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速く書くコツは書かないことだ/作家の僕がやっている文章術041
「おい、美樹、原稿をスラスラと書ける方法を教えてやろうか?」
朝日新聞社のMデスクが、私に言ったのです。
えっ、そんな方法があるのか?。
私は原稿用紙に向かって、ああでもないこうでもない、こう書くか、この文章はどうだ……と、執筆に悪戦苦闘の脂汗を流しているときでした。
何しろ、記者からデスクに登り詰めた大先輩です。
いや先輩と呼ぶのも畏れ多い、ヒラ記者にとっては雲の上の人です。
教えて欲しい、きっとすごい方法なんだろうな、コツがあるのかな。
Mデスクが私に言いました。
「あのな……」
つぎのひと言は私にとって衝撃でした。
「書かないことなんだよ」
???
「お前、いま、早く書かなきゃ。締め切りが来る。このプレッシャーから早く開放されたい。そんな気持ちで書いているだろ」
私はうなずくのも悔しく、Mデスクの次の言葉を待ちました。
「焦っているときには絶対に書けない。書いては消し、書いては消しで、時間ばかりが過ぎる。そうやって時間を浪費するうちに締め切りが迫る」
その締め切りを握っているのは、Mデスクその人なのです。
「書き出しを考えるな。時間の浪費はそこから始まるんだ」
もう万年筆は握っていられません。
「書く前に、考えろ。次に整理しろ。それから構成しろ」
万年筆のキャップはしめました。
「文字量を換算して、原稿全体の配分を決めろ」
言われてみれば私は原稿用紙の、枡目を埋めることに必死だったのです。
「配分が決まれば、自分が決めた一文、一段落に向かって書くのが楽しくなる。マラソンと同じだ。走者はいきなりゴールを目指して走り出さない。次の電柱まで、次の看板まで、その次の信号機まで、と自分を鼓舞しながら長距離を走るんだ。ペース配分を間違えた走者は脱落する」
そう言われれば私は原稿用紙の、枚数を稼ぐことに必死だったのです。
「書くべきことは何なのか掌握しろ。焦りの気持ちを制圧しろ。執筆を支配しろ。書かなければならない焦りにお前自身が支配されているうちは、原稿は絶対に書けない」
Mデスクは私の肩をポンと叩いて、
「あと2時間だ。俺への締め切りは守れよ」
言うと、クルリと背中を私に向けて、山積みの書類だらけの廊下をデスク席に向かって歩き去ったのです。
私は原稿用紙を裏返して、文字量の配分を考えながら、構成のメモを書き始めたのでした。
あれから40年が過ぎました。
「いきなり書くな。考えた後に書け」
40年の間に、原稿用紙は、ワープロ専用機に、デスクトップパソコンに、ノートパソコンに、タブレット端末にと移り変わっていきました。
Mデスクが私に教えてくれたノウハウは、それなのに40年経っても、まったく変わらない私の財産なのです。
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