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ら抜き言葉と過去完了丁寧語のゆくえ/作家の僕がやっている文章術054

日本語は常に変化しています。
それも流れるように変化をし続けています。

「ら抜き言葉」は、よく議論にのぼります。

食べれる、来れる、見れる、着れる、起きれる……。

日常で「ら抜き言葉」は、よく聞かれます。

ところが正しい日本語表現としては、

食べられる、来られる、見られる、着られる、起きられる、なのです。

私の考えでは、このら抜き言葉は、いずれ正しい日本語として定着するでしょう。

多くの人たちが使い続けることで、言葉は正しい表現として認識されていくからです。

しかし口語(話し言葉)にせよ、文語(書き言葉)にせよ、まだ「ら抜き言葉」は正しい日本語としては認定されていません。

基準はNHKのアナウンサーがニュースを読み上げるときの日本語です。

NHKのアナウンサーが

「美しい景色が見れる観光地です」
「名物の豚骨ラーメンは博多のいたるところで食べれます」
「冬の風物詩のタンチョウ鶴が、北海道で見れる季節となりました」

と、読みあげるようになったら、ら抜き言葉は市民権を得るでしょう。

その日が来るまでは、文章として執筆するときには、ら抜き言葉は書かないようにしましょう。

過去完了丁寧語は口語では、かなり普及しています。

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」

ひねくれている私は、

「まだ料理がそろっていないのだから、よろしいかどうかは分からない」

と、いつも過去完了丁寧語に居心地の悪さを感じます。

正しくは、

「ご注文は以上でよろしいでしょうか」

です。

「5000円の方からのお預かりでよろしかったでしょうか」

とレジで言われると、過去完了は丁寧語ではありませんよ、と声をかけそうになります。

過去完了丁寧語が普及した背景には、他人との距離を遠ざけたいという心理が影響しているのではないか、と私は考えています。

現在形の表現は、慣れ親し過ぎると感じる人が、他人との距離を置きたい、あるいは距離を置かなくてはならないと考え、過去完了丁寧語が生まれたのではないかと思うのです。

口語(話し言葉)は文語(書き言葉)の土台になります。

次のような文章をWeb記事で見かけることがあります。

「会社の方から渡された辞令は、山形支社への異動を命じたものだったのでした」

過去完了形を、現在形と過去形とに書き直してみます。

「会社から渡された辞令は、山形支社への異動を命じるものでした」

過去完了丁寧語は、文語(書き言葉)に侵襲をしてきていると感じます。

いずれ正しい日本語として、定着をするかもしれませんが、いまのところでは、過去完了形の文末表現は、避けるよう心がけると、違和感と誤解を与えない文章になると思います。



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