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モノに触れていると文章が書ける/作家の僕がやっている文章術056

私はそのとき、ゲラ待ちをしていました。

朝日新聞社の編集部。

午後4時頃だったでしょうか。
春だったか、夏だったか記憶はあいまいです。

ゲラとは「こういう誌面になるよ」という仮刷りです。

印刷媒体では、いきなり本番の印刷をするのではなく、仮刷りをして間違いがないか、訂正箇所がないかを誌面に関わる全員で確かめるのです。

これを校正といいます。

文字だけではなく、書かれている内容に間違いがないかまでをチェックします。これを校閲といいます。

「古川禎久法務大臣は昭和40年8月3日生まれの宮崎県出身の……」

と原稿に書かれていたとして、本当に昭和40年8月3日生まれなのか、禎久(よしひさ)のルビで正しいのか、宮崎県と、宮城県とを書き間違えていないか。

校閲はここまでチェックするのです。

校閲は校閲部が担当し、私たちは校正に集中します。

このゲラは何回も仮刷りとして出力されます。

棒ゲラ→初校→再校→検ゲラ→念校……。

ゲラ待ちの間をボーッとして過ごすことはありません。

別の取材のための下調べをしたり、打合せを交わしたり、別の原稿のための電話取材をしたりと、けっこう忙しいものでした。

ところがそのときのゲラ待ちでは、私は特にしなくてはならないことがなく、文庫本の小説か何かを机に向かって読んでいたのだったと記憶しています。

「おい美樹っ!」

Kデスクが私の隣に立ちました。

「そんな暇そうにゲラ待ちするな。他の連中の志気が下がるぞ」

私はあわてて文庫本を閉じました。

「いまからデパート行ってこい」

買い物の用事を命じられたのかと思いました。

「どこの売り場でも良い。売っているモノを眺めてこい」

眺めるって、買い物じゃないのかと戸惑いました。

「お前、グラスの種類をいくつ挙げられる」

「ワイングラス、ビアグラス、シャンパングラス……ええっと」

「ほらな、ショットグラス、ロックグラス、カクテルグラス、リキュールグラス。ビールにもな、ゴブレット、ジョッキ、ピルスナーと、まだまだ種類がある。メーカーの名前や値段や素材だってまちまちだ」

「グラス売り場に行けばいいんですか」

「そう。そして大きさ、形状、触らせてもらえれば重さや軽さ、どこの国で作られたものか。何というブランドか。値段の違いは何か。飲んだとしたらどんな味がしそうか。ひとつひとつ観察してこい」

その真意は

「グラスについて書く機会なんて、一生ないかもしれない。でもな、肌感覚であらゆるモノを知っておくと、文章には自信がみなぎるんだよ」

Kデスクは、こう私に教示したのです。

「“A氏はワイングラスを手にした”とお前が書いたとして、お前の頭に明瞭な形状が浮かぶか。お前がワイングラスを持つ感覚が、原稿を書いているときのその手にあるか。ワイングラスはどこの国からやってきたのか分かるか。グラスを落として割ったとしたら、どれくらいA氏が慌てるか想像がつくか。名前としてのワイングラスと、本物を知っている実感としてのワイングラスを書くのとでは、文章の質が異なるんだ」

だから本物を見てこい、と言うのです。

「おい、グラス売り場だけじゃねぇぞ。家具売り場も見てこい、婦人服も見てこい、紅茶売り場も見てこい。あとは察しろ。分かったな」

次のゲラまで2時間。

私は銀座のデパートに、あわてて向かったものでした。

自分とは関係ないモノでも真剣に見る、観察する、ときにはモノについて尋ねる、触らせてもらう、価格を確かめる。

その価格の理由はどこにあるのかを探る、考える。

作った人はどんな人かを想像する。ときに敬意をはらう。

文章を書くためのウィンドウショッピングを私は今でも続けています。

名を知る、モノを知る、価値を実感する。

そんな日常の心がけが、取材をするときの観察眼や、文章を書くときの表現法となって現れるものです

ストアカ講座『文章が読みやすく、分かりやすく、伝わるようになる簡単テクニック』







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