見出し画像

多摩デザイン大学 「コグニティブデザイン」 菅 俊一さん

昨年通った多摩美術大学が、期間限定「多摩デザイン大学 / Tama Design University」を開校しているので、受講しています。

この問いを頭に置きつつ、学んでいこうと思います。

「我々は新しい世界をどうデザインできるのか?」

我々は今、環境をはじめとした様々な課題や、テクノロジーによる急減な変化と向き合っています。その状況の中でどうデザインするかの前に、何をデザインしていくべきなのかを問い直していくことが重要ではと考えました。


▼講義詳細
多摩美術大学が、誰もが参加できる“デザインの大学”を期間限定開校。50の新たなデザイン領域を知る、講義プログラム公開
東京ミッドタウン・デザインハブ第94回企画展「Tama Design University」12月1日(水)〜12月26日(日) 会期中は講義プログラムを毎日開催。聴講無料。

▼講義一覧HP


画像1

画像2


■テーマ
コグニティブデザイン「行動や判断の手がかりはデザインが可能なのか?」

今日のテーマは、コグニティブデザイン。コグニティブ(cognitive)って何?ってところからなのですが、日本語で「認知」と訳します。

認知デザインってこと?って思いながら講義を受講。

コグニティブデザイン


まずは、点の羅列で2と5が認識できる事例から始まります。それはなぜできるか、というと無意識に群化を行っているから。

群化(grouping)
・複数の要素を一つのまとまりとして見る、知覚のはたらき
・「知覚の体制化」の性質の一つ
  -ひとまとめにするはたらきは「群化」
  -境目を作ろうとするはたらきは「分凝(ぶんぎょう)segregation」
無意識に働く群化によって情報を構造化する
・空間の構成や、画面上の要素のレイアウトの基準となる
・群化のルールからはみ出してしまうと、体験者側に強い意識的な認知を強いることになる
・スムーズな群化のはたらきを設計することで、途端にわかりやすくなる

その後

そもそもデザイナーは何をデザインしているのか
という問いがあり、実は制作物をつくることが目的なのではなくて、

制作物(モノ・環境など)を通じて、行動や判断など頭の中にある情報(感情など)を生む手がかりをデザインしようとしているのではないか?

という話がありました。ちょっと難しいのですが、

靴を脱いでほしいときに、すでに脱いであるダミーの親子の靴を置くことで、看板よりも人が靴を脱ぎやすい状態を作り出した写真の紹介があり。

デザインとは、人の心を動かし行動を変えるもの
ビジュアル、形、ルールを美しく適切な姿で設計することで行動の変化を自然と促すことができる

とおっしゃっていました。

次に、研究室の仲間が、実家からのシャインマスカットを冷蔵庫に入れてくれた事例の紹介。

シャインマスカット自体は皮ごと食べれて、種もないのでとても「食べやすい」デザインなのですが、一房そのままだったので、その年はみなタイミングとか、食べる量とか遠慮して美味しくなくなった時に食べた経験があるとか。

次の年はどうしたかというと、その人が紙コップに小分けにしたうえで、置き紙もしたうえでマスカットのおすそ分けをしてくれたおかげで、美味しく食べれたのだとか(笑)

選択や判断の存在を消すことで価値をつくる
実を外して紙コップに小分けにするだけで、
誰もが自然と手を伸ばせる「食べようとしやすさ」を手に入れた
「食べやすい」デザインだけでは、美味しく食べられない 
美味しく食べるためには「食べようとしやすい」デザインが必要

このデザインの例、とてもわかりやすいです(笑)

ほかにも、選択や判断の存在を消した事例として、下記挙げられていました。

折り畳み傘
・カバンの中にいつも入れたままにしておける
・出かける前に「この後雨が降るか」を気にする必要がなくなる
・選択肢を1つに固定させることで、判断の存在が消える
ドラム式洗濯乾燥機が消した判断
・「干す」「乾いた選択物を取り込む」プロセスが不要になる
・天気を気にして洗濯できるかを判断する必要がなくなった

言われてみればなるほど、と思うことなのですが、日々の判断や行動に敢えて制限をかけることで、自然とストレスの存在を消失させることができるそうです。

より良く生きるためには、人間の心を対象にしたデザインが必要で、それが人間の認知を扱う「コグニティブデザイン」なのだそうです。

コグニティブデザインを実現するためには、制約を作ることが有効だとか。

デザイン=行動や判断の手がかりをつくる=導線としての制約をつくる

私たちが普段無意識に何を察知して判断し行動していたのかを探る。
どのような条件設定をすると、人間は無意識に心地よく行動できるか探る。

導線としての制約を設計する際の指針

では、どうやって制約をつくるかというと3つポイントがあるとおっしゃっていました。

動機の生成
どうしたら自然と、やってみたいという気持ちを作れるか

注意の設計
どうしたら自然と、ある部分に注目してくれるのか

身体の誘導
どうしたら自然と、意図した行為をしてくれるのか

先生が行っている活動の事例として

「乗り越える視線」や、「その後を、想像する」、の話がありました。

「2. 乗り越える視線」は、「視線」の実験だ。これはやられた、という感じである。まず正面のディスプレイに映っている、四角と線だけで描かれた単純な顔を見ると、黒目がある方向を向いている。その視線の方向を辿ると、その先の壁には同じ単純な顔があり、また黒目がある方向を向いている。その視線の方向を辿ると……ということを繰り返していくと、気がつけばあちこちを向かされ、最終的に元のディスプレイに戻ってくるという仕組みだった。これは視線同士をつないで、空間に見えない線を描く試みだそうだ。
「3. その後を、想像する」では、ディスプレイ映像と、本を模した板の図版とで、日常的な行為の続きを想像させる試みが行なわれる。例えば、トングで掴んだ角砂糖をカップに入れようとする。映像や絵はそこでストップし、その後どうなるのかは、鑑賞者の想像に委ねられる。液体がカップの外にまでポチャンと飛び跳ねるのか、液体の水面が少しだけ揺れ動くのか、その想像は鑑賞者自身の経験値によって変わる。いわば想像力が働くことで、人は日常生活のなかで危険回避ができるというわけだ。これら3つの展示を通して、限られた視覚情報であっても、想像力でさまざまな情報を補うことができる人の知能の偉大さを、改めて教えられた。

「その後を、想像する」は、映像がありましたので、どうぞ。

これは、この後どうなるの??と思うのですが、人間は勝手にその先を想像するそうです。自分の頭で、手がかりから情報を補ってつくりだすことは、新しい喜びを生むのだとか。


■所感
昨日の深澤さん講義に引き続き、「認知」「自覚」することが大事ということを感じました。また、知らず知らずの間に、デザインに誘導されていたのかーと思ったりもします。

そして、昨日の講義以降、早速日常の違和感に気づきました。いままでPC1台だけPC台を使っていたのですが、PC2台で作業しようとすると、どうしても1台の高さが低くなってしまい、作業しにくかったので、PC台をもう一台注文しました。

こちらおススメです!


また、Bluetoothマウスが1台にしか反応しなかったので、1台はマウスなしにしていましたが、同じ作業ができないことがたまにストレスだったので、同じ型の色違いを注文しました!(単にどちらもめんどくさくて購入していなかったというだけかもしれない)

少しずつストレスをなくして、心地よい環境にしていこうと思います。

クリエイティブ文脈ではないですが(笑)

明日は、TCLでたくさんお世話になった、石川俊祐さんの講座。楽しみです!


最後までお読みいただき、ありがとうございます!スキ💛コメント、とても嬉しいです💛