たった1文字の助詞が文章を変える/作家の僕がやっている文章術113
品詞のなかでも、助詞ほど軽く扱われている言葉はないかもしれません。
<文例1>
家へ帰る
<文例2>
家に帰る
<文例3>
家まで帰る
<文例4>
家へと帰る
どれも意味は一緒で、たまたま使われた助詞に過ぎないと読まれがちです。
<文例5>
おそばが食べたい
<文例6>
おそばを食べたい
文例5と6の主語は何でしょうか。
主語は「おそば」ではありません。
「私」「誰々」が、隠れている主語なのです。
<文例7>
私がおそばが食べたい
<文例8>
私がおそばを食べたい
<文例9>
私はおそばが食べたい
<文例10>
私はおそばを食べたい
文例7~10には「が」「を」「は」のそれぞれの助詞が使われています。
すべての助詞に「も」を当てはめても、文章は成立します。
「が」は、その前にある言葉を強調的に印象づけます。
「は」は、その後ろにある言葉を強調的に印象づけます。
「私こそがおそばを食べたい」
「私はおそばこそが食べたい」
の違いです。
「を」は目的語(ここでは、おそば)と動詞の橋渡しで使われます。
<文例11>
私(が)北海道(へ)旅(を)したの(は)、東京(の)都会(の)喧噪(に)疲れたからだった(と)思う。
北海道(の)なかで(も)、富良野(は)私(が)イメージする北海道(の)景色そのもの(で)、大地(の)色彩(の)豊かさ(は)、私(の)心(を)癒やしてくれた一番(の)思い出(の)地(に)なった。
<文例12>
私(は)北海道(に)旅した。
理由(は)東京(の)都会(は)喧噪だらけ(で)、疲れたからだった(に)違いない。
北海道(の)なかで(は)、富良野(も)私のイメージする北海道(の)景色そのものだった。
大地(に)色彩(の)豊かさ(が)ある。
私(の)心(が)癒やされた一番思い出深い、地(に)なった。
文例11と12では、助詞を代えることで、文体や読者への伝わり方や印象が変わっています。
助詞は意外と構文を組み立てるときに、大事な役割を果たすのです。
文章をいったん書いた後に、
1/読んで違和感がないか。
2/伝わりやすい表現にできないか。
3/もっと自分らしい表現にできないか。
この3つのポイントで、助詞をときには入れ替えてチェックをすると、新しい発見があるかもしれせん。
サポートしていただけると、ありがたいです。 文章の力を磨き、大人のたしなみ力を磨くことで、互いが互いを尊重し合えるコミュニケーションが優良な社会を築きたいと考えて、noteを書き続けています。