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自分のレベルアップを言語化

5日ぶりの仕事。

隔週土曜日の仕事がない週は、すごくゆるりとした時間が過ごせてね。

少し時間が空くからわかる、仕事をしているといつもと違う感覚の自分。

それをこの記事では言語化して、腑に落としたい。


言葉のバリエーションが増えた

今日、感じたのは

「ヤバイ、話せる言葉が増えてる!」

だった。

小学生か!?と思える内容だけれど、でもホントの話。

noteで言葉をつづり続けたからこそ、使える言葉が増えたんだと思う。

言葉を知っているのと、その場に合わせた適切な言葉を選べたり使えたりするのは、別よね、うん。

私は人の感情とか察する敏感さはあるんだけど、その状況や感情に合うような適切な言葉っていうのがなかなか出てこなくて、何か言わなきゃって思って言った言葉がむしろ微妙?ってことが多かったの。

うん。

また真剣に考えちゃうから、空回り的なことも多くてさ。

サラッと流すのも大事だと思うんだけど、割と誠実に向き合いたい人なのよね。


元々、私は八方美人タイプでね、目の前の人のキャラに合わせて出す自分を変える感じだったの。

当たり前だけど、苦手なタイプもいるし、気を遣わなくても話せちゃうタイプもいるよね。

そんな経験の中で、私は仕事での「私」を作り上げていったのね。

今はだいぶこなれてはいるものの、やらかしたなーとか、ちょっと言葉が違ったなーっていう後悔って結構あって。

この人が望む言葉ってこれだと微妙にニュアンス違ったなぁとか、思ってたのと違う捉え方されちゃったのは選んだ言葉がよくなかったなぁとか。

私なりのこだわりかもしれない。

相手が話してきた言葉に対して、

「同じような温度感で返答できること」

「安心感だったり信頼感が得られるような話ができること」

その辺を大切にしたくて意識してきたんだけど、意識すればするほど、求める理想が高くなったりして。

思考と言動の一致感がなかなか得られず、モヤモヤしてたのよ。

そうすると感情がザワザワする。


それがね、最近ずっと私、自分の感情を深掘りしてきたし、不安にも向き合ってきたからだと思うんだけど、そこらへんの言葉のバリエーションがかなり増えたみたいなのね。

今日は仕事でね、不安が強くなって「つらい」という感情でいっぱいになってる方とのリハビリで、いい言葉が選べたんだよね。


不安の感情が大きいとね、人は動きたくないのよ。

どうしたら歩く気持ちになるかな、どんな言葉で心は動くかなって考えて、言葉をかけたんだけど、ヒットして。

スイッチが入ったのがわかった。

さっきはあんなに嫌がっていたのに、歩いてみようかしらっていう行動の変化が嬉しい。

心が軽くなると動こうと思えるのよね、わかる。


「たまには動かないとね。今日はありがとう。」


最初にお声かけしたときはやりませんって怖い顔してたのに、柔らかいお顔になったのを見ると、良かったなぁーって心から思う。

体を動かすと、気持ちだって変わるしね。

今日はそんな感じの方が4人いらして。

やっぱりメンタルが不安定になりやすい時期なのかもしれないね。


いい感覚が入ると、よく動けて、動くからさらにいい感覚が得られるっていう、好循環を促せるとすごく嬉しい。

そのキッカケとして、言葉とか態度から受けとる何かがあると思うのよ。

認知面が落ちている方は、より感覚的に敏感になっていたりするしね。

そうよね、だって自分を守るためには感覚を敏感にして危険を回避しようとするものよね。

安心、安全と認知してもらわないと、受け入れてもらえないって感じるのよ。


私が望んでいたことがわかる

人にかける言葉って、いろいろ考えるよね。

できれば傷つけたくないし、いい感じでやりとりしたい。

でも言葉って、ポイポイ出てこないのよ、私は。

想いはひといちばい強いんだけど、大抵空回りしてて。


私がね、 noteで何でこんなにもネガティブな感情を言葉にしたくなって、その感覚を切り替えられるように客観視して自分なりに言葉を見つけて励ましたり応援したりしたくなったのか。

それは私が今まで自分の中で越えてこられなかった部分であり、同じように苦しんだりネガティブから抜けられなくなってる方の力になりたくてもなれなかったからなんだってわかった。

自分で乗り越えることができたら、もう少し力になれるのかもしれないって考えてたみたいよ、無意識に。

それは仕事に対しても、夫に対しても、子どもに対しても、親に対してもあった想い。


いつも直球で、言われた言葉に反応してやや感情が強く出やすかった私。

もっと客観視して、全体から今必要な言葉を選んで、負荷が強すぎないように加減するくらいのコントロールをしたかった。


それが、今日、できた!この感覚だ!って思えたの。

このタイミングでこの言葉を選んで言えたのは、noteで自分と向き合ってきたからだって、すごく実感した。

この場面ではこんな温度感で伝えようとか、この話には距離を置いてどこかで切り替えようとか、頭でいろいろ考えて行動に移せるようになってた。


今までこういうことが冷静にできなかったのね、私。

目の前で起こることに次々と対処するって、結構難易度高いもの。

情報を上手く整理できなかったし、気持ちばかり焦っちゃって、上手く言葉も出てこなかった(周りの人からは全然そう見えないみたいで、ひとりで困り感を抱えてたんだけど)。

それが自分をコントロールできるってこんなにも楽で、罪悪感も感じにくくて、お互いにWin-Winでいられるんだーって思った。

これだよー、こんなふうに自分を律して動きたいってずっと思ってたんだよ。


行動できているからといって、悩みがないわけじゃないのよね。

自分の理想ややりたいことをどれだけできているかっていう視点も大事よね。


全ては自分に必要なこと

ネガティブな現実ばかりだったり、ネガティブな感情に陥ってしまうときって、つい原因を考えたり、自分はダメなんじゃないかって自責が止まらなかったりすることがあると思う。

私は長いことそのループにハマってつらかった。

でもね、今の私にはそれが必要だったんだなーーってやっとわかったよ。

その葛藤の中で生まれた感情や考えと向き合って、言葉にして、行動して、また感情が生まれて。

その繰り返しの中で、私は確実に前に進んでた。

ネガティブレベルがどんどん落ちていってしまったときは、ヤバくないか?と心配したけど、それだけ深堀りしたかったみたい。


一度経験すると、同じような思いを抱えている人を目の前にしたときに、選ぶ言葉が変わってくるのよね。

重い言葉って気軽に返せなくて悩んだけど、この言葉が出てくるってことは今はこんな状況か、って冷静に理解してあげられて、変な励ましなんて言わなくて済む。

そのまま受けとめるだけでいいし、大体視野が狭くなってるから「私はこう感じましたよ。」と視点を増やしてあげたりしてもいい。

そんなふうに対応していると、自分も寄り添えてる感じがあって、それが嬉しい。


いくら相手のためにって思って、相手が考えてることを想像したりしても、わからないものはわからないのよね。

それなのに、できないことに落ち込んでた気がする。

もっと相手の状態にあった言葉をかけたり、行動したりしたかった。

いくら相手のことを考えてもできなかったことが、自分と深く向き合うことでこんなにもわかるようになるなんてね。

まずは、自分から、なんだね。


人の気持ちと向き合う

ずっと気丈に自分だけで頑張ってこられた方が、体が弱って自分のことを誰かに世話してもらわなきゃできなくなってきたとき、

「人の世話になりたくない、申し訳ない」

という気持ちと

「今まで何でもやってきたのに、こんな自分が情けない」

という気持ちと、他にもいろんな状況で、体は動かなくても頭の中はいっぱいになってる高齢の方って多くてね。

認知面がしっかりしてる方の方がいろいろと理解できたり考えたりできるから、その苦しみは大きい。

そういう方を見ていると、認知症って「老いに対するひとつの適応のカタチ」なんじゃないかと思うほど。

わからなかったり、忘れてしまえた方が脳は楽なのよね。

もちろんそれがかえって苦しい場合もあるから、どれがいいとか悪いとかじゃなくて、環境にマッチしているかどうかが大きいと思うんだけどね。


老いと向き合うって難しい。

頭でわかってても、感覚的にはいろんな想いがぐるぐるするのよ。

私は体を動かす方の専門家だけど、そういう方は心が動かないと体を動かそうと思えなかったりするから、意識の向かってる方向ってすごく大事。

その人それぞれの歩みはあるのね。

だから支援者である私は、何かをしてあげるとかいう感覚じゃなくて、自分からこうしたい!と思えるような気持ちを下から支えてあげる感覚だったり、捉え方を変えて軽くなったところで一緒に動いて楽しんだり、そんな感覚で支援したいなって考えていて。

それがやっとカタチになってきたなぁって今日は特に感じたの。


昨日は90代後半の祖母に電話をしたのね。

「先日、(私の両親に)買い物に連れていってもらって、洋服をたくさん買ってもらって嬉しかったよ。

 でもね、もう先も短いのにこんなに買ってもらってもね。」

なんて言うもんだから、

「いやいや、だからこそ今を大事にして、着たいと思う洋服をいっぱい着て欲しいと思うよ。

 たくさん買い物できて良かったね。」

って話ができた。

以前だったら言えなかったなぁ。

言葉に詰まっちゃって。


もちろん相手の受け取り方次第では、やっぱり失礼だったりするのかもしれないけどね。

だけど今までは相手以前に、自分もいいと思った言葉を選んで伝えられなかったのよね。

それが今は、自分で伝えたい気持ちをちゃんと言葉にできてるって思うの。


経験から悟ったこと

今回の経験での自分への教訓はズバリこれ。

自分がしたいと思っていることを自分でちゃんと応援してあげることが大事

これ、めちゃくちゃ大事だよ。


私は自分の想いを上手く言葉にできないことがもどかしかったんだと思う。

不安とかネガティブな感情に対することは特に。

相手が悩んでるときに、上手く言葉が出てこなかったから。

割と「こうしたらいいんじゃない?」なんて正論で返してたことも多かったかもしれない。

私だったら嫌なのに、それしか言葉のバリエーションがなかったの。


noteでネガティブを言葉にして、その言葉に寄り添う言葉を考えて、また言葉にして、その言葉に自分が救われて。

それを繰り返していくうちに、自分の心に響く言葉がだんだんとわかってきて。

自分に響いた言葉は他の人にも響いたりするのよね。


ネガティブには特にうまく向き合えてこなかったから、しばらくネガティブバーーン!!な日々だったけど、結果すごく良かった。

こんなにネガティブに寄り添ったことってなかったもの。

どちらかというと、ネガティブはダメ、良くするために努力しよう!だったの。

ネガティブは上げなきゃいけないもんじゃないのよね。

受けとめて、寄り添ってあげる方が心は落ち着いていく。

そして、その感情を客観視できたら、自然とニュートラルに戻っていけるの。


ただ、それは長期戦になることも多いから、一時的には運動や呼吸、ジャーナリングなどでリセットしてあげることも必要だし、ゆっくり休む時間も大切。

そうやって上手く付き合ってあげながら、少しずつ回復していく感じよね。

その流れが今回よくわかったから、不安になってる人に対しても、ドキドキしなくてすむようになったと思う。

大丈夫なのよね。

相手の感情にのまれずに、逆なでもせずに、程よい対応ができるようになったなぁ、ってホント、実感としてあったよね。


それは自分に対しても同じ。

そう、自分に対してできるようになったから、相手にもできるようになったのよね。

自分と向き合うから相手とも向き合える。


だからこれからも、私はnoteでは自分と向き合い続けようと思うよ。

それが私に必要で、私を成長させるひとつのツールだって、今回は特に思ったからね。

noteで相手にも伝わるような言葉選びに関してはまだまだで、自分の感覚を自分なりの言葉に表すのが精一杯ではあるけど、それもきっと繰り返すうちに上手くなるんじゃないかな。

それも楽しみだね。


うん、私、もっと言葉が上手く扱えるようになりたい!

心を動かす言葉を増やしたい!








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