見出し画像

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。」

現在地元青森県八戸市に暮らしている私は、普段、東京で過ごした大学時代について振り返ることがほとんどない。20代半ばまでは、自分の学歴をフックに仕事を獲得した経験もあったが、30歳を超えてからは、仕事の実績以外はあまり見られなくなった。いや、でも早稲田ブランドに助けられたことも、正直に言うと、なくはない。弊社のHPに検索でたどり着いた企業が、社長はどんな人だろうと読み進めてくれて、早稲田出身なんだ!というところを気に入ってくださって発注、という流れは幾度となくある。とはいえ、自分から出身大学を申告する機会は少ないし、普段早稲田を意識することはない。

先日久々に、母校の早稲田大学のキャンパスを歩く機会を得た。ビジネスの場で出会った早大の大先輩たちと共にぶらぶらとキャンパスを歩いていると、大学時代の楽しい思い出がブワーーーっと蘇ってきた。私は当時出来立てほやほやだった国際教養学部(SILS)出身で、その学部の4期生。出身高校である八戸高校からSILSに入学した初めての生徒だった。国立大学をおすすめされまくる地元進学校の進路指導をかいくぐって、早稲田を選んだ。あぁ懐かしい!卒業してからもう、13年ぐらい経ってしまった!

早稲田大学のシンボル!大隈講堂

大学時代の4年間は本当に楽しくて、毎日経験値を積み上げている感じは修行感もあったし快感でもあった。まず、一人暮らし。食事や光熱費など、ただ生きているだけでお金がかかることを知った(実感した)。学問の楽しさや奥深さも知った。テレビの中で語られているニュースが、本当だったりそうじゃなかったりすることも知った。アルバイトは大変だけど働くことは楽しいと知った。容姿端麗な女性は需要があると知った。世の中にはあからさまなお金持ちがいて、自分とは違う価値観で生きていると知った。

私は勉強は好きだけど世の中のことをあまりわかっていない人間だったので、東京に放り出されて本当によかったと思っている。きっと青森で親元にいたら学ぶのに相当時間がかかっただろうことを、東京やアメリカで暮らし学ぶ経験を得たことによって大幅にショートカットできたし、想像していたよりもはるかに広い世界に触れることができた。早稲田で4年間学生生活を送れたことに、本当に本当に感謝している。(特に、1人で育ててくれた母へ、ありがとう。)

早稲田キャンパスを久々に散歩しながら、ふと、数年前にバズった上野千鶴子さんの東大入学式のスピーチが頭に浮かんだ。タイトルの1文である。

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。」

全文はこちらから確認していただきたい。

東大ほどの偏差値でないにしろ、早稲田も入学するのは大変だ。一般入試だと、私の時代は40人に1人しか受からないとかいうことが言われていた。(最近のことは知りません。)それを、自分自身の努力で勝ち取った!と、20代までは思っていた気がする。だって勉強頑張ったもん、と。脇目もふらず、偏差値を取るために入試対策を頑張ったし、とにかく英語が必要だったので朝から晩まで英語を勉強した。その努力に自信があったし、他の人ができないような努力をできる自分にプライドのようなものが少なからずあった。大学に入学したり留学したりという経験を通して、自分より優秀な人が無数にいることはわかっていたので自分が頭が良いと思ったことは一度もないけれど、「努力が報われたから、今ここにいる」という意識は若い頃常にあったのだ。

その意識が崩れたのはいつかなと考えたら、やはり、キャリアが断絶した第一子出産後だ、と思う。子どもを産んでからの私は、「努力は報われる」が成立しないことがあると気づいてしまった。それまで、努力で勝ち取ってきたと思っていた物事というのは、大前提として自分が環境に恵まれていて、周りの人々に恵まれていて、遮る物事が少ないという状況があったから成り立ったのだと知った。

そうだ、私は恵まれた環境で育つことができたのだ、と今改めて思う。幼少期に父が病死して母子家庭だったにもかかわらず、私立大学の学費を払ってくれた母がいる。その母は、私がやりたいと言ったことを絶対に否定しなかった。素晴らしい先生や友達に恵まれた。ケアワークに時間を使う必要もなかった。心身ともに超健康だった。たまたま、ラッキーなことに、そういう状況の下にいたから、努力に向かうことができたのだ。

このことに気づけた私は今、以前よりも格段に強いと思うし、優しい人間に少し近づけたのではないかと思う。そして、世界に対して強く優しく在ることは、恵まれた環境で育った私自身の責務なのではないか、という意識が最近は出てきた。

特に地元のことを考えていると、その思いが強くなる。私を育ててくれた要素の一つは、確実にこの地元青森県であり八戸市なのだ。そして八戸で交流している人たちの中には、その環境・状況によって、望んでいた進路やキャリアを叶えられなかった人もいることを知っている。

哀れんでいるのでも、見下しているのでも、かわいそう、とか思っているのとも全然違う。みんなで幸せになりたい。誰も置いていきたくない。そのために、私ができることがあるのならば、私にしかできないことがあるならば、やらせていただきたい。勝手ながら、使命感に近いものなので止められない。自分の持っているものをフル活用して、もっと世の中の役に立ちたい!

35歳の私は今そんなことを考えながら、50-80代の大経営者の皆様と交流することもあるし、16歳-30代前半の若者たちと交流することもある。いろんな価値観の方々と交流すると、日々学びもあるし悔しいことや腑におちないこともいっぱいある!笑 もちろん全てを楽しみながら、自分自身を精一杯に使って生きていきたいと思う、今日この頃です!(まとめがよくわからない感じになったことは反省)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?