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絵や作品をそのまま眺める体験が俯瞰視点を養ってくれた

母や伯母と一緒に
美術館を訪れる機会が
小学生の頃に何度かあった。

幼い頃にいろいろな
表現方法を直接眼でみることは
私にとってはとても貴重な
そして大きな財産となった。

歴史背景や技法のうんちく
美術界隈の光と闇などを
知識として知らない状態で
作品をただ眺めるという経験は
後に「物事をそのまま観察する」
という大切な視点にスライドした。

「人の肩書や名声」
「作品の背景や価格」

そういったうわべに左右されない
ものの見方を養う経験になった。

時は流れ、私の結婚式のために
彫刻家の伯母がイタリアに来たとき
一緒にフィレンツェを周った。

名作がたくさん並ぶ
ウフィツィ美術館に入ったが
彼女はそれほど魅入る様子がなかった。

外に出て街中を散歩している時に
管理の行き届いていない
公園のような一角で
現代彫刻を見かけた。

「こういうのがいいなあ。
 美術館は面白みが足りないよ。」

伯母がモダン彫刻の前で足を止めて
そうつぶやいた。

伯母が彫刻という表現方法を選び
立体的に作品を作ることにした
その理由はわからないが
確かに彼女の作品は平面の絵より
ずっとイキイキと輝く。

画家である伯父にデッサンを
習っているという話を聞いた。

たくさんスケッチや絵を
見せてもらったことがあるけれど
印象に残っている作品はない。

やはり彼女は彫刻家。

石や石膏、ブロンズで
何かを表現し始めると
途端にイキが良くなる。
彼女の命が宿る。

岡本太郎が審査員を努めていた
野焼きイベントにも参加して
縄文土器や土笛も作っている。

命が宿るものを作る喜びは
他のなにものにも変えられない。

作品のサイズや手法は関係ない。
ましてや周りの評価なんて
本来は全く意味がない。

作り手の情熱が宿り
それがまっすぐ伝わった相手が
共振して感動が生まれる。

過去の芸術家や有名人の作品を
高額でやりとりする様をみかけると
人間という生命体の不思議を
体現しているな、と思う。

「高額だから」「有名だから」
という幻の価値観に共振して
感動っぽい体験をしているのかな
と、傍から見ていると感じる。

家に飾ってある作品で
いちばん好きなものは息子達が
小学生の頃に作ったクレヨン画。

それぞれの個性と本質が
そのまま表現された
素晴らしい作品達。
毎日眺めて堪能している。

寝室に飾っている
自分の作品も大好き。
評価や販売価格といった
人間社会の汚染要素が皆無の
透きとおった魅力がある。

今日も絵を描きます。
素敵な日曜日をお過ごしください。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2024.7.7 転載)


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