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平等になったのは「遊び」と「セックス」?男女雇用機会均等法がもたらしたもの

中学生の時、公民の授業で「男女雇用機会均等法」という言葉が出てきて
「長い単語だなぁ」と思った記憶があります。

社会のテストに出るから覚えるべき長い単語。
それ以上でもそれ以下でもない、字面硬めの、用語集の太字ワードでした。


今になって、この法律の実質的な意味や影響を見てみると、奥深くて面白い…!ではないですか。

ほぼそのまんま、”タイトルがオチ” という今回の記事ですが、
女性の視点を中心にまとめてみます。


□均等法で「仕事」は男女平等になっていない

1986年 男女雇用機会均等法 施行

正式には「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」。


これまで男性主体で運営されてきたビジネス社会に女性が進出することによって、男性にも女性にも働きやする社会がやってくるのではないかという淡い期待。

しかし実際には、
女性がこれまでのビジネス社会のシステムに、一方的に順応することを求められる結果となりました。

そして
そこで改めて浮き彫りになった「女の役割」。

”営業のおじさんたちが手の平を返したように冷たくなった。”

当時 働いていた女性の声です。
それまで会社の中でうまくやってこれたように思えたのは、女子枠の中に納まり、自分が「女の役割」の中にいたから。そんな背景を表すエピソードです。


□それでも女性たちは社会に出ていった

女性たちが目の当たりにしたのは、男社会の現実。

ああ不憫な…とも思いますが、
他方でこの頃(1986年頃)って、ちょうどバブル経済の後押しを受けていた時期です。
いくらでも「とらばーゆ」ができたし、女性たちが社会に出ていく機運は盛り上がっていました。なんだかんだで、若い人たち、特に女性たちは、消費の担い手になるくらい、それなりにお金を手にするようなっていった時代です。

悪い時代ではないよね、という。

ついでに、
"男社会"という点についても、少し。(所感)⇓

「初めから与えられていたもの」って、そもそも「手にしている」ことすら認識するのが大変。多くの男性にとって、会社勤めが始まった当初から、完全なる男仕様の土壌で日々を生き抜いてきた訳で。

新たな訪ね人(女性たち)に、
仕事の上で譲歩したり、気を遣いながら業務にあたるなんて、理想("男女の均等な機会及び待遇の確保!")を掲げたところで、具体的な制約でもなければ無理な話では?と。

というわけで、
男性たちを責める気持ちには、なれないんですよね…。


□「遊び」と「セックス」は男性と同等に?

均等法で同等になったのは、
「仕事」というよりむしろ「遊び」と「セックス」…という意見がとても興味深い。

【遊び】

働く女性たちは、これまで男だけのものだったエリアに参入。

例えばゴルフ、例えば
会社帰りの赤ちょうちん、なんてのも…。

遊びで女性が主体となることに対して、世間の「女だてらに」というような視線が弱くなっていったのが、この均等法の施行後の時期。なるほど。


【セックス】

法律の上で「同等に働く権利」が保証されたことで、
性における男女のパワーバランスに変化が起こります。

妻子ある男性が未婚の女性に手を出し愛人にする、なんてことはずっと昔からあったこと。
そしてかつては、手を出した女のことも養うのがルールでした。

それが女に対しての責任であり、
女の方もそれを承知で許す

という”男女の力関係”が存在していたのです。

しかしながら、均等法施行後、

「男性と同じように働く権利を持ち、経済的に自立しているなら、そんな責任は負わないよ」

という意見が男女の色恋市場を席巻し(たのかな)、ゆえにこれまでの男女の力関係に変化が起こり、そこで生まれたのが不倫です。

不倫って、ようやくここで成立するのですね…!びっくり。


■まとめ


仕事における平等は実現しなかったものの、
プライベートとしての遊び、そしてセックスにおいても、
この均等法以降、女性は各方面における守備範囲を広げ、男性と(一応)同等の権利を得たことになります。

前回の記事で取り上げた戦前戦中&その後しばらく続いた、
「女の人生と性が管理される」「処女神話」みたいな時代と比べたら、かなり進歩したわけです。

感慨深い。


そして、女性にとっての「性」の位置づけは、
1990年代以降、さらに凄まじく変わっていくのですが、それはまた後の記事にて…。


【参考文献】
『少女たちの性はなぜ空虚になったか』高崎真規子
『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』上野千鶴子 田房永子


お読みいただきありがとうございました。



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