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お前よりしんどい思いをしている奴は、世の中に1億人くらいいるよ。

こんにちは、カイダです。
産まれてから三十数年…そこそこの経験をしてきました。

ここから私のしんどかった?経歴をつらつらと書きますが、決して悲観的なものではなく、最後は全米が泣くくらいの感動話に繋げていきますので、

「うわぁぁぁ…自分語り悲観乙」

みたいに思わないでくださいね(笑)

ということで…簡単に出来事を綴ってみます。

9歳まで
そこそこ普通に暮らす。

10歳頃?
深夜、母親を殴る父親に向かって、出刃包丁をもって泣きながら刺しに向かいましたが、途中で祖母に止められ断念。

止められはしましたが、その時は本気で父を殺すつもりで腹を決めていたことを覚えています。だって数ある包丁の中で1番殺傷能力の高そうな出刃包丁ですよ。殺る気MAXでしょ?

両親は間もなく離婚。
母と祖母の元で弟と共に暮らすことに。

11歳頃
はじめてクラスメイトからの無視といういじめに出会う。
ただし、私自身それがいじめだとは思わず、ただただ仲が悪く馬が合わないので、関わりがないだけという認識でした。

13歳頃
二度目の無視地獄。
このときはさすがに気付きましたし、なかなか楽しくない学校生活でした。

14歳の夏を過ぎたころ
便器に少量の出血痕が見られるように。
痔だろうと深刻に思うことなく放置。

16歳の夏
部活で外周を走っている最中に突然意識がぶっ飛び倒れる。
原因は極度の貧血、潰瘍性大腸炎発症による長年の血便が原因。

ここから入退院の繰り返し。
放置期間が長かったことも影響したのか全大腸型激症タイプでした。

長期入院によって出席日数が足りず留年。
もともとスポーツで入った学校だったので、留年に加え運動も難しくなってしまった現状、その学校に未練はないと自主退学。

今でこそ言えますが、退学の理由は別にありました。
それが弟の進学です。

母子家庭で2人の子供を学校に通わせるほどの経済的余裕がないことはわかっていましたので、戦線離脱し学費免除の恩恵がなくなった私がそのまま学事を払いながら学校に通えば、弟の進学の選択肢が潰れる。

それはまずいよねということで、それらしい理由をつけ退学しました。
今ではいい思い出です。

20歳ごろ
相変わらず持病は元気で再発と寛解を繰り返す日々でしたが、なんとか定時制の学校を卒業し目的の大学に入学。

しかし半年足らずで自主退学。
理由はわざわざ学校に通ってまで学ばなくても専門書を開いて自分で勉強した方が早いってことと、入学費用も含めて学費は全額バイト代で賄っていたんですが、半年過ぎたあたりから厳しくなったというのも大きかった。

20歳後半
法律系の資格を含めいつくつか資格を取得。
資格に関連する就職口はあったものの、なぜか起業を考える。
ただし、資格を取得しても仕事が簡単に舞い込むはずもなく苦戦し失敗。

21歳頃
医療現場で医師と患者のコミュニケーション不足が招く諸問題に着目。
インフォームドコンセントが適切に行われているかどうかをコンサルするボランティアをはじめ、その後事業として成立していく。

24歳
この時期は持病が落ち着いており安堵していたんですが突然合併症を発症。
厄介な病気でしたが苦痛はさほどありませんでした。ただ、治療にかかる時間や費用面で痛手を負うことに。ここは大変でした。

32歳
それまでの仕事をとある事業体に譲り新たに手作りペットフードの通信販売事業を個人事業として起業する。徐々に売り上げを伸ばす。

32歳中盤あたりから
それまでも再発・寛解を繰り返していた持病でしたが、この頃からより悪い状態が継続していき、心身ともに休まることができないようになる。

この頃から、大分県竹田市界隈に関わりができその自然環境に魅了され頻繁に通い始める。最初は観光でしたがいつしか療養目的で訪れることように。

33歳
またも合併症が発症。
前回とは違う部分での発症に戸惑う。

持病も相変わらず難しい状況が続く。
新薬も出るたびに試すが副作用ばかりが際立ちうまくいかず。
プレドニンに頼る依存症状態に陥る。

34歳以降
再発と寛解を繰り返し他の病気の対処にも時間をとられ、事業を一時的にお休みする事態が続く。営業中の利益が休業補填で相殺される。

これの繰り返し。

事業規模を広げ雇用を生み、自分が離脱しても事業が成立するような仕組み作りをしてこなかったことが裏目に出るという、あまりにこだわりが強すぎて他に任せられなかった能無し経営者のよくあるパターンを思い切りかましてしまう。

37歳終盤
ペットフード通信販売部門の事業終了

38歳
難病を抱えながらフロー型ビジネスの展開は難しいと区切りをつけ、ストック型ビジネスを成立させるためにフリーランスに働き方を変更。

いまここという感じです。

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という感じで、ざっくり出来事を綴ってみましたが、実際はもっといろんなことがありました。

と…こんな感じのいきさつですが、確かに私自身しんどいなって思うことは多々あるんですが、同じように起業家として苦しんでいる人はたくさんいますし、私以上につらい病気に苦しんでる人もたくさんいるわけです。

自分ばかり見てると、この世の中で1番不幸なのは自分じゃないか?って狭い世界で縮こまってしまいそうになりますが、ちょっと視野を広げてみると自分以上に大変な人ってこんなにいるんだって本当に気付かされます。

タイトルにある、

お前よりしんどい思いをしている奴は、世の中に1億人くらいいるよ。

ってこれですが、最近本気でそう思うようになってきてんるんですよね。

だってね、10歳頃の父親の話。
病気で苦しんでる私の状況を知ったにもかかわらず、治療費やケアなど余計な負担が頭をよぎったんでしょう。そそくさと逃げる面白エピソードもある父親なんです。

恐らく彼を許すことは永遠にないでしょうが、一時は彼の故郷である宮崎にも嫌悪感を持っていました。が…今では宮崎とはいくつもの縁が重なり大好きな場所になっています。

それからいじめの話。
いじめの原因は私にもあるんです。協調性が本当にないですしね。

その当時口を利かなかった多くの人達は、今では大切な仲間になっています。入院の間、病室に誰も訪れなかった日はないくらい誰かがお見舞いに来てくれた。今でも会えば第一声が私の体の心配なんですから。

さすがに病気になってよかったとは言えません。
そりゃならないほうがいいに決まってる。

今でも病気を疎ましく思うことが常ですが、ここから先の10年や20年。
かならずこの病気の経験は自分の利益につながると確信しています。

働き方が変わるこれからの時代、体験・経験・コミュケーションは次世代の事業価値を創出していくんだろうとみています。

むしろ障害を知る者が挑戦しやすい環境になっていく。
ここからが反転攻勢です。

私自身フリーランスとしてストック型のビジネスモデルを確立し、同じように病気で苦しむ人たちのモデルケースとなって貢献出来たらなと考えているんですよ。

なかなか前向きで立派でしょ?
そろそろ全米も泣いてるんじゃないのかな?(笑)

ということで長々と綴りましたが、結論は気持ちが腐った時こそ周りをよく見てみなってことですかね。

以外と皆苦しんでる。

それを見れば、あぁなんだ自分だけじゃないんだって開き直れるから。

まぁ…大変だけどぼちぼち頑張っていきましょう!!
それではまた。

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