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もったいないおばけ

物が山ほど溢れている現代社会で生きているのに、今だに私達の遺伝子には貯めないと生き残れないという情報が組み込まれている。食べ過ぎや貯め込みは、いずれも生存本能にも関与している。そんな説があるらしい。

それに加えて個人的に、物が訴えてくるイメージを感知してしまうので、すぐに使わない物でもなかなか手放すことができない。

こうしてこうするとこんな風になるよ。あれと組み合わせるとこうなるよ。という感じで訴えかけてくる物達。

人は能動的に動けるから、それぞれの判断と行動を信頼して距離をおいたり離れたりしやすい。物には足や羽がないから、動かさないと動いてくれない。完全に受動的だから責任感が増す。

イタリアに来る前、たくさんの物を手放さなくては旅立つことができない状態になり、おかしくて笑った。人間と離れるよりも、お気に入りのやかんを手放すことに悶々としている。そんな自分に気づいたから。

今でもその性質は多分にある。離婚は決断できても、雑誌の切り抜きや包装紙で作ったパーツが処分できない。

いつか使いたい。使える。せっかく手作業したのに。整理したのに。捨てたらもう手に入らないかも。そんなもったいないおばけがぐるぐると旋回する。

生活雑貨や衣服などに関しては、この思考と感情の扱いが上手くなった。素材に関しては現在進行形で向き合っている状態。

今週末はたくさんのモノ達を成仏させる。アーメンでも南無阿弥陀仏でもなく除霊のことばは「ありがとう」。

もったいないおばけさん、ありがとう。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2021.4.17 加筆修正転載)

Grazie 🎶