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妊娠

 4月も半ばを過ぎた。夫と大喧嘩してから3週間近く経とうとしていた。夫は相変わらず寝起き以外は事務所にこもっていて、家にいるときに顔を合わせても話をすることはなかった。お互いに譲歩する気はないし、このままだと本当に離婚かなあと思い始めていた。おそらく夫もそう思っていただろう。薬局のパートに行きHクリニックに行き、合間に家事や父の相手をして、と、夫がいない生活にも慣れてしまっていた。
 
 そんな中、自分の体調に違和感を覚え始めていた。毎月コンスタントに来ていた生理が、1週間ほど遅れている。出血があり、よかった来た来たと思ったら、すぐにまたなくなってしまった。下腹部が張ったり、チクチクとした痛みを感じることもあった。
 引越し、新しいパート、夫や父との喧嘩など、色んなことが重なり疲れが出てしまっただけだろうと思っていた。引っ越してから体重も減ってしまったし。大丈夫、大丈夫と言い聞かせていたが、何だか吐き気もしてきた。これはおかしい。もしかして…。
 勇気を出して検査薬を買い、父に気づかれないようこっそりトイレで箱を開ける。キットに尿をかけたら、みるみるうちに陽性のマークが現れた。妊娠。まさか。そんなばかな。
 驚きのあまりしばらく動けなかったが、気を取り直して、使用済みの検査薬をトイレの隅に隠した。夫に「話があるので、今日は早めに家に帰ってきてほしい」とLINEを打つ。ありのままを話し、私の気持ちも話し、わかってもらえなかったらそのときは仕方ない。離婚しよう。
 父が床に入った後、23時か23時半だったかに夫が帰って来た。居間のこたつに座り「話って何?」と尋ねられる。LINEではなくきちんと顔を見て話すのは本当に3週間ぶりだった。
「私、妊娠したみたいやねん」
「…ほんまに?え?ほんまに?ほんまにほんま?」夫はかなり動揺していた。私は泣きそうになった。嘘でそんなこと言うわけないやん。トイレから使用済みの検査薬を取って来て夫に見せた。
 そこからは長い長い話し合いになった。
「今までのことは一度全部水に流そう」と夫が言った。何でお前が言うねんとまた反論しそうになったがぐっとこらえ、今私のお腹に宿っているだろう新しい命を迎えるために和解した。夫は仕事以外は家に帰ってきて、すでにつわりが始まっている私の負担を減らすため、家事や父の面倒を見るのを助けると約束してくれた。
 妊娠。妊娠。信じられなかった。夫はつき合い始めた頃から、結婚したら子どもがほしいと言っていたが、私にはその願望はなかった。私が30歳になったら子どもを持つことを考え始めようと一応話し合ってはいたが、別に出来ても出来なくてもいいし、2人で悠々自適に暮らせればいいやくらいにしか思っていなかった。
 本当に妊娠しているのだろうか。検査薬が間違っていて、産婦人科に行ったら笑われるんじゃないだろうか。不正出血も度々あるし、流産してしまうんじゃないか。そもそも私なんかがちゃんと産んでちゃんと育てられるんだろうか。パートも始めたばかりなのに、どうしたらいいんだ。何より父の病気のことがある。もし重い病気や障害がある子が生まれてきたら、もちろん私達は子どもにかかりきりになる。父のサポートどころではなくなってしまう。
 週が明けて、恐る恐る産婦人科の門を叩いた。
 妊娠5週目。白黒のエコー写真に、赤ちゃんが入っているという小さな袋が写っている。
 家に帰り、夫と2人で父に報告した。
「お父さん、私赤ちゃんが出来たんよ」
「そうか」
 これから妊娠に伴う体の変化が出てきて、お父さんに手伝ってもらわないといけないことも増えてくるから、よろしくねと伝える。体を大事にと父は言ってくれたが、それはこっちの台詞だ。せめて自分の体調管理は自分で出来るようにしてほしい。
 男の子と女の子、どっちがいいかなあとそわそわしながら話す父の顔は、抗がん剤の副作用で眉毛がほぼ抜け落ちてしまっていた。

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