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初海外は ドイツ 🇩🇪

こんにちわ、ミキヤです

今回は自分が初めて海外にいったドイツでのサッカー生活の話をしたいと思います。

ドイツ行きを決めたのは高校3年の9月くらいだったと思います

あっけなく高校選手権を2回戦で敗退して

大学を探していた自分に監督の知り合いでドイツでプレーしていた方と話しました

昔から人と違う選択をするのが好きだった自分には刺激だらけの時間でした

強豪校で大学はサッカーしてやると思い

大学を探していましたが

当時の自分は高校でいい成績を残せなかったから

強豪校は無理かと勝手に決めつけており

しっかり調べることもなく

付属高校だったのでそのままその大学に行こうとしてました

ただ願書を出した日の夜に

なんとなく決めた自分の進路に疑問を持ち

ドイツでサッカーやる自分を想像したら気づいたら監督に電話していました

やっぱりドイツでサッカーしたいです

その時の監督は快く背中を押してくれました

願書を出した次の朝一にクラス担任の所へ

その先生はレスリング代表までいき生活指導の人でとりあえずめちゃくちゃ恐い人でした

朝、生活指導室によりコーヒーを片手に持つ先生に

僕、ドイツにサッカーしにいきます

一言目に 何考えてるの?

全国大会にもいけてない高校の一選手が

日本でもプロになれてないお前が何をいってるんだと

その他もろもろ厳しい言葉をかけられて

そんな言うんかと思いながら気づいたら涙を流していて

たぶんそれは厳しい言葉を言われたからではなく

自分の覚悟の甘さに気づいたのと悔しさでした

スポーツの厳しさを知ってるからこそで

ある意味その先生からしたら優しさだったのかもしれません

2、3年後その辺で働いていたら笑ってやるからな

応援してるよ

と最後に言われた言葉

今でも自分の原動力となっています

そんなこんなで19歳の9月にドイツへ渡航

2年レベルの高い環境サッカーしました

最初はドイツ8部 VfR Krefeld Fischeln セカンドチームでプレーしました

え、8部かよ

と、最初は思いました。

ただ言葉も喋れない自分はここでドイツを学んで欲しいという代理人の意図でした

まずは言葉かと思い

週3回の練習を全力で楽しみ

残りの時間は家でひたすらドイツ語の勉強でした

ドイツ人の家にホームステイ的な形だったので

隣の部屋のおじちゃんに話しながら

ドイツ語を学んでいました

デュッセルドルフという日本人が1番住んでいる地域の近くに住んでいたので

ドイツ人と日本人の家族で経営しているおにぎり屋さんでアルバイトも始めました

良いチームに恵まれて充実した一年目でした

元々いたチームのユースの監督が自分のプレーを見ていてくれたことから

隣町の6部のチームで監督するから一緒に来ないかと誘っていただけて

次のシーズンからTSV Meerbusch のセカンドチームでプレーすることになりました

正直この移籍はすごい嬉しかったです

8部は趣味でやっている人が多く

腐らずに常に全力でプレーしていたことで

周りの人に評価してもらえたので

自分がやってることは間違ってなかったんだと再確認できた瞬間でした

ただ、ここからドイツサッカーの厳しさを味わいました

監督の期待されてチームに入団しましたが

なかなか結果を出せずにいました

またこの時ビザ問題とも闘っていまして

その時働いていたおにぎり屋さんで正社員として働き就労ビザを降ろしてもらってました

基本ドイツでサッカーする人のビザは3つくらいで

1つ目は ワーキングホリデー

1年間その国で働いたり語学学校いったり様々な渡航目的に適応するビザです

2つ目は 語学学生ビザ

語学学校に通いその学校からビザを降ろしてもらいます。

サッカーチームによってはチーム側がこの語学学校代を払ってくれることもあるそうです

3つ目は 就労ビザ

日本食レストランなどで正社員、準社員として働きビザを降ろしてもらいます

サッカーチームである一定の給料を払ってくれるチームだとそのチームで就労ビザが貰えます

だいたい4部以上や5部のお金を持っているチームがやってくれます

自分は3つ目の就労ビザで2年目は過ごしました

おにぎり屋さんは朝4時くらいから昼の13時頃までで週6勤務でした

仕事自体はやりがいもあり楽しかったのですが

夜練習で帰宅が23時で起きるのが3時30半

圧倒的な睡眠不足で

どんどんコンディションは落ちていきました

時には練習休もうかと思い

仕事>サッカーになっていました

試合もなかなか絡めない状況だったのですが

だからこそできることはないかと探し

筋トレをかなりするようになりました

ドイツでパーソナルトレーニングにも通い

フィジカルはかなり伸びていました

海外に来て1番良かったなと思うのは

常に自分と向き合うことができることです

日本では想像もできないくらいに問題や辛いことが起き

その度にじゃーどうすればいいのかと考え行動します

誰も助けてくれない

待ってても何も変わらない

自分からアクションしないと

何も始まらない

時にはチームで浮いたり自分のことを信じられない時もありました

その度に自問自答してどうその壁を乗り越えるか

考えていました

海外いったら世界が広がる、変わると聞いたことがありますが

あれは自分では想像もできないことが起きて

それを乗り越えるからこそ

自分の器が大きくなり、視野が広がり

物事をいろんな角度で考えるようになることなんだと思います

今でも思います

なんとなく大学を行く選択をしなくて良かったと

あの時真剣に自分と向き合って良かったと

もし、自分に将来子供ができたら

一度でいいから海外に行っておいでと

自信を持って言えます

そのための支援はしたいと思うし

自分も親にしてもらえた

そのおかげで感謝と覚悟を持って生活できました

今でも親には感謝しかありません

ドイツ生活の続きは次回書きたいと思います

長い文章を読んでいただきありがとうございました


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