愛するということ〜『幸せになる勇気』を読んで
このトップ画像は、先日「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」を読み終えた直後に私がFBに投稿したものです
読み終えて胸がいっぱいになって、特に最後の章はキテしまいました
相変わらず、哲人と青年が語り合っているだけなのに、その会話からアドラーの考え方を少しずつ吸収するにつれ、私は色々と真逆だったなぁと気づき、だからずっとしんどいんだなって
2冊を読み終えて、考え方を変えて実践していかねばと思う点はいくつもあったのですが…今日は「愛」に関する部分を自分でも消化するためにサマリます
まずその前に、前提として、アドラーは人が生きていく中で直面していかないとならない「人生のタスク」があると言っています。そして、それらは全て対人関係の課題だと。すべての悩みは対人関係にあると最初に「嫌われる勇気」でも言っていましたね
そして、悩みもですが、人間の喜びもまた対人関係から生まれる
すべての喜びもまた、対人関係の喜びである
大事なところでした。人は一人では生きていけないし、宇宙に一人きりだったとしたら、喜びも悲しみも感じなくなるのだと
アドラーがいう「愛」とは…
・「築き上げるもの」:意志の力によって、なにもないところから築き上げるものである。落ちるだけのものではない。だからこそ愛のタスクは困難
・不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げることである。わたしを優先するのでも、あなただけの幸せでもなく、あくまでも「わたしたち」
・他者を愛する技術、他者を愛すことであり、他者から愛されることより何倍も難しいことである
二人で築き上げるものではあるのだけど
アドラーの課題の分離の概念からすると、一個人ができるのは、他者を尊敬の念で愛することに全力を注ぐのみ。その愛情を相手がどう受け取ってくれるか、ちゃんと愛してくれるかどうかは、相手の課題になるわけなのです
そんなふうに割り切って考えるのも、ただただ無償の愛を注ぐのも、実践するのは本当に難しい。私は残念ながら子供を持ったことがないですが、血の繋がった子供になら与えるだけ与えられるものなのでしょうか
そのあたりの話に、何度かドイツの哲学者エーリッヒ・フロムのセリフが出てきます
「愛するとは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである」
相手が自分のことを愛しているかどうかを気にすることなく、ただ愛して、愛に身を投げて、担保を求めないこと
ただ愛する
人は傷つくことを恐れて、あらかじめ担保を求める。でも、それはアドラーに言わせると、典型的な劣等コンプレックス
必要なのはやはり課題の分離という発想なのですね
ただ愛することがあなたの課題。相手がそれに応えるかどうかは、あなたにコントロールできる課題ではない。だからこそ、自分から先に愛せばいい、ただ愛せばいい
目から鱗じゃないですか??
昔から愛とは愛することで見返りを期待することではない、って信念はあったので、よく言ってきていたのですが、課題の分離という概念でちゃんと考えると、どこまで自分が頑張ってよくて、どこからは考えても仕方がない、ってところが明確になった気がします
そして、フロムのセリフがまた引用されていました
「愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかにしか愛することができない」
人は「別れるために出会う」
今回一番納得をした最後の部分です
対人関係がすべての悩みの原因だと言っていたのに、そのすべての対人関係が「別れ」を前提に成り立っているという。なので、人は皆最初から別れるために出会うのだと
確かにそうですよね…たとえ長年連れ添った夫婦であっても、無償の愛を注いだ子供とでも、大恋愛をした相手でも、必ずどこかで別れはやってくる
それがいつであろうと、いつか「最良の別れ」となるように、そこに向けて不断の努力をするのです。出会ったこと、過ごした時間が最良になるよう、一緒に過ごした時間が間違いじゃなかったと思えれるよう
そのためにも、いつ別れがきてしまっても後悔のないように
「いま、ここ」を真剣に生きる
それだけのこと。ああ、アドラーのいうとおり「人生はシンプル」なんじゃないのでしょうか……
皆さんも今日から、あれこれ考えず、ただ愛しましょう!
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