。 殻から這い出し、潮風を吸う時に私がその小人になっている事を。 ある決断を迫られた時、然るべき判断を下せるよう、私は準備を整えておかねばならない…… 本性的に人間は苦しみを避け快楽を求める。もっぱらこの意味でのみ歓びが善の表象となり、苦痛が悪の表象となりうる。かくて楽園と地獄の表象作用が生じ

      • 200

        2021年8月、社会人になってから読んだ本の冊数が100冊に達したことにワクワクしてnoteを投稿したことがありました。 それから19カ月、さらに100冊の読了本が増え、気がつけば計200冊を突破していました。 ええ、わかっています。読書は数で評価するものではないですし、200冊分の全てを理解しこの頭の中に叩き込むことができているわけではないことも。(そして何より古典的・芸術的な面で種々の価値を持つ本々を前にしながら、何と多くの活字を滑らせてきたことか!私は忘却的である前

        • Karee wo Tsukutte

          カレーを作りながらハイデガーの技術論を思う 自然を挑発してかり立てる 質料因としての食材から香り・味・食感を引き出す これをかり立てる作用因としての私 スパイスの香りは親油性 油に浸して温度を上げていく過程でその香りを解放する 野菜・肉の旨味の秘密は糖分とタンパク質がカラメル化したこげにあるそうな この反応を促す酵素は高温で破壊されてしまうから低めの温度で時間をかけてやらないとうまくいかない 玉ねぎの皮もパセリの葉も煮ると出汁が出る じゃがいもの皮も牛乳で温めると香り

          • die Dunkelheit

            部屋に篭ってひとり 雪の降る音を聞きます 賑やかさとは無縁の 窓の向こうの闇に 私は聞き入ってしまっているのです 私の部屋は小さくて 蝋燭の影は壁を舐めています 柔らかに生成流転する 瞬きの連続が 私から少しずつ命を吸っていくのです 私を囲う壁は相変わらず 先人の思想の香りを閉じ込めます テキストから揮発する 数々の言葉が 私を酒に酔うバッカスに変身させるのです ただひとり過ごす部屋で 神の体を弄ります 存在という不思議を 思い出してはこう

            Dia(Mono)logue #1

            「”……公式調査では、全国のホームレスは20xx年にxx,xxx人であったのが……”、いやだめだめ、こんな表現は差別だと上司に言われてしまう、ホームレスではなくて”路上生活者”と書き直しておこう。 ……いやしかし、私は表現を改めたが、果たしてその内実は蔑視的なものではなくなったと言えるのだろうか?」 「君、心の声が漏れ出てしまっているよ、悪いが聞かせてもらった。」 「ソクラテス先生!」 「君は表現を改めたのだから、立派に君自身の意識を変えたと僕には見える。君はそれでは不満足だ

            prajnaparamita_A_20230321

            摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是  舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減  是故空中 無色無受想行識 無限耳鼻舌身意  無色声香味触法 無眼界乃至無意識界  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽  無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故  菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃  三世諸仏 依般若波羅蜜多故  得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多  是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶  般若心経

            Oshaberi #2

             ウィトゲンシュタイン (『実践理性批判』を手に取って)私はこの本の著者である。  カント おいおい盗作かい、それは僕のだよ。  ウィトゲンシュタイン では理路整然と反論してくれたまえ。  カント 僕はイマヌエル・カント。イマヌエル・カントは三批判の著作で批判哲学を体系化した。『実践理性批判』は三批判のうち第二批判と呼ばれるものだ。イマヌエル・カントは『実践理性批判』の著者である。イマヌエル・カントとはまさしくこの僕だ。というわけで私がこの本の著者だ。  ウィトゲンシュタイン

            Imasara

            まだ日も昇らぬ明け方に、 何やもわからぬ感傷が 私にApple music のアプリを開かせる。 指の導きに従って再生された幾曲かのうちに 椎名林檎の『野薔薇』が混じる。 もちろん、詞はゲーテ、曲はシューベルトのものだ。  しかし、そういえばドイツ語を読むようになってから聴いたことはなかったなと、布団を出てさっそく翻訳にとりかかる。 少年は見た、一輪の小さなばらが佇んでいるのを。 荒野に佇む小さなバラよ。 それはそれは若く美しかったので 近くで見ようと、少年は急いで駆け寄

            Prolegomena_V_4_20230108

             今回の投稿で私が何をしようとしているか、一言で言えば翻訳、しかしこの作業にも手順はあるのだし、その過程ごとに思うことも色々とあるのである。そして、このような過程で翻訳者の頭に浮かぶものを私は見てみたいと思うゆえ、敢えて私は己の浅学を晒す恥を承知でフォーマット化した翻訳手順をここに提示することで、これを読んで触発された者が、各々の翻訳活動において、完成させた訳文だけでなく、そこに至った道をも示していただけるようになる動機の種を提供できることを期待している。そうしてこのことが実

            apologia_19_20221230

            「Είεν, απολογετεον δη, ω άνδρες Αθηναίοι, καί επιχειρετεον υμών εξελεσθαι την διαβολην ήν υμείς εν πολλω χρόνω εσχετε ταύτην εν ούτως ολιγω χρόνω.」 Apology 19

            blessing_01_20221126

            過去の投稿記事(https://note.com/mikiosunn/n/nd6e5e1376550)の一部を、音声に起こしてみました。ちょっとした実験です。

            Tada no Suugaku

            え?傾斜計なんて日常生活でそう使わんやろ。この人は何を言ってるんだか。(この人とは他ならぬ私。おふざけが過ぎる。) この問題、数学的。でもググってもこういう微妙な使い方って出てこない。よし、ならば私が著作権フリーの公式として残してやろうじゃないの。 まずはアプローチを考える。現場とかでは意外と頭がまわらないもので、しっかり準備したことか直感的なことしかできないんですよね。後で考えてみて、ああそうだった……とかはよくある話。 解けてみると、「何だそんなことか」。結局使った

            Blessing

            潮騒は轟音となって響く。 緑から藍にそして、青から白にグラデートしていく海と空が交わる一直線の水平線に浮かぶ一隻の船を見つめる。 波はうねり、テトラポッドにぶつかっては、飛沫を散らす。 海面に拭き晒す風が強制力となって重い重い水塊を持ち上げては、重力ポテンシャルの隙間にゆっくりと手を離しているのだ。 私は神による創造というものを安く考えすぎてしまっていたようだ。この広く深い太平洋、これを覆う想像を絶する水量。 波、風、岩。 これも被造物なのだ。なにも人間と人間の生み出す秩序