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イワンのばか【集団の煽りと意図に気づかない強み・与えられた役割をこなす決意】

悪魔にもバカにもなれなかった

小学6年生の学芸会の演目「イワンのばか」の配役選出は、オーディション形式だった。悪魔とイワン、2つの役に挑戦したけれども選ばれなかった。私に与えられた役は、舞台の脇の階段に立ってマイクを持つ司会進行。そんな昔話を思い出した。

悪魔から様々な試練を投げかけられたけれども、イワンは「挑まれている」と気づかない。いわゆる天然くん。実はこれ最強モード。

長男がイワン風に振る舞う姿を実際に見たことがある。幼い頃から彼は人見知りをほとんどしない。怖いもの知らずで新しい場所に飛び込んで行く。ちなみにこれはホロスコープでの牡羊座気質の核。蛇足ですが。

息子が3歳頃、近所の幼稚園に通う子供達が「汚い言葉」で金網越しに彼をからかった。散歩で幼稚園の園庭脇を通る時の出来事だった。

近くにいた先生は、やめなさいと子供達を止めた。ところが息子は喜んで笑っている。仲間と遊びたかった彼は注目されたことだけが嬉しくて何を言われてもニコニコしていた。

言葉の意味がわからなかったのかもしれない。4〜5人の子供達が自分の方を見て言葉を発している、という「自分に向けられたエネルギー」だけを受け取って喜んでいたのだ。

この性質は諸刃の刃で、ただ「注目されたい」がために歪んだ連中に変なことをさせられる危険も孕む。

実際、高いところから飛び降りてみろ!と煽られている場面を見かけたことがある。彼の名前を集団に連呼されて、コンクリートの際で少し嬉しそうに笑っていた息子。注目されるためだけに物事をエスカレートさせて、怪我をしたりバカをみる可能性の種を見た。

その日の夜すぐ彼に伝えた。

煽り立てる集団の仲間でいるために、いつもなんでも応える必要はないよ。やりたくてできることならまっすぐにやればいい。だけどはやしたてる集団はただおもしろがっているだけ。その結果なにが起きても誰も責任をとってくれない。

やること・やらないことは自分で決めなさい。

このニンゲン集団の持つ「煽り」はしばしば、ヒトの人生をボロボロにしてしまう。芸能人・有名人を観察していれば具体例を際限無く列挙できる。

期待に応えたい
認められたい

そんな人間の持つ性質を過度に刺激するから。そしてループにはまると、いったいどこまでが自分のやりたいことだったのか、なんのためにやっているかがわからなくなる。

やっぱり私は今でも悪魔にもイワンにもなれない。他人を意識的に煽れないし、煽りを投げかけられたら、それが個人または集団の中に潜む悪魔的性質の仕業だと気づいてしまうから。

ではどうする?

目の前に与えられた役をやるのだ。やると決めるのだ。司会進行役をやると決めたらできることはたくさんある。声質を磨き滑舌を良くするために訓練する。聞きやすいアクセントや音量、メリハリやタイミング、リズムなどを整える。

覚悟が決まるとできることがたくさんある

これを日常生活にも当てはめる。日頃の行動の質を磨き、スムーズにできるように繰り返す。暮らしやすいように空間にメリハリをつけたり、生活リズムを整える。悪魔やバカのように目立つ役柄でなくても、淡々と今目の前にあることをやる。

頼まれごとは神事

ってホントだな、と実感している。イタリアに来てから一度も「就職活動」をしたことがない。いつも仕事がやってくる。向こうからやってくる。カモネギのようにお膳立てされていて、ベストなタイミングでこちらに向かってくる。

それらを工夫しながらやると決めてやる。

もちろん取捨選択はする。なにもかも引き受けていたら身体がもたない。大切な肉体はひとつしかない。とにかくなんでも「いいよ」と返事をしていた頃は、頭痛・腹痛・発熱にちょいちょいやられていた。今はYES・NOをきっぱり決めるから体調を大きく崩すことはほとんどない。

時代も変遷しているし、私も変化している

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どちらも度がすぎると煽りになる

私は舞台の脇で与えられた役をこなすと決めた。誰が見てるとか、見てないとかは関係ない。流れを滞らせないように言葉を発する。なるべく流暢に。静かに。あたりまえに。そして必要のないときは黙る。タイミングを見計らう。言うべきときは言う。

針仕事へ行ってきます。
素敵な1日をお過ごしください。

注釈 : 写真のボトルに書いてあるproseccoは甘くない乾いた味という意味。クールに司会進行をこなすイメージにぴったりの言葉。


Grazie 🎶