「誰かのせいにするのなら その誰かに生かされてるんだ」
こんにちは、3G commit! のみきちです。
先日から、愛着障害の記事への反響がジワジワと広がってきています。
愛着障害でもアダルトチルドレンでも、呼び方はなんでも良いのですが、私たちが気をつけないといけないのは「親のせいだから仕方がない」という結論をつけないことです。
確かに、幼い子どもは親を選べませんし、生きる環境も選べません。
今の私たちの生きづらさの上流には、大抵の場合、幼少期における親子の関係性や家庭の在り方が関係しています。
多くの方は、自分が愛着の不足を抱えていることを知って、一瞬だけ救われたような気がするのです。
「私がダメなんじゃなくて、親のせいだったんだ!」
自身の言葉や態度が好ましく思えない理由を見つけられるからです。
しかしそれでは、結局どこへも行けないのです。
苫米地英人博士の著書に「まずは親を超えなさい!」というものがあります。
こちらはKindle Unlimitedで無料で読めますので、ぜひ一度読んでみてください☺️
「親を超える」とは、どういうことなのでしょうか?
それは親元を離れて自立した生活をすることや、親よりも社会的に成功することとは意味が異なります。
私たちの行動や選択の基準に、親のもつ思考などが含まれている時点で、私たちはまだ親を超えられてはいないのです。
この意味が本当の意味で理解できると、人生はどんどん楽しく、軽やかになっていきます☺️
「自分がアダルトチルドレンなのは、親が毒親だったから仕方がない」
「親がロクでもないせいで、私は愛着障害に苦しむ羽目に遭っている」
こういった考えに至ってしまうと、「だから私は変われなくていい」と現状維持を続ける言い訳になってしまいやすい。
堂々とクリエイティブ・アヴォイダンスを触れ回っているだけ…なんて、勿体無いじゃないですか。
amazarashiの「ヨクト」という曲の歌詞にも、自分の人生を生きることについて言及されてますね。
「〇〇のせいで、私はこうなった」というのは、その原因とされる人や出来事に自分の人生を明け渡していることに他なりません。
自分の人生の舵は、自分で取るものですよ⛵️
そして大事なのは、「自分がどうなりたいか」です。
変わりたいのなら、変わればいい。
変わりたくないなら、別にそれもいい。
全ては、自分のGoal次第ですよ(^^)
「親を超える」とは、親の抽象度を超えていくことです。
今の自分の生きづらさを親のせいだ、両親が毒親だったからだと、親を恨んで生きるのも自由ですが、それは人生を親に支配されている状態だとと言っても過言ではないでしょう。
まあ、なってしまったものは仕方がありません(笑)
現在地が観えた私たちに必要なのは、これからどうなりたいかというビジョンです🎞
真に親を超えて、自由な人生を歩んでいきたい方は、3G commit! がしっかりサポートいたします😁
ちょっとでも親を超えられると、日々のごはんの味が、また違ってきます。
もっと食事を楽しめるようになりますよ〜!
おいしいごはんと、おいしい人生を謳歌したいなら、ぜひ一緒に学んでいきましょう♪
↓過去の記事はこちらから読めます↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?