孔雀のスケッチブック

Die Eule der Minerva beginnt erst mit der e…

孔雀のスケッチブック

Die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug. 目に映った風景を模写するように。 HP→https://imnkujaku.com/

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Sepiafarbe

世界は突如として色を失った。 海底に潜り、殻の中から泡の言葉を紡ぎ出していれば、この嵐は過ぎ去るかもしれない。 しかし私は想像する。 アレントをしてその陳腐さで愕然とさせた一人の小人を。 殻から這い出し、潮風を吸う時に私がその小人になっている事を。 ある決断を迫られた時、然るべき判断を下せるよう、私は準備を整えておかねばならない…… 本性的に人間は苦しみを避け快楽を求める。もっぱらこの意味でのみ歓びが善の表象となり、苦痛が悪の表象となりうる。かくて楽園と地獄の表象作用が生じ

    • Тютчев #1

      (そういうわけでФёдор Иванович Тютчевという詩人はわたしの興味の対象になり得るのですが、ざっとググってみたところほとんど翻訳が出ていないようです。なれば、自分で訳そう。そのために勉強するのだから。) (まずは短くて、インパクトのあるものを。彼をウィキペディアで調べて出てきた格言めいたものにあたってみました。) 全体観について  あまり説明するのも野暮ですが、結論はもちろん第1連で言い尽くされています。ドストエフスキーが作り出した「カラマーゾフ的」とい

      • MEMO_『差異と反復』

         哲学、文学、精神分析などの人文学にとどまらず、数学、物理学、生物学などの分野からも種々のモチーフを持ち込む。そして、私を混迷に陥れるのが、ジル・ドゥルーズの『差異と反復』という書物である。  河出文庫で2巻。ご覧の呟きのとおり既に終章に入るが一向に話が見えてこない。あまりにも癪なので、もう一度頭から読み直すことにする。本書に限らず、咀嚼できず、消化不良の感が残る本は多々ある。普段なら、そういうものは、いったん放置し「読んだ記憶」に圧縮する。そしてその記憶が、また別の本なり

        • 20240401

          コンステレーションを描いて 時間の根源に理念が散らばる それらの特異点からは 発散し、渦巻き、同心円に広がる微光が 重なり合って白色光とマーブル模様の組織を生み出す 私とは 彼とは それとは 光源から時間の彼岸を貫くその境も曖昧で 一時通過的な平面の一部である 散逸する 一切はあって、散逸する しかし散逸とは更に複雑な模様を描き出す積分的綜合の運動なのだ

          Zakkann

          アラヤ識。水槽を満たす可能性の総体としての言葉。その流体は連続体は現実界への顕現を待つ。 存在は時間のうちに現成する。つまり、存在とは時間そのものに他ならない。では時間とは何か。それは直線的な連続体であろうか。すなわち、過去と現在と未来とが、順に流れ行くような連続体であろうか。 我々は過去を思うとき、決してそれが在ったと考えてはならない。過去は物自体である。「過去があった」のは今この瞬間に私によって想起されたそれであり、それ自体が含み持つ時間性を認識しようとするのは、悟性

          Oshaberi #3

           ソクラテス やあ、ルートヴィヒ。  ウィトゲンシュタイン やあ、ソクラテス、どういう用件で?  ソクラテス 今日はね、君に紹介したい僕の友人を連れてきたんだ。  ウィトゲンシュタイン それは珍しいこった、君が連れてくるからには当然、大物なんだろうな。  ソクラテス それがね、なかなか拗らせた青年でね。なかなか面白いんだけど、やや僕には手に余るところがあってね。君と話してもらいたいんだよ。ほれ、おいで、ロージャ。  ラスコーリニコフ ……  ソクラテス こちら、ロジオン・ロマ

          実験的連続投稿 #2

          (承前)  第一の問いに対する1つ目の事例として、私は数学を挙げよう。数学とは明証的にことがらを説明する極めて優れた手段である。その昔、プラトンが私設した学園の門前に「幾何学を知らぬもの、くぐるべからず」[1] と掲げ、哲学を修める者に数学的認識を前提として要求したことは有名な話である。あるいはまたペンローズ氏が主張することには、物質的世界は「プラトン的世界の小さな部分」である数学によって全体を原理的に記述できるということである。[2]  彼らの言葉から分かるのは、この世界

          実験的連続投稿 #2

          実験的連続投稿 #1

           ここに私は一つの実験の開始を宣言する。それは連載紛いの投稿である。やはりある程度「書く」ということに対してプレッシャーを与えていなければ、考えが捗らない。やがて「読む」ことの無為性に自己が圧壊してしまいそうになるのである。とは言っても、この実験はほんの先ほど思いついたものに過ぎないし、途中で気が変わってやめてしまうかもしれない。それにこれから書こうとしていることは、私が今まで書いてきたことの統一性を再度確認する類のものであり、目新しい論説にはあまり手を出せそうにない。全10

          実験的連続投稿 #1

          20231016

          昨日のこと、一本の論考を脱稿した。今は印刷待ちで、週末ごろには手元に届く。前回の「自己」に関する論考に続き今回は「芸術」について書いた。週末の読書会とコミティアでお披露目し、ネットでの公開もいずれやっていく予定である。 執筆には1ヶ月ほどしか使えなかったものの、それなりに私の中心に近いものを表す内容になったように思う。もともと私は科学や技術に関する哲学に興味があるのだが、今回の論考で芸術を経由地にして、技術と宗教を結んで考える筋が見えたような気がする。 今回は目標に間に合

          Chiramise #2

          本稿は2023年9月10日文学フリマ大阪の出品作品『「自己とは何か」をめぐる諸考察』からの抜粋です。本作について詳しくは以前の投稿をご参照ください。  こうして我々は、自己意識の運動を経て精神つまりは社会的共同体を形成しうる自我に到達することができた。ヘーゲルに言わせれば、「人類の歴史はフランス革命において完結した」。つまり彼の哲学は、近代の哲学の一つの結論である。では、歴史が一度完結されたのち、世界では何が起きたのか?ーー産業革命である。組織化された生産体制のもとに資本を

          20230915

          哲学カフェにて。 「人権を尊重しようというのは世界の合意なのに、内実それが蔑ろにされている。なぜそうなるのか私にはわからない。」 それはほろりと零れ落ちた。 ああ、なんて優しい人。 私は雨音を聞きながらそれを眺める。 雨樋を滴る水玉は地面に到達すると、弾けて消えた。 ――理想はそうだ、でも現実には…… 濡れたアスファルトは異様な匂いを放つ。一度たった異臭はなかなか消えない。 心の奥底から湧き上がる悲哀の叫びはあんなにも美しかったのに。一瞬で失われてしまったのだ。 その

          Chiramise

           先日、私がファシリテーターを務める哲学カフェで「自分とは何か」をテーマに、参加者の方々と議論を交わしました。まさに喧々諤々の議論で、興味深い視点も多々見つかりました。内容はさておき、私はやはり本読みですから、こうして集めた視点をもとにもう一度、本(もちろん哲学書)の頁をめくりながら持ち帰った議論の一部を一人で反芻するのです。すると、どうしたことでしょう、読めば読むほど沸々と書きたいことが湧き上がってくるではありませんか。そして、ここぞとばかりに書き上げたのがこの『「自分とは

          精神の鏡像性。 その投影先つまり媒体としての、自然、芸術、そして己の精神そのもの。 映し出された永遠の真理と美に我々は見惚れる。 死の淵に臨むナルキッソスのように。

          精神の鏡像性。 その投影先つまり媒体としての、自然、芸術、そして己の精神そのもの。 映し出された永遠の真理と美に我々は見惚れる。 死の淵に臨むナルキッソスのように。

          200

          2021年8月、社会人になってから読んだ本の冊数が100冊に達したことにワクワクしてnoteを投稿したことがありました。 それから19カ月、さらに100冊の読了本が増え、気がつけば計200冊を突破していました。 ええ、わかっています。読書は数で評価するものではないですし、200冊分の全てを理解しこの頭の中に叩き込むことができているわけではないことも。(そして何より古典的・芸術的な面で種々の価値を持つ本々を前にしながら、何と多くの活字を滑らせてきたことか!私は忘却的である前